人なつっこいイメージのフロントマスクにRR。スバル360 に通じる魅力を備えた商用モデルが、インドの鹿からネーミングされたサンバーだ。2 人乗りのトラックと4人乗りのライトバンをラインナップし、経済成長期の高速輸送ニーズにマッチして大ヒットを記録、スバルのもう一つのイメージリーダーに登りつめたのだ。
●文:月刊自家用車編集部
モデル名は、力強さと俊足イメージを兼ね備えた「インドの鹿」が由来
1958年に登場するやいなや空前のヒットモデルとして国民車のポジションに上り詰めたスバル360には、ほぼ平行して開発が進められた極めて縁の強いもう一つのモデルがあった。それがサンバーである。国民車構想が掲げられた時代は復興期から経済成長期へ移り変わる時代で、短距離小口配送の足として、それまで主流だった軽3輪に取って代わり、より安定性の高い4輪車の登場が潜在的なニーズだった。
トラック生産のバックボーンを持たない富士重工は、軽4輪トラックの開発に当たっても極めて自由なアプローチで取り組める素地があった。積載性を最優先する商用車という制約から、シャシーは中空角材の鉄フレームを用いたフロア構造を採用するものの、RRのパワートレーンはスバル360から譲り受け、それまでボンネットタイプが常識だったトラックの世界にキャブオーバーレイアウトで参入するという大胆な試みも、スバル360同様開発の指揮を執った百瀬ならではと言えるだろう。
ただしこれも「先にアイデアありき」なのではなく極めて合理的な推論の積み重ねから導き出されているのが百瀬らしいところなのだ。限られたスペースで積載性を確保するにはボンネットタイプは根本的に不利。360同様のRRであれば生産上も有利な上に空荷の走行時でも後輪へのトラクションが得やすく、しかもエンジン部分を除けばシャフトが不要な分低床化も計れる。さらに「人間第一」の基本思想から運転席のペダルオフセットを避けるには前席は前輪の上に配置が合理的。等々、後発の富士重工ならではのフレッシュな思い切りの良さが随所に見て取れる構成となった。
商用バンなのに、家族のアシにするユーザーが多数出現
法定数値の積載350㎏はおろか、現実にはその何倍もの過積載にも耐えることを求められるトラックだけに、エンジンはトルク重視にチューニング、同時にギヤ比も低速方向に変更して流用された360のパワーユニットを搭載してスバルサンバーが登場したのは1961年2月。同年9月にはクローズドボディの4人乗り商用車としてサンバーライトバンが追加される。「荷室が広い」「運転しやすい」といった評価で、翌1962年には本家の360を超える生産台数を記録する大ヒット車に上り詰める。
一時は低μ路での蛇行など、構造的な問題が指摘される事態もあったが、燃料タンク位置の変更を始めとする改良も進められ、バンをファミリーカーとして使用するユーザーも現れるなど、RVの先駆けとしての存在感も備え、ロングセラーモデルとなった。