「荷台の豆腐がくずれない!」 スバル360譲りの足回りは、当時の豆腐屋を唸らせた。緻密な商品企画に裏付けされたベストセラーバン、【初代サンバー】│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「荷台の豆腐がくずれない!」 スバル360譲りの足回りは、当時の豆腐屋を唸らせた。緻密な商品企画に裏付けされたベストセラーバン、【初代サンバー】

「荷台の豆腐がくずれない!」 スバル360譲りの足回りは、当時の豆腐屋を唸らせた。緻密な商品企画に裏付けされたベストセラーバン、【初代サンバー】

我が国初の国民車として大成功を収めた「スバル360=てんとうむし」だったが、戦後わずか十数年の日本で、乗用車はまだ一般人がおいそれと所有できるものではなかった。スバル360発売後、すぐにサンバー(開発記号9C)の計画がスタートしたのは、当時の自動車メーカーでは、商用車こそが経営の屋台骨を支えていたからである。サンバーの開発スタッフは360と同じで、その開発理念も「人間優先」という360譲りのもの。キャブオーバーレイアウトによる運転席や荷台の広さもさることながら、四輪独立懸架式の乗り心地の良さが特徴で、「荷台に積んだ豆腐の角がくずれない」と豆腐屋さんから人気に火がついたともいわれている。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

S360譲りの四輪独立懸架式のサスペンションによって、豆腐屋からは「凸凹道でも商品が傷まない」と評された乗り心地。荷物の積載性を重視したキャブオーバーのレイアウトにより、切りつめられたホイールベースによって高速安定性は低下したが、抜群の小回り性能を実現した。

サンバーライトバンデラックス(1964年型)

1964年の改良で、外気導入用のカウルベンチレーターはヘッドランプより上の位置から、大きく下方に移動した。エンジンは18PSから20PSにアップ。さらにスペアタイヤを後席下から前席下に移動し、後席格納時の荷室容積も拡大された。

主要諸元 ライトバンデラックス(1964年式)
●全長×全幅×全高:2990mm×1300mm×1520mm ●ホイールベース:1670mm●車両重量:537kg ●乗車定員:2/4名●最大積載量:300kg(2名乗車時)●エンジン(EK32型):強制空冷2サイクル2気筒356cc ●最高出力:20PS/5000rpm●最大トルク:3.2kg-m/
3000rpm●最高速度:80km/h●燃料消費率:24km/L●最小回転半径:3.8m●燃料タンク容量:20L●トランスミッション:前進3段、後進1段 ●サスペンション(前/後):トレーリングアーム式独立懸架/スイングアクスル式独立懸架●タイヤ(前/後):4.50-10-4P

サンバートラック(K151型)
1961年発売のK151型( 価格は全国統一でスタンダードが30万円、荷台幌付きが31万円)は、キャビンのルーフがキャンバス製だった。ルーフがメタルに変わるのは1962年3月から。

サンバーライトバンデラックス(K162D型)
1964年式と違い、カウルベンチレーターが上にある1962年式ライトバンデラックス。デラックスはバンパーとホイールキャップにクロムメッキを使い、上級感を演出している。

経済成長に沸く1960年代、軽四輪トラックが街の物流の主役だった

戦後の復興期から高度経済成長のピークとなった1960年代末にかけての日本の経済・産業の構造は、現代とは大きく異なっていた。大量生産、大量消費を前提とした大企業が雇用と経済の主役となり、系列や下請けのグループ企業を率いる今日に対して、当時の主役は地元の商店や工場を中心とする小さなコミュニティ。衣食住のすべてにおいて、農家や職人などの小規模な生産者と消費者を、地域の商店街が取り持つ構造だ。

そもそも生産規模が小さいから、物流の単位も小口。長距離輸送は鉄道や船が担い、トラック輸送は駅や港から最寄りの卸売市場や問屋までの近距離と棲み分けた。戦前から世界でも有数の路線網が全国に整備された鉄道に対して、1963年の名神の部分開通まで、日本に高速道路は存在せず、大幹線たる東海道こと国道1号線さえ全線舗装が完了したのが1962年のことだから、それも当然のことだった。

