
いすゞ自動車が巨人GMとの全面提携に調印した1971年から、ベレット・ジェミニの開発は始まっている。この頃デトロイトのGM本社では、子会社オペルのカデットがモデルチェンジ準備を進めており、ジェミニのボディと足回りの設計にはこれが活用されることとなった。飾りが少なくシンプルなボディシルエット、このクラスとしては極めて優れた操縦性と接地性は、居住性を多少犠牲にしてもやむなしというヨーロッパ的な設計思想の賜物。当時の国産大衆車のゴージャス路線とは一線を画するもので、手頃な価格で欧州車のフィーリングが楽しめると、クルマ好きを中心に人気を拡大していった。
●文:横田晃
国産車と欧米車の方向性の違いを知らしめた多国籍車
いすゞ自動車が巨人GMとの全面提携に調印した1971年から、ベレット・ジェミニの開発は始まっている。
この頃デトロイトのGM本社では、子会社オペルのカデットがモデルチェンジ準備を進めており、ジェミニのボディと足回りの設計にはこれが活用されることとなった。
飾りが少なくシンプルなボディシルエット、このクラスとしては極めて優れた操縦性と接地性は、居住性を多少犠牲にしてもやむなしというヨーロッパ的な設計思想の賜物。
当時の国産大衆車のゴージャス路線とは一線を画するもので、手頃な価格で欧州車のフィーリングが楽しめると、クルマ好きを中心に人気を拡大していった。
今や日本車の走りは、欧米車と遜色ないレベルに到達している。たとえ大衆小型車でも、欧米市場にも投入されるグローバルモデルなら、誰でも快適にアウトバーンでの全開走行を楽しめるだろう。
足回りのセッティングも全世界共通仕様がスタンダードになったし、安全性も同じ。その実力は、世界中の市場で認められている。平均速度が高く、衝突安全性の基準も厳しい欧米向けモデルと共通設計になって、日本人は国内ではオーバースペックなほど高い基本性能を備えた国産車に、当たり前に乗れるようになった。
初期型ジェミニセダン1600の透視図
当時このクラスの国産車はフロントにストラット、リヤに4リンク・コイルのサスペンションの組み合わせが普通だったが、ジェミニはフロントに複雑で高価になるが設計や調整の自由度が高いダブルウィッシュボーン式を採用。サスペンションにかかるコストはセドリックやクラウン、あるいは117クーペ級といえる。なおスペアタイヤはトランク右端に縦置きで格納された。
数値性能だけではなく、乗り味やハンドリングの安心感といった感性領域の味付けも、退屈と言われた昔とは大違い。凝ったメカニズムの高級車はもちろん、シンプルな小型車でも、走りの個性が世界で評価されるまでになったのだ。
クーペ1800ZZ/R(1983年式)
●全長×全幅×全高:4235 mm×1570mm×1340mm ●ホイールベース:2405mm ●車両重量:970kg ●乗車定員:5名●エンジン(G180型): 直列4気筒DOHC1817cc ●最高出力:130PS/6400rpm●最大トルク:16.5kg・m/5000rpm●最小回転半径:4.6m●燃料タンク容量:52L●トランスミッション:前進5段後進1段●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/3リンク式コイルスプリング●タイヤ(前/後):175/70HR13 ◎当時価格(東京地区):159万2000円
そうしたレベルに到達できたのは、技術的にも資金的にも日本が世界最先端に躍り出た1990年代からのこと。それ以前の日本車は、欧米車に追いつけ追い越せを合言葉に開発されながら、走らせてみるとその差に落胆したものだった。
とくに1970年代までは、見よう見まねで形だけはキレイに作れるようになったものの、サスペンションの動きひとつをとってもまだ十分には解析されていない。トラックのようなリーフリジッドの足回りが、高級車を名乗るクルマにも平然と使われていたのだから、上質な乗り味や個性的なハンドリングなど、語るべくもなかった。
当時の自動車雑誌を読むと、国産の新型車を同クラスの外国車と比べて、まだまだとこき下ろす論調は珍しくなかった。多くの日本人が、行ったこともない欧米へのコンプレックスや憧れを原動力に働いていた時代だ。
いすゞの初代ジェミニはそうした時代に登場して、一躍クルマ好きの注目を浴びた。メッキモールなどの虚飾を極力排した、クリーンでプレーンなスタイリング。ステアリングに軽く手を添えているだけで矢のように真っ直ぐ走る高速安定性。それでいて、ステアリングを切り込んだだけ、正確に反応するハンドリングと、最後までコントロールの容易な限界領域の懐の深さ。クルマとしての基本性能は、まさに日本車離れしていた。
1981年に追加されたZZシリーズのホットバージョン「R」。軽量化のためカーステレオや電動リモコン付ミラーなど快適装備はつかないかわりに、専用のガス封入式ショックアブソーバーやシールドビームヘッドランプなどが採用されていた。
それもそのはず。ジェミニの基本設計は、GM傘下のドイツオペルが開発したカデットと共通。速度無制限のアウトバーンで生まれた、ドイツ車の走りを実現していたのだ。しかし、残念ながら当時の一般的な日本人には、その価値を理解することはできなかった。
魅力的なモデルの追加も強力なライバルたちに追いつく武器とはならず
初代ジェミニが登場した1974年頃は、日本でもモータリゼーションが完全に定着しようとしていた時期。そのけん引役がトヨタのカローラと日産のサニーだった。
