プリンスは日産との合併以前から次世代を見据え、前輪駆動車の開発を始めている。その中心となったのが、国産車で初めての御料車となったプリンス・ロイヤルを造ったプロジェクトスタッフ達だった。かつてプリンスの本社があった東京・荻窪で、プリンス/日産合併後もFF車開発は継続され、1970年に日産初のFF車チェリーが発売される。そのスタイルは斬新で、とくに後に追加されたクーペは美しく、かつ挑戦的でもあった。
●文:横田 晃
大メーカーに呑み込まれた航空機エンジニアの気概が、先進の小型車を生んだ
ひと口に自動車メーカーと言っても、その歴史や成り立ちにより社風や個性は違う。1966年に合併した日産とプリンスも、まったく異なる風合いの会社だった。
1914年に純国産乗用車のダット号を作った快進社を源とし、戦前から軍用トラックなどで自動車メーカーとしての地位を確立、戦後はオースチンとの提携で乗用車技術を獲得した日産は、質実剛健な実用車を得意とした。対して、立川飛行機と中島飛行機出身の航空機エンジニアが戦後に立ち上げたプリンスは、高度な技術にこだわり、洗練されたデザインやスポーティな走りが売りだったのだ。
日産初のFF車となるチェリーを1970年に生み出したのも、旧プリンスの開発陣だった。
合併後とはいえ、この時代には旧日産とプリンスの人事交流はまだ少なく、プリンス系の技術者は、日産系のモデルを半ば見下していたという。
合併の実態は、明らかに日産によるプリンスの吸収だった。しかし、中島飛行機が前身の荻窪事業所で設計され、多摩にある広い村山テストコースで開発された旧プリンス系のモデルは、オースチン譲りの頑健だが保守的なメカニズムを持ち、横浜の狭い追浜テストコースで開発された旧日産系のモデルより、先進的で優れていると彼らは自負していたのだ。
クーペモデルは、その斬新なフォルムから若者を中心に人気となった
チェリーには、そんな旧プリンス技術陣の気概が込められていた。
商品企画としては、1966年に生まれたサニーより下のセグメントをカバーする、日産では最もベーシックとなる大衆車。ところがサニーよりコンパクトなボディに、それより広い室内を実現することが目指されている。
実用車として使いやすく、経済的である一方、若いユーザーにアピールするためには、スポーティな走りも必須だ。
旧プリンスの技術陣は、合併以前から先進的な小型車のメカニズムとしてFF方式を研究していた。それを具現化したチェリーは、本来はFRのサニー用に開発されたエンジンを横置きにした、コンパクトなメカニズムで広い室内を実現。軽量なボディは高い経済性とともに、スポーティなハンドリングにも貢献した。
リヤサスペンションも、旧式なリーフリジッドのサニーに対して、チェリーはトレーリングアーム式の独立懸架。乗り心地の優位性は明らかだった。デザインも、のちに登場するプリンス系のヒット車、ケンメリスカイラインにも通じる流麗なもの。なかでもセダンに続いて登場したクーペは、ハッチバックの使いやすさと斬新なフォルムを併せ持ち、その狙い通り若者を中心に人気となったのだ。
レースシーンで目覚ましい活躍から、公道モデルとして登場したクーペX-1・Rは、さながら調教を嫌う「暴れ馬」だった
チェリーが登場した1970年代は、ツーリングカーレースの黄金時代。なかでも日産車の活躍は目立った。スカイラインGT-RとサバンナRX-3の激闘は伝説だし、下のクラスでも、さまざまなチューナーの手になるサニーが大活躍した。
チェリーもまた、1971年10月にセダンベースのマシンが日産ワークスチームから参戦。富士マスターズ250㎞ で、土砂降りの雨の中でデビューウインを飾っている。
まだFF車自体が少なく、走行特性やチューニング手法も手さぐりの時代だったが、当時はまだタイヤがプアなこともあり、FFの安定性は滑りやすい雨のレースでは大きな武器になったのだ。
空力特性に優れるクーペがレースに参戦すると、その活躍はさらに目ざましくなる。改造クラスでは、ワイルドなスポイラーやオーバーフェンダーを装着。1.3Lまでボアアップしてインジェクションを備えたA型エンジンは、OHVながら135PSの高性能を発揮した。とくに雨のレースでは、スカイラインGT-RやフェアレディZといった先輩をも抑えて、チェッカーフラッグをくぐることも珍しくなかった。
サーキットでのその雄姿はワイドラジアルタイヤ(といっても165/70R13!)やオーバーフェンダーを標準装備するクーペX-1・Rにも投影され、若者の羨望を集めた。もちろん、彼らが本当に欲しかったのはスカイラインGT-Rだったが、現実的な選択肢として、チェリークーペX-1・Rは、打ってつけだったのだ。