さらに卸売市場や問屋から小売りの商店まで、また商店から個々の消費者までの配送を担ったのは、当初は2輪車。やがてその発展形と言える3輪トラックが台頭し、経済成長と足並みをそろえて、4輪トラックへと主役が移っていく。中でも軽4輪トラックは、車両価格や維持費の安さから、1960年代に急速に普及が進んだ。そんな軽4輪トラックの代表作が、富士重工(現・スバル)が1961年2月に発売したスバルサンバーだ。ただし、この軽トラックの成り立ちは、当時のライバルたちとは違っていた。

他社製品の多くは当時の小型トラックなどと共通する、オーソドックスなFRレイアウトを持つボンネット型だったのに対して、航空機メーカーにルーツを持ち、高い技術力があった富士重工は、独自のアプローチで軽トラックを作った。RRの駆動方式とキャブオーバーのボディ形状がそれだ。RR+キャブオーバーという形式自体は、1950年に誕生したVWタイプ2(いわゆるデリバン)があったし、軽トラックでも、1950年代には3輪トラックのトップブランドだったくろがねをルーツに持つ東急くろがね工業のベビーが、1960年に発売されていた。

しかし、スバルサンバーは商品企画の点では、そのどちらとも明確に異なるクルマだった。それを可能としていたのは、1958年に名車スバル360を生み出したチーフエンジニア、百瀬晋六氏の存在だ。彼はスバル360の時と同様に理想主義的な姿勢で開発に臨みながら、同時に合理的にこのクルマに求められる要件を整理して、商品にまとめ上げたのだった。

サンバーは当時主流だったボンネットタイプではなく、荷台が広くとれるキャブオーバーを選択。また空荷でも駆動輪に荷重がかかるリヤエンジン/リヤドライブにもこだわった。エンジンはスバル360からのEK32型。荷台を極力低く設計できるように、エンジンは傾けて搭載されている。ちなみにEK32型は360よりトルク重視のセッティングとされ、ギヤ比も低めに変えられている。

名車スバル360の血を受けながら合理的に設計されたザ・実用車

てんとうむしの愛称で親しまれたスバル360は、日本にモータリゼーションを到来させるきっかけとなった。それまでの軽自動車は、税制などの優遇はあるものの、一人前の自動車としての性能は満たせず、室内空間も快適なドライブが楽しめる広さは到底求められないと考えられていた。

しかし、戦時中には戦闘機のエンジンなどを開発していた百瀬は、航空機で培った高い技術と理想主義的な思想を投入して、軽自動車の限られた規格の中で最大限のユーザーメリットを実現させた。丸みを帯びたデザインで実現させた、軽くて丈夫なフレームレスのモノコック構造。ネジの頭まで薄くした徹底的な軽量化。メカニズムをコンパクトにまとめて最大限のキャビンスペースを確保するRR方式。悪路でも快適な乗り心地を実現する、トーションバーなどを使って高効率に設計された4輪独立サスペンション。

敗戦からまだ10年あまり。あらゆる技術や文化が欧米に遅れていると国民自身が考えていた当時の日本にあって、百瀬の先進的な思想や技術は、メカニズムには無縁の人々にも歓迎される商品に結実し、海外のメディアをも唸らせた。小さな軽自動車でありながら世界に誇れるスピリットを感じさせたスバル360は、日本人の誇りをもくすぐり、現代にいたるまで高く評価されている。

ただし、実用品としての自動車の理想は、その車型や目的によって異なる。経営効率という観点からも、なんでも盛り込みさえすればよい商品になるというわけではない。スバルサンバーはそのサジ加減が見事だった。

可能な限りスバル360のメカニズムを流用することで、コストダウンを図るのは大前提。RR方式や4輪独立サスペンションの採用は、当然の流れだ。一方、快適性や高速性能より、積載性や小回り性能が求められるのが商用車。しかも、酷使される商用車には過積載も珍しくないことも、百瀬はちゃんと理解していた。

だから最初からモノコックボディは考えず、丈夫なラダーフレームを抱えた構造を選ぶ。人間の快適性よりも荷物の積載性を重視した、キャブオーバーのレイアウトも当然の選択。その結果、切りつめられたホイールベースによって高速安定性は低下したが、抜群の小回り性能を実現させた。

アウトバーンも走るVWや、専用メカニズムでコストがかさむくろがねベビーとは異なる、当時の日本の市場やメーカーの身の丈に合った商用車として、スバルサンバーは開発されたのだった。

スバル360にも似たシンプルな室内。インパネの下は大きなトレイになっていて、便利に使える。ボンネットのないキャブオーバー、またピラーが細いので見晴らしは良好。ステアリングの中央に6連星のマークがある。