ジェミニの誕生と前後して3世代目に突入した両車は、良くも悪くも日本人の自動車観を形成する「原器」のような存在だった。1966年の初代モデルの対決では、合理的な作りと素直で軽快な走りが特徴だったサニーを、より大きく、豪華でスポーティと謳ったカローラが撃破。以後、追いすがるサニーをカローラが突き放すというデッドヒートが繰り広げられた。
そんなプロセスで確立された日本人のクルマの嗜好は、お隣よりも大きく豪華で見栄えがいいこと。要は巨大でメッキだらけだった当時のアメリカ車の縮小版だ。それは、クルマとしての本質や個性で勝負するシックな欧州車、ジェミニとは違う方向性だったのだ。
その一方でスポーツ派は、タイトなワインディングでの機敏な身のこなしを求めた。基本性能が未熟な当時の大衆車をベースに、そうした方向性のスポーツモデルを作ると、ガチガチの硬い足にクイックなステアリングを組み合わせた、レスポンスばかりが敏捷なハンドリングになった動力性能も、数値上の最高出力を高めたエンジンとローギヤードのパワートレーンで、発進加速タイムを重視したシグナルGP仕様。
かくして国産スポーツモデルの多くは、限界性能は低いくせにやたらと刺激的な、未熟な高性能車になってしまっていた。それは街中でのゴーストップが多く、国中に狭い山岳道路が存在する日本の交通環境には合っていたかもしれないが、本質的に優れたクルマの素性とは程遠かった。
ベレGの再来「じゃじゃ馬」ZZとディーゼルモデルの追加
そんな国産車しかない中に、充実した高速道路網を背景に、どこまでも全開で走り続ける、文字通りのグランドツーリングの文化からやって来たジェミニは「これぞ本物」と彼の地に憧れる人々を熱狂させた。一方で、カローラやサニーと比べる人々には「色気のないクルマ」と映った。デビューから5年、1979年に加わった、いすゞオリジナルのDOHCエンジンを積むZZ(ダブルズィー)は、目の肥えたスポーツ派には歓迎され、ラリーでも活躍したが、販売実績ではセリカGTやカローラレビンと勝負にはならなかった。
同じ年に投入されたいすゞ得意のディーゼル車も、主に高い経済性から好評を得て以後のジェミニの主力モデルとなったが、フルモデルチェンジでリフレッシュするライバルたちとの差を詰める起爆剤にはなりえなかった。
ZZシリーズの中でもラグジュアリーな内外装を身に纏ったZZ/Lセダン。
ZZシリーズに搭載されるG180型エンジン。従来のSOHCからDOHCに換装され、最高出力130p /最大トルク18.5kg-mを発揮した。
ワールドカーの血を引きデザインと独自技術で異彩を放った歴代ジェミニ
いすゞというメーカーは、黒船の来襲に備えるべく、江戸幕府が設立した石川島造船所にルーツを持つ。以後も近代日本の成長とともに歩み、日本中からエリート技術者を集めた名門企業だ。
戦前からバスやトラックで日本の経済と産業の礎を築き、戦後に乗用車作りを志したころには、トヨタや日産をしのぐ自動車メーカーだった。英国のヒルマンのノックダウン生産で乗用車作りのノウハウを学んだ後に、初のオリジナル乗用車ベレルでクラウン級の高級車を目指したのも、歴史を振り返れば当然のことだろう。
その技術力は高く、1963年に投入した初の小型車、ベレットも先進的なサスペンションや日本車初のディスクブレーキなどを備えて、目の肥えたクルマ好きに愛された。
ただし、政府御用達の重厚長大企業にありがちな、庶民相手のビジネス感覚の欠如は如何ともしがたかった。ベレットは発売当初こそ話題を呼んだが、1973年まで、10年もモデルチェンジなしの商品計画はトラックのやり方。その間にどんどん進化するライバルに、太刀打ちできるはずがなかった。
そうして経営の傾いたいすゞは、1971年に日本企業の資本が自由化されると、世界の名門、GMに出資を仰ぐ。かくして、グループとなったオペルの基本設計に自前のエンジンや内装を組み合わせ、ベレットの後継車として誕生したのがジェミニだ。1973年に発売する予定が、同年秋のオイルショックで翌年になったが、その優れた素性は一定の支持を得て、ベレットの生産設備を使って安く作ることにも成功したジェミニは、いすゞの屋台骨を支える存在になる。
だが結局、重厚長大病は治らなかった。5速化やフェイスリフトなどの商品力強化はしたが、後継車が出ない。目玉となるDOHCやディーゼルを積んだのが、カローラやサニーが華麗なフルモデルチェンジを遂げた1979年では、そのインパクトは半減。
1985年にようやく2代目のFFジェミニが誕生し、国内ではユニークなCMとあいまって話題を呼んだものの、GMのRカーとして世界戦略を担うはずだった輸出は、1981年に始まった米国向けの日本車 輸出自主規制のあおりで計画が狂うという不運にも見舞われた。初代ジェミニは1987年まで2代目と併売されて商品ラインナップの弱さを補完し、3代目ジェミニも’90年に発売にこぎつけたが、いすゞは1992年に、乗用車の自主開発からの撤退を表明する。以後のジェミニはホンダドマーニのOEM車となり、5代目を最後についに消滅してしまった。
いすゞの独自開発となった2代目は、前輪駆動を採用するとともにボディやエンジンを小型化、国産大衆車のスタンダードへとクラス替えを果たす。「街の遊撃手」のキャッチ、クルマが踊るように走るTV-CFに加え、欧州車を思わせるクリーンなボディシルエットで初代を超える販売を記録。豊富なボディカラーやセンスのいいインテリアなどで、20代後半〜30代のヤングアダルト人気が高かった。
1985年に登場した2代目は、初代との差別化するために当初はFFジェミニと名乗っていたが、マイナーチェンジ時にFFがとれて、正式にジェミニとなった。
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