
1945年の敗戦後、GHQにより航空機産業を解体された日本。行き場を失った一流の技術者たちは、残された資材を手に「陸の乗り物」へと情熱を転換します。三菱の「シルバーピジョン」や富士産業の「ラビット」といったスクーターは、軍用機の技術を応用して誕生し、復興に沸く街のシンボルとなりました。本田宗一郎による原動機付自転車の原型誕生も重なり、翼を奪われた職人たちの執念が、現代へと続く日本の自動車産業の礎を築くまでの軌跡を辿ります。
●文:横田 晃
三菱シルバーピジョン
終戦間もない1946年に第一号のC-10型(押しかけ式)を製造。富士重工のラビットとともにスクーターブームを巻き起こした。
空の技術者たちが率いる自動車開発
1945年8月の敗戦で、日本の工業生産はすべてがリセットされました。ダグラス・マッカーサー元帥率いるGHQ(連合国軍総司令部)は、日本がふたたび軍備を整えることができないよう、当初は航空機産業を完全解体して生産はおろか研究をも禁じ、自動車も復興に必要な最低限のトラックやバスを除いて生産を禁じました。
戦前からトラックやバスを生産していたトヨタや日産、いすゞや日野、三菱は主に中型以上のそれらを生産し、マツダやダイハツも戦前から手掛けていた小型の3輪トラック(といっても前半分は2輪車と同様の構造で、屋根もない)で、焼け野原から立ち上がろうとする人々の物流手段を提供します。
とはいえ、モビリティの主力は戦前と同様に鉄道が柱であり、トラックやバスは都市内や鉄道駅からの比較的近距離の移動を担うという構造に変わりはありません。戦時中は軍部の要望で軍用車ばかりを作っていた自動車メーカー各社には、乗用車の技術の蓄積はほとんどなく、貧乏のどん底に落ちた日本では、乗用車の市場自体もほぼ壊滅していました。
一方、GHQが解体を命じた航空機産業には、戦前に軍部が手厚く育成した優秀な技術者や職人たちが大勢いました。愛知県や岡山県など各地に拠点を持つ三菱では、零戦を開発した堀越二郎が有名ですが、ほかにも多くの優れた航空機エンジニアが、アメリカも恐れた高性能な戦闘機や爆撃機を開発生産していたのです。
中島飛行機が製造していた一式戦闘機「隼」。終戦後は各航空機メーカーは解体され、飛行機開発は禁じられてしまう。
航空機で培った技術は、やがて陸上の乗り物作りに活かされることになる
群馬県に本拠を置き、戦闘機の隼や疾風、爆撃機の呑龍などを生産、日本初のジェット機、橘花の開発も手掛けた中島飛行機や、東京・多摩で練習機や高高度戦闘機などを開発製造していた立川飛行機でも同様でした。
開発を禁じられた上に、組織力を削ぐために財閥解体と称して事業所ごとの数社に分割された航空機メーカー各社は、工場に残っていた資材で鍋釜をはじめとする生活用品を作って食いつなぐところから始め、やがて持てる技術を活かした陸上の乗り物作りを志すようになりました。
岡山県にある三菱の旧水島航空機製作所では、航空機用のジュラルミン(軽くて丈夫なアルミ合金)で荷台を作った3輪トラック、みずしま号を開発して終戦翌年の1946年に発売。同じく名古屋製作所では、アメリカ製のスクーターを参考にしたシルバーピジョンを同年に発売しています。
富士産業に改名した旧中島飛行機太田工場のエンジニアも、アメリカの落下傘部隊が連絡用に使っていたパウエルスクーターを参考に、工場に残っていた艦上攻撃機の尾輪を流用してスクーターを試作。東京の三鷹工場製のエンジンを積んで、ラビットと名づけて同じく1946年に発売すると、シルバーピジョンとともに大ヒットとなり、復興に向けて槌音との響く街のシンボルとして長く愛されました。
敗戦ですべてを失った日本でしたが、人々は生きるために逞しく生業を起こし、忙しく働きました。その小さなビジネスの足として、小回りが利いて経済的なスクーターが大活躍したのです。
同じころ、本田宗一郎は自転車に小さな補助エンジンを取り付けた、今でいう原動機付き自転車の原型を生み出しています。
東京での修理工修行ののち、1928年に実家に近い静岡県の浜松に22歳の若さで開業した自動車修理工場は、たちまち軌道に乗って多くの従業員を雇うまでになりました。彼は現在の中学校に当たる尋常小学校しか出ていませんでしたが、ただの工場主の仕事に飽き足らず、浜松高等工業学校(現在の静岡大学工学部)に聴講生として通い、独自のピストンリング(エンジン内で動くピストンの気密性を保つ重要部品)の開発に成功。
1936年にその製造会社を立ち上げました。さらに戦時中には航空機用のプロペラ切削機を開発するなど、事業家として大成功していたのです。
しかし、終戦とともに会社をトヨタに売ると、〝人間休業〟と称して1年ほど貯えで遊び暮らしたのちに、旧軍が使っていた無線機の発電用小型エンジンを自転車に取り付けられるように改良して1946年に売り出し、大ヒットさせるのです。
当時は免許なしで乗れるバイクモーターと呼ばれる同様の商品が各社から出ていましたが、本田の製品は排ガスで乗員の衣服を汚さないよう工夫されるなど、細やかな気配りがなされていました。技術で人を喜ばせる商品を作る本田の天性の才能が、彼を自動車産業に導こうとしていたのでした。
(横田 晃著「教養としてのニッポン自動車産業史」 内外出版社刊)より
富士重工ラビット
米国落下傘部隊用のスクーター「パウエル」をヒントに、試作車は爆撃機「銀河」の車輪を使って造られた。1947年から本格生産を開始。
教養としてのニッポン自動車産業史 横田 晃(著)内外出版社刊
教養としてのニッポン自動車産業史 内外出版社刊
総ページ:288ページ 1,760円(税込)
自動車社会は100年に1度の大変革期にあると言われています。報道では、日本の自動車産業が変革に乗り遅れたと、危機を煽る論調の報道も少なくありません。しかし、戦後わずか80年で世界一の自動車大国に上り詰めた日本の本領発揮は、まだまだこれから、というのが本書の趣旨です。
80年前まで、日本の自動車産業はほとんど「存在しない」に等しい状態でした。そこから世界をリードする産業へ発展するまでには、数え切れないほどの挑戦と試行錯誤のドラマがあります。世界一のメーカーとなったトヨタですら倒産の危機に直面したし、夢破れて舞台を去った起業家や技術者も数多くいます。今ではどの自動車メーカーも大企業ですが、最初から順風満帆だった会社などひとつもありません。
本書では、自動車雑誌の編集に40年以上関わってきた著者が、自動車ゼロの戦前~販売台数過去最高を記録した1990年代までの歩みを解説。主には自動車産業に起った出来事、自動車メーカーの成長と育まれていく個性、活躍した人物、時代を象徴する名車について紹介します。
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