ベースになったモデルがあるとはいえ、たっぷりコストをかけて新規に内外装を仕立てたクルマ。しかも100万円台のコンパクトカーとなると、ふつうは何十万台も売らないと採算はとれない。日産が昭和から平成にかけて発売したBe-1をはじめとするパイクカーは、利益を度外視した特注生産のようなクルマ。それは「バブル」という時代だからこそ生まれたといっていいクルマたちなのだ。
●文:横田晃
1985年東京モーターショー・日産ブースの主役は、丸い2灯ヘッドランプの可愛いヤツだった
ちょっと古い話だが、「時代と寝た女」とは、写真家の篠山紀信氏が山口百恵さんの引退に際して彼女を評した名言だった。百恵さんの芸能人としての活動期間は、わずかに8年。けれど、同時代を生きたすべての人が、彼女と過ごした濃密な時代を思い出し、それぞれに体験したエピソードを語ることができるに違いない。
百恵さん引退の5年後、1985年10月の東京モーターショーに出展され、日産ブースの主役のはずだったMID4をしのぐ大反響を呼んだBe-1は、さしずめ時代と寝たクルマだった。丸い2灯のヘッドランプを持つかわいい表情を見れば、誰もが華やかなあの時代の自分の思い出を、語りたくなることだろう。
限定生産のBe -1はあっという間に完売。投機対象にもなった
そのクルマが東京の舞台に立つ直前の1985年9月、ニューヨークのプラザホテルで、歴史的な決定が下された。G5=先進5カ国財相・中央銀行総裁会議で、世界の基軸通貨であるドルを安値に誘導することが合意され、急激に円高が進んだのだ。それによる経済の停滞を防ぐために、日本政府は大規模な金融緩和策を実施。ダブついた資金が投資先として向かったのが株や土地だった。バブル経済の引き金はそうして引かれたのである。
現在もそうだが、円高は輸出業にとっては打撃である一方で、輸入した資源を製品化して付加価値を付ける日本の産業構造においては、かならずしも悪いことばかりではない。円高はドルに換算すれば、日本の資産が黙っていても増えていく、ということでもある。その増えた資産を将来的にも増やすために、多くの日本人の目が投資に向いた。あらゆるモノが、将来価値が上がるかどうかで見られるようになり、それはクルマも例外ではなかった。
日本の地価は、モーターショーでの人気を受けてBe-1が発売された1987年までのわずか2年間で倍以上に高騰した。一方、当初は発売予定のなかったBe-1は急遽、短期間で開発され、生産ラインの制約もあって、1万台の限定生産とアナウンスされた。
その希少性が、投資先を求める人々の目にも留まった。発売と同時に注文が殺到し、2か月足らずで受注を終了。多くの人が欲しくても手に入らない中で、中古車市場には130万円足らずからという新車価格を大幅に上回る値づけのBe-1が出回ったのだ。
当時のフェラーリなどのスーパーカーがそうであったように、コンパクトカーのBe-1が、投機の対象となってしまったのだ。登場したばかりの小型車にプレミアムがつくのは、日本の自動車史上でも初めてのことだった。
Be-1ネーミングの由来は、A,B,C案のアイデアの中で、最も支持を集めた「B-1」案だったから
車名の由来は、A,B,C案が出されたアイデアの中で、もっとも社内の支持を集めたのが「B-1」案だったことに由来している。
Be-1の登場当時、いわゆる専門家筋の中には、マーチのメカに新奇なボディをかぶせただけのキワモノと評する人もいた。たしかに、メカニズム面から捉えるならこのクルマにはそれまでの新型車に期待されてきた高度な新技術は少なかったかもしれない。しかし、商品企画や生産技術面から見れば、Be-1はまさに最先端のクルマだった。
性能ではなく、感性や共感を武器にし、少ない台数でも成立するように、樹脂製のボディ外板や特殊な生産ラインを開発。少人数のプロジェクトチームで短期間で生産にこぎつけるというその過程のすべてが、今日の日本のクルマ作りにつながる革新性に満ちていた。
レトロ調、とざっくりくくられたデザインにしても、誕生から30年を経た今なお鮮度を失っていないという事実を見れば、たんなる懐古趣味ではない、普遍的なスタイルを表現していたことがわかる。Be-1は浮かれた当時の世相とは裏腹に、じつは極めて真面目に、先見の明を持って生まれた一台だったのである。
Be-1を引き継ぐ斬新な発想で登場した後継車たちは、「パイクカー」というひとつの文化を形成していった
Be-1の予想を上回る反響に気を良くした日産は、続く1987年の東京モーターショーに、同様の構成を持つパオと、商用バンのエスカルゴを出品。1989年に発売され、いずれも好評を得る。
さらにその1989年のショーには、アメリカ製の本革シートや優雅な白いインテリアを備えたフィガロを出品。こちらも1991年に発売した。Be-1が先着順の販売で混乱を呼んだ反省から、パオは2か月の期間限定で5万台以上を受注。フィガロは2万台の限定で、2回に分けて抽選を実施。いずれも好評のうちに完売している。性能ではなく、ある種のライフスタイルの表現で支持されたこれらのモデルは、パイク(尖った)カーと名付けられて、日産のブランドイメージの向上にも寄与した。日産では、1994年にサニーをベースに同様の思想で作られたラシーンも発売。こちらも一定の評価を得て、現在の中古車市場でも高値で取り引きされている。
日産のパイクカーへの挑戦は、世界からインスパイアされ、そして普及していった
ただし、日産はそうして創造した新しい試みを、継続して育てることはできなかった。少量生産のパイクカーではできた新しいスタイルの提案が、量産車にフィードバックされず、1990年代末には経営危機にまで追い込まれてしまう。
一方で世界には、パイクカーたちにインスパイアされた成功者も出た。VWのニュービートルや、BMWがローバーを買収して送り出したニューミニ、フィアット500など。クライスラーのPTクルーザーも、そのひとつだろう。
しかし、自社の過去の名車を下敷きに、最新の技術で仕立て直したVWやBMW、フィアットと比べると、自動車の持つ普遍的な魅力に時代が求めるエッセンスを加え、白紙から新しい価値を生み出した日産のパイクカー達は、より挑戦的だったとも言える。現在の日本でそれを実現できているのは、水戸岡鋭治氏のデザインで話題になった観光列車がそうだろう。いつの時代にあっても、乗り物の普遍的な魅力や価値に、時代が求める夢や空気を加えた商品が求められていることを、その成功は示している。
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