
●文:横田 晃(自家用車編集部)
不穏な時代が生んだ、ウイリスジープのノックダウン生産車
第二次世界大戦勃発から間もない頃。まだ威勢よく進軍していた日本軍は、南方の密林で1台の敵軍用車を鹵獲した。ドアもない簡素なオープンボディに大きめのタイヤを持ち、トラックとも乗用車ともつかない奇妙な形をしたそれを持ち帰り、テストしてみると、驚異的な走破性と機動力を備えていることが分かった。
米軍では汎用4分の1トン積み小型トラックに分類されていた、その軍用車の名は「ジープ」。小型車を駆使した抜群の機動力で欧州大陸を席巻するドイツ軍に対抗すべく、米軍が1940年に国内の自動車メーカーに開発を依頼。アメリカンバンタム/ウイリスオーバーランド/フォードによる試作車のいいとこ取りで生まれた小型4WD車だった。
もっとも、ジープの名は戦後に製造販売を続けたウイリス社が商標登録したもの。誕生当初からジープと俗称されていたが、その由来には諸説があるという。戦後のウイリス社は、米軍以外の販路を求めて、世界でジープのライセンス生産やノックダウン生産(部品を輸入しての現地組み立て)を進めた。フランスでも、前身が機関銃メーカーのホッチキス社が1954年から生産。日本にも提携相手を求めて、1950年暮れに極東支配人が来日している。
まさにその1950年に、戦後日本のターニングポイントとなる事件が起きていた。6月に北朝鮮が韓国に突如侵攻し、朝鮮戦争が始まったのだ。日本はその軍需物資の供給基地となり、高度経済成長のきっかけを掴む。自動車産業にとってもそれは同じだった。戦争が長引けば、西側陣営の代表として韓国の後ろ盾となった米軍は、ジープを始めとする軍用車を大量に調達する必要がある。日本でジープが生産されることは、米軍にも好都合だったのだ。さらに朝鮮戦争に米軍の戦力を割かれると、日本の防衛が手薄になり、東側勢力の侵攻のきっかけとなりかねない。そう危惧したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、陸上自衛隊の前身となる警察予備隊(のちに保安隊)の創設を日本に命じた。
それは、日本国内にも大量の軍用車両のニーズが生まれることを意味した。その頃、戦後に東日本/中日本/西日本重工業の三社に分割されていた旧三菱重工業は、兵器や戦闘機に代わる事業として自動車産業への進出を模索していた。中日本重工業では、オート三輪を自社開発。戦中の設備を活かして、トヨタや日産へのボディ架装も受注していた。ジープのノックダウン生産にはまさに適任だったのだ。
三菱ジープ・ノックダウン生産モデルの原型は、ウイリスオーバーランド社の米軍用ジープ、いわゆるウイリスジープ。
三菱ジープCJ-3A型(J1型)
1953年、ノックダウン生産によって生まれた最初のジープ、CJ-3A型(J1型)。この年は合計500台が製造され、警察予備隊や林野庁などに納入されている。
完全国産化によって、三菱独自の技術を導入
中日本重工業から改名した新三菱重工業がウイリス社と技術提携契約を交わしたのは、1952年7月のことだった。年末にはジープの全部品をパッケージした第1便の船が着き、名古屋製作所大江工場で組み立てられた第1号車は、1953年2月にラインオフした。ウイリス社の本国・アメリカでの型式はCJ-3A型だったが、日本国内向けはJ1型として認可され、3月までに54台が生産されて、全数が最初の顧客である林野庁に納められたという。
続く第2便のロットは、保安隊向けの500台。林野庁向けは6Vの電装だったが、軍用のこちらは無線機などの搭載を前提に12Vの電装品を装備し、型式もJ2型を名乗った。朝鮮戦争は1953年には休戦となったが、三菱はもくろみ通り、もとより得意とする官公庁という安定した顧客を得て、念願の自動車事業を成功裏に立ち上げることができたのだった。
一方、当時の通産省は、国内の自動車産業を育成するために、海外メーカーとの提携は国産化を前提とする方針を1952年秋に発表した。日産&オースチン/日野&ルノー/いすゞ&ヒルマンの間でもそうした契約が結ばれ、のちにダットサン/コンテッサ/ベレットなどの国産車の誕生につながる。三菱とウイリスの提携契約はその方針決定の前に進んでいたが、ジープの生産開始後に、改めて将来の国産化が契約に盛り込まれた。もとより日本を代表する技術者集団の三菱にとって、シンプルな作りのジープの国産化自体は難しいことではなかった。
1954年暮れには、型から自前で起こした国産エンジンが完成。ウイリス社のテストもパスして、その後1970年まで生産が続けられた。頑健なその設計は、1960年代の三菱製乗用車用エンジンの下敷きとなり、1970年代からはWRCでも活躍する同社のタフな伝統の礎となった。さらにジープのガソリンエンジンをベースに、独自にディーゼルエンジンも開発。日本初の乗用車用高速ディーゼルエンジンとして、その後の三菱ジープの主力となり、こちらも三菱の技術の高さを内外に知らしめた。
車体のネジ1本に至るまでの純国産化も1956年には完了。設計/生産技術を手中に納めた三菱は、ボディを伸ばして乗車定員を増やしたモデルやフルメタルボディ車など、ニーズに応じたさまざまなバリエーションを加えていく。その販路も軍用だけでなく、建設業/林業/電力関係/地方自治体など多岐にわたる。そうして1957年には、年間の生産台数が4000台近くに達していた。
