
1966年、日本は「マイカー元年」という歴史的な転換点を迎えた。その象徴となったのが、日産が放った1リッター小型セダン「サニー」である。しかし、その誕生の裏には、経営陣との熾烈な攻防があった。「大衆車など不要、中古のブルーバードで十分だ」と言い放つ社長に対し、若き技術者たちは諦めなかった。彼らは「商用車(ライトバン)の開発」という名目の裏で、密かにセダンの設計を進めるという驚くべき「裏技」を敢行する。848万通という空前の公募で名を冠し、瞬く間に日本中のサラリーマンの夢を具現化したサニーの誕生秘話を紐解く。
●文:横田 晃
発売されると爆発的な人気を呼んだ初代サニー。
クルマは、まだまだ普通のサラリーマンに高嶺の花だった
1966年がマイカー元年、すなわち国民が自家用車を持ち始めた年というのは、多くの専門家が認めるところです。なぜならこの年に、日産のサニーとトヨタのカローラという、その後の日本のファミリーカーの大定番となる車種が相次いでデビューしたから。ちなみに、先進的なメカニズムから国産名車のひとつに数えられているスバル1000も、この年に発売されています。
1955年のトヨペットクラウンを筆頭に、日産セドリックやプリンスグロリアなどが続いた小型車規格いっぱいの上級セダンは、企業の役員車やタクシーなど、法人ユーザーを中心に普及しました。その下のクラスとなるコロナやブルーバードは、やはり小型クラスのタクシーのほか、富裕層の足として浸透します。平日は運転手付きのクルマが主人を迎えに来るような裕福な家の奥様が昼間に買い物の足にしたり、休日の家族揃ってのお出かけに使ったりしたわけです。
この時代の自動車雑誌のブルーバードの女性仕様のインプレッション記事には、「このペダル配置ならハイヒールのご婦人にも運転しやすいだろう」などという、今なら絶対アウトな表現が出てきます。まだ女性ドライバーが珍しかった当時は、女性が運転することはある種のステイタスであったと同時に、専門家であるはずの自動車評論家でも、安全に対する意識はこの程度だったのです。
でも、普通のサラリーマン家庭となると、1958年に登場したスバル360をきっかけに軽乗用車が少しずつ普及し始めましたが、まだ誰もが買える段階ではありません。一方で、少しでも安価を実現するためにシンプルに徹したパブリカが、庶民にはまだ高価なうえに求めているのとは違うとそっぽを向かれてしまったのも前述した通りです。
日産の若手技術者が企画した〝サラリーマンにも買えるクルマ〟とは
そうした中で、日産の若手技術者が企画したのが〝サラリーマンにも買えるクルマ〟でした。1960年に池田内閣で始まった所得倍増計画の下、1964年の東京オリンピックを経て、実際に目に見えて給料が上がる日々の中で、かつては夢だったマイカーに、もしかして手が届くかもしれないという想いが人々の間にふくらんでいました。それに応える商品としてブルーバードの弟分となる、1Lクラスの新しい小型車が企画されたのです。
ただし、大衆をターゲットユーザーとして書かれた最初の企画書は、当時の日産の社長に却下されました。銀行から送り込まれて社長に就いた彼は、フェアレディやセドリック、ブルーバードなどを名づけたロマンチストではありましたが、自分でハンドルを握る趣味は持ち合わせていませんでした。マイカーを夢見る人々の感覚がわからなかった彼は、個人ユーザー向けのモデルとしてブルーバードが好調だった当時、それより下のクラスの乗用車を企画する意味が理解できず、共食いを恐れて「ブルーバードの中古車が最高の大衆車。お金のない人はそれに乗ればいい」と、開発を許さなかったのです。
しかし、日産の技術者たちは諦めませんでした。当時の小型車や軽自動車の個人ユーザー向けの売れ筋は、街の商店の配達車として使われるライトバンなどの商用車でした。家族経営の小さな商店では、平日は得意先への配達に使われるライトバンが、休日には家族でドライブに行くマイカーにもなったのです。
商用ライトバンをメインで開発しつつ、セダンの開発も並行して行われた。
日産の開発陣が倣ったのは、マツダ車の戦略だった
その客層を狙って、1963年にはマツダのファミリアが、まずスタイリッシュな商用ライトバンを発売、翌年セダンを追加する戦略で支持されていました。日産の開発陣はその成功に倣い、まずライトバンの企画を社長に通し、こっそりセダンも並行して開発するという裏技で、1Lクラスの小型セダンを形にしていったのです。開発陣の目論見は成功し、ライトバンとともに完成したセダンの試作車を見た社長は、その完成度の高さに、正式に発売にGOを出しました。
発売前の話題を盛り上げるために、1966年の正月の新聞各紙に発売予定の新型大衆車を賞品とした車名公募の全面広告を出すと、わずか1か月の募集期間に848万3000通もの応募がありました。マイカーを夢見る熱い思いが込められたその中から、つけられた車名は「サニー」。じつは応募作の中では少数派でしたが、明るい日差しが差し込む室内を思わせるサニーは、4月に発売されると爆発的な人気を呼びます。その年の暮れには、月間1万台の販売を記録したのです。
最初の企画書に首を振った社長も「やっておいてよかったな。俺が間違っていたよ」と開発陣に頭を下げたといいます。
スタンダードで41万円からというサニーの価格は、40歳前後で年収100万円程度の当時の課長クラスのサラリーマンなら、ローンで手が届く値付けでした。大きな窓を持つ車内は明るく、直線基調の清潔感のあるデザインは従来の大きくて立派なセダン像とは異なる、マイカーらしいフレッシュさを感じさせます。新たに開発された1Lのエンジンは、オースチン譲りの頑丈さと十分なパワーを持ち、軽量に仕上げられたボディは軽快な走りを実現して、専門家からも高く評価されました。
(横田 晃著「教養としてのニッポン自動車産業史」 内外出版社刊)より
スタンダードで41万円からというサニーの価格は、40歳前後で年収100万円程度の当時の課長クラスのサラリーマンなら、ローンで手が届く値付けだった。
「教養としてのニッポン自動車産業史」 横田 晃(著)内外出版社刊
教養としてのニッポン自動車産業史
内外出版社刊
総ページ:288ページ 1,760円(税込)
自動車社会は100年に1度の大変革期にあると言われています。報道では、日本の自動車産業が変革に乗り遅れたと、危機を煽る論調の報道も少なくありません。しかし、戦後わずか80年で世界一の自動車大国に上り詰めた日本の本領発揮は、まだまだこれから、というのが本書の趣旨です。
80年前まで、日本の自動車産業はほとんど「存在しない」に等しい状態でした。そこから世界をリードする産業へ発展するまでには、数え切れないほどの挑戦と試行錯誤のドラマがあります。世界一のメーカーとなったトヨタですら倒産の危機に直面したし、夢破れて舞台を去った起業家や技術者も数多くいます。今ではどの自動車メーカーも大企業ですが、最初から順風満帆だった会社などひとつもありません。
本書では、自動車雑誌の編集に40年以上関わってきた著者が、自動車ゼロの戦前~販売台数過去最高を記録した1990年代までの歩みを解説。主には自動車産業に起った出来事、自動車メーカーの成長と育まれていく個性、活躍した人物、時代を象徴する名車について紹介します。
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