もっとも、公道でのチェリークーペX-1・Rの走りは、けっして洗練されているとは言えなかった。路面の変化に敏感な当時のサスペンションとラジアルタイヤは、ただでさえ重いステアリングに強いキックバックを伝えた。ツインキャブで1.2Lから80PSを絞り出したA12型エンジンは、OHVとは思えないほどよく回ったが、急加速ではまるで暴れ馬のようにステアリングを左右に取られるトルクステアも出た。
コーナリングもFFのクセが強く、しっかりと前輪荷重をかけないと強いアンダーステアが出る一方で、怖がってアクセルを離すと強烈なタックインが襲う。上級者ならそれを応用してアクセルワークひとつで姿勢を制御できたが、免許取り立ての若者には、荷が重い操縦性だったのだ。
スポーティなイメージをもたらした黎明期のFF車だが、まだまだFR車の後塵を拝することが多かった
ともあれ、そんなじゃじゃ馬ぶりもふくめて、チェリーはスポーティなFF車のイメージを、当時の日本にもたらしたのだった。
フロントエンジン、フロントドライブを意味するFF方式(ちなみにこの略称は日本だけで、海外では使われない)は、けっして新しいアイデアではない。限られたサイズに広い室内や荷台を確保できる合理的なレイアウトとして、1920年代には、さまざまな方式のFF車が登場している。
しかし、それらの黎明期のFF車は、必ずしもFR車に対して優位ではなかった。
かさばるメカニズムを前に集めたことで、かえって室内空間が犠牲になることもあったし、偏った重量配分のため、操縦性や発進加速時の駆動力にも問題が出がちだった。さらに、操舵によって大きく折れ曲がるドライブシャフトに、当時のジョイントは駆動力をスムーズに伝達できず、右左折や車庫入れなどの大舵角では、クルマの動きがギクシャクした。
初体験の挙動に連日立ち向かって、初の横置きFF車を生み出した
ところが、1959年に登場した英国のミニが、横置きエンジンの下にトランスミッションとデフを2階建てにする方式で、メカニズムの小型化と重量配分の適正化を実現。1964年にはイタリアのフィアットが、エンジンとトランスミッションを横に並べ、デフをその下に置く方式を編み出す。今日のFF車のスタンダードとなる構成が、この2車によって確立されたのだ。さらに1966年に日本のスバルが部品メーカーのNTNとの共同開発で、大きな角度でもスムーズに駆動力を伝えるジョイントを実現。以後、一気に世界のFF車の走りは洗練されるのだ。チェリーにも、ミニと同じ2階建てメカとスバル方式のジョイントが使われていた。
ただし、初めて挑戦する横置きエンジンというメカニズムには、さすがの元飛行機屋も苦労させられたという。開発陣は発進や加減速のたびに慣性で揺れ動くエンジンを支えつつ、騒音振動を遮断するマウントの開発や、その反力で暴れ回るステアリングのキックバック抑制など、多くの課題解決に追われた。操縦安定性の解析も未熟で、前後輪のジオメトリーの最適値も手さぐりだ。現在では重視される後輪の役割も解明されておらず、細く設計されたトレーリングアームのリヤサスは、剛性不足で限界領域の走りをナーバスにしていた。
チェリーの開発陣は、そうした初体験の挙動に連日立ち向かって、初の横置きFF車を仕上げた。ライバル各社もチェリーをベンチマークして続いた。今日では、国産横置きFF車は世界レベルの走りを実現している。その原点は、間違いなくチェリーだったのだ。
初代チェリー変遷
1970年 |
10月:第17回東京モーターショーに、チェリーをベースとするコンセプトカー「270X」出品。チェリー2/4ドアセダン発売。エンジンは1. 0ℓのOHVと1. 2ℓのOHVツインキャブ。 |
1971年 |
9月:3ドアクーペ追加。冷却ファンを電動化。 |
1972年 |
2月:X-1用スポーツキット発売。 3月:A12型シングルキャブ仕様 及び3ドアバン追加。 4月:レース・ド・ニッポンに「クーペ」が参戦。その他の国内レースにも日産ワークスとして参戦。 6月:マイナーチェンジ。前後バンパーの大型化、およびセダン系のテールランプの大型化など。 |
1973年 |
3月 :「クーペ1200X-1・R」追加。 10月 :マイナーチェンジ。 |
1974年 |
9月 :チェリーFⅡへとモデルチェンジ(しばらく併売)。 |
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