三菱ジープCJ-3B-J3型(1953)
ノックダウン生産当初は、CJ-3A型(国内型式はJ1型)だったが、わずか半年あまりでハリケーンエンジンを積むCJ-3B型へと改良されたウイリス・ジープ。三菱ジープJ1もそれに伴い、J3 /J4型へと移行。防衛庁向けはJ4、コストを軽減した民間向けはJ3となった。
メーターは中央が速度計、左は上が燃料計、下が油圧計。右は上がアンメーター、下が水温計。
3型の運転席。床から伸びる3本のレバーのうちもっとも長いのが3速マニュアルトランスミッション。残りの2つはトランスファーケースのレバーで、1本が後輪駆動と4輪駆動の切り替え、もうひとつがハイ/ローの切り替え。ちなみに1961年以前まで三菱ジープは左ハンドル仕様しかない。
CJ-3B-J3 スタンダード仕様(1953年式)
●全長×全幅×全高:3368mm ×1655mm ×1895mm ●ホイールベース:2032mm ●車両重量:1056kg●乗車定員:4(2)名●エンジン(JH4型):水冷直列4気筒Fヘッド方式2199cc ●最高出力:70ps/4000rpm●最大トルク:15.0kg ・m/2400rpm●最高速度:95km /h●最小回転半径:5.9m●燃料タンク容量:45.5L●ミッション:前進3段後進1段+2段式副変速機●サスペンション(前/後):半楕円板バネ式/半楕円板バネ式●タイヤ:6.00-16-6PR
三菱=クロカン4WDの流れができたのはジープのおかげ
軌道に乗った三菱重工業の自動車事業は、1970年6月に三菱自動車として独立する日を迎える。それは、国家や大企業を相手に億単位の契約を結ぶ重厚長大産業から、個人ユーザーを相手に勝負する困難への挑戦でもあった。その頃にはウイリス社はAMC社の傘下となっており、三菱も改めてライセンス契約を結び直した。おかげでエンジン/シャーシ/ボディの改良を自由に行う権利も得たが、当初からの契約にあった、輸出先を東南アジアなどに限定する条項は変わらなかった。’
1970年秋にはAMC社がクライスラー傘下となり、北米に三菱製のジープを流通させる契約を結ぶも、三菱自身が世界で自由にジープを売る権利は得られなかった。1970年代後半には厳しい排ガス規制もクリアし、商品としては完成の域に到達しても、三菱はジープで稼ぐことはできなかったのである。その状況を打破するために、長年のジープの生産販売で得たノウハウを活かした新しい4WD車の開発構想が生まれたのは、当然と言えば当然だった。
ジープは軍用車としてはこれ以上ない優れた小型車だったが、乗用車としての評価には疑問符が付いた。ギヤ駆動のトランスファージープをバックボーンに独自の4WDモデルを開発していった三菱ジープは、ガーガーとうるさく、そこからオフセットして前後に伸びたプロペラシャフトのレイアウトは、前後のデフの位置を片寄らせ、直進安定性をスポイルしていた。重量配分のバランスも悪く、前後リーフ式リジッドの足まわりと相まって、舗装路における乗り心地や操縦安定性は、純粋な乗用車とは比べるべくもない。およそ一般のマイカーユーザーを振り向かせることができる魅力を備えた乗り物ではなかったのである。
その点では、保安隊への制式採用を逃したトヨタのランドクルーザーが、自社開発の強みを生かして先に進化していた。乗用車と同等の快適性や使い勝手を備えて、世界の幅広いユーザーに愛される。そんな新しい時代の4WD車を、三菱も作る必要があったのだ。
かくして、ジープの弱点をとことんつぶしたシャーシが開発されて、まずピックアップトラックのフォルテが誕生。同じシャーシに快適な居住性を備えたスタイリッシュなボディを載せて、パジェロが生まれた。洗練された商品力とジープ譲りの走破性を兼ね備えたそれは、世界でベストセラーとなり、三菱の大きな看板となった。パジェロにジープの技術が息づいているというよりも、長年作り続けたジープを反面教師としてこそ、独自の魅力を備えたパジェロは生まれることができたのだ。
J20系(1978年)
J3型のホイールベースを延長、前席3人乗り+後席4人の7人乗りも設定されたジープの中型モデル。登場時点から右ハンドルで、三菱ジープの右ハンドル移行の先駆けとなった。後にメタルドア+メタルトップ車もラインナップ。
J30系(1978年)
デリバリワゴンJ11型の改良モデルで、右ハンドルを採用。最大積載を400kgに拡大、2本のトランスファーレバーを1本に集約するなどで使い勝手を向上している。4ドアで荷室は観音開き式。前席3+後席3の6人乗り。インパネなど車内も乗用車的なテイスト。
J40系
J20型のロングホイールベース版で、林業や建設業向けにも広く使われたほか、マニアの改造ベース車としても愛された。前席のベンチシートに3人、リヤの横向きのベンチに3人×2。最大9人乗りを誇った大量人員輸送用ジープ。
J50系
初の純国産化を達成したCJ-3A型の直系にあたるジープの中心的モデル。J52からJ55までさまざまな仕様があるが、基本はショートホイールベース、2名乗車+250kg の積載(2名分の補助席あり)。J55にはディーゼルターボも積まれた。
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