前席ドアは後ろヒンジ、後席左側のドアは前ヒンジで開閉する。キャブオーバーなので前席の乗降に高さを感じるが、後ろヒンジなので足抜き性はいい。初期のトラックは助手席前にスペアタイヤがあったが、ライトバンでは前席シート下となり、助手席のレッグスペースは広々している

リヤシートは背もたれを前倒しして、座面ごと前方に持ち上げる二段階格納式。2名乗車時には300kgの積載が可能。

ライトバンデラックスのスペアタイヤは当初リヤシート下にあったが、荷室の使いやすさを考えて前席下へと移動。サンバーはユーザーの意見を取り入れ、積極的に改良を行った。

ライトバンのエンジンルームは、車内側からも上部のビスを外してエンジンルームの点検が可能。

丸型の速度計は100km/hまで刻まれる。盤面の小さなパイロットランプはチャージウォーニングなど。

外気を導入するためのカウルベンチレーターを開けたところ。ちなみにリヤエンジンへの空気は、ボディ後方左サイドのエアインテークから取り入れている。

ユーザーの声を聞きながらクルマを育て続けるスバルの伝統が息づく

商用車という商品特性を正しく押さえたスバルサンバーの商品企画は、スバル360のようにカーマニアに絶賛されることはなかった。しかし、このクルマは百瀬の狙い通りのヒット作となった。1961年2月にトラックが、同9月に1BOXのライトバンが発売されると、スバルサンバーはたちまちベストセラーとなり、1962年には、早くも乗用車のスバル360の販売台数を抜き去るのだ。

その牽引役となったのは、トラックよりライトバンのほうだった。2人乗りのトラックは文字通りの配送車にしか使えないが、折り畳み式の後席を持つ定員4人のライトバンは、休日に商店主が家族を乗せてのドライブにも使えた。本格的なマイカー時代が到来する前の商用車には、そうした乗用車的ニーズも大きかった。そのような場面では、スバルサンバーの4輪独立サスペンションによる乗り心地の良さは、大きなセールスポイントになったのだった。

本来のビジネスカーとしても、スバルサンバーの評価は高かった。持ち前の乗り心地の良さは、豆腐屋からは「凸凹道でも商品が傷まない」と評されたし、RRの特性であるトラクション性能の高さは、ぬかるんだ農地などで威力を発揮した。実際、1973年に登場した3代目サンバーは全国の農協でも販売され、営農サンバー4WDというグレードも設定された。その一方で、荷台の下にエンジンを置くレイアウトは、魚屋からは逆に「商品が熱で傷む」とクレームになったという。当時の富士重工はそうした声にていねいに耳を傾け、エンジンルーム内に遮熱板を張り、板厚も増すなどの対策をこまめにした。毎年のようにクルマを改良するスバルの伝統は、当時からのものなのだ。

サンバーシリーズは、スバルの軽乗用車がFF化された後にもRRのレイアウトを守りながら発展していった。1980年代には、ライトバンシリーズがより乗用車指向を強め、トライ(のちにはディアス)のサブネームがついた。1Lエンジンを搭載する3列シートの小型車ドミンゴも誕生して、狭い路地の多い古い観光地の送迎車などとしても重宝された。

しかし、スバルは1990年代以降、レガシィなどの世界戦略車が成功する一方で、競争が激化する軽自動車市場での生き残りは難しくなった。1908年には軽自動車事業からの撤退を表明。サンバーは2012年に、スバルが生産する最後の軽自動車としてラインオフした。ただ、南アジアに生息する大型の鹿に由来するその車名は、今はダイハツからのOEM車が名乗っている。

初代サンバー変遷

1958年(昭和33年)
10月  スバル360発売。
1960年(昭和34年)
10月  赤坂プリンスホテルでスバル450とともにサンバーを発表。第7回全日本自動車ショーでお披露目。
1961年(昭和36年)
2月  サンバートラック(K151型)発売。
9月  サンバーライトバン(K161型)発売。
1962年(昭和37年
3月  サンバーライトバンバックドア付き(K162型)発売。
12月 サンバーライトバンデラックス(K162D型)発売。
1964年(昭和39年)
10月改良(馬力を18PSから20PSに向上、ベンチレーターを下方に移動)。サンバートラック二段広床式発売。
1966年(昭和41年)
1月 2代目サンバー発売。