
仏・ルノー4CVのノックダウンで乗用車生産技術を磨いた日野は、1961年、ついに念願の自社開発車コンテッサ900を発表する。その第2世代として登場した1300は、伊の有名デザイナー、ジョバンニ・ミケロッティが手がけた美しいシルエットで、各国のデザインコンクールを席巻。コンテッサ(伯爵夫人)の名に恥じない優雅なデザインに加えその性能も傑出しており、ピークの1965年には、年間2万6千台余りを販売している。もしトヨタとの業務提携がなかったなら、何代目かのコンテッサが今も走っていたかもしれない。
●文:横田晃(月刊自家用車編集部)
コンテッサ1300クーペ(1965年)
セダン以上にミケロッティのオリジナルデザインに近いといわれる1300クーペ。セダンの発売(1964年)から1年遅れて登場した。
主要諸元:コンテッサ1300クーペ(PD300型 1966年式)
●全長×全幅×全高:4150㎜×1530㎜×1340㎜●ホイールベース:2280㎜●車両重量:945㎏●エンジン(GR100型):水冷直列4気筒OHV1251㏄●最高出力:65PS/5500rpm●最大トルク:10.0㎏・m/3800rpm ●最高速度:145km/h ○サスペンション(前/後):ウィッシュボーン/スイングアクスル●ブレーキ( 前/後):ディスク/ドラム●トランスミッション:4速MT●タイヤサイズ:5.60-13-4PR ●乗車定員:4名 ◎新車当時価格(東京地区):85.3万円
高い技術から生み出された美しいクルマは、大きな注目を集めることに
今では、日野自動車が乗用車メーカーだというと、首を傾げる人も多いかもしれない。日本初の国産トラック、TGE-A型を1918年に誕生させて以来、今日に至るまで、日野ブランドの柱は大型バスやトラックだ。しかし、戦後の1952年から1966年まで、同社はたしかに乗用車メーカーだった。しかも、その出来ばえは同時代のライバルと遜色ないどころか、多くの人に強い印象を残した。
主役は1964年発売されたコンテッサ1300。自社ブランド車としては2代目にして、最後の乗用車となったモデルだ。
戦後、1949年までGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって生産を制限されていた日本の乗用車技術は、世界から大きく立ち遅れていた。
それを挽回するために、当時の通産省は1952年に乗用車関係提携および組み立て契約に関する取り扱い方針を公布する。海外メーカー車のノックダウン生産(部品を輸入して国内で組み立てる)を促し、その過程で技術を身につけさせて、国産乗用車の育成につなげようという狙いだ。
それに応えて、日産はオースチン、戦時中は国策によって日野と合併していたいすゞは、ヒルマンという英国車をノックダウン生産車に選んだ。対して日野が組んだのが、フランスのルノーだった。
戦時中に、ドイツの国策から生まれたKdF号(のちのVWビートル)に刺激されたルノーは、RR方式の4CVを1952年に発売。世界に販路を拡げるにあたり、各国の新興メーカーにノックダウン生産させる戦略を取った。それに対して、日本では日野が名乗りをあげたのだ。
戦時中は大型のディーゼルエンジンを積むキャタピラ式装甲車などを主に手がけていた日野にとって、小型乗用車作りはすべてが初めての経験。しかし、もとより技術力に優れていた彼らは、1958年にはプレス金型やエンジン部品もふくめた完全国産化に成功する。
その技術を活かした自社開発車として初代コンテッサ900を1961年に送り出すと、彼らは息をつく暇もなく、次のモデルの開発に取りかかった。それが、ひと回り大きなボディに1.3Lの完全自社開発エンジンを積んだ、2代目のコンテッサ1300だ。
1964年にセダンが、翌年にクーペが発売されたそれは、美しいデザインと卓越した実用性、高い信頼性と動力性能を兼ね備え、大きな注目を浴びる。ただし、残念ながら成功したとは言い難い。優れた製品作りの技術は学べても、移り気なユーザーに対する売り方は、誰にも学べなかったのだ。
コンテッサ900(1961年)
ルノー4CVのノックダウン生産と並行し、日野は独自設計によるオリジナル乗用車の開発に着手。こうして誕生したのがコンテッサ900だ。RRの駆動方式やサスペンションなどはルノーの技術をベースにしているがデザインはオリジナル。エンジンも新設計で、ルノーに比べ14馬力もパワーがあった。RRながらコラムシフトを採用、タクシーとしても重用され1965年まで生産。なおコンテッサと同じエンジンを積み同時に発売された小型トラック「ブリスカ」は荷台架装の容易性を考えてFR駆動が採用されている。
コンテッサ900(デラックス1961年式)
主要諸元 ●全長×全幅×全高:38055㎜×1475㎜×1415㎜●ホイールベース:2150㎜●車両重量:750㎏●エンジン(GR100型):水冷直列4気筒OHV893㏄ ●最高出力:35PS/5000rpm ●最大トルク:6.5㎏-m/3200rpm ●最高速度:110㎞/h ●サスペンション( 前
/後):ウィッシュボーン/スイングアクスル ○ブレーキ( 前/後):ドラム/ドラム●トランスミッション:3速MT●タイヤサイズ:5.50-14-2PR●乗車定員:5名 ◎新車当時価格( 東京地区):65.5万円
コンテッサ900スプリント(1962年)
次期コンテッサのデザインを委託されたミケロッティは、900の小柄でスポーティな性格に惚れ込み、スポーツ車の製作を直訴。日野がエンジンや足回り部品などを提供して完成したのがこの試作車。エンジンはナルディがチューンし50馬力にアップ。ボンネット中央にはミケロッティ自ら造ったという「ヒノ」のエンブレムが付く。
900スプリントは、試作車ゆえに左ハンドルで設計された。ステアリングで有名なナルディだが、当時はエンジンチューニングでも名を馳せた。もちろん取り付けられているステアリングはナルディ製だ。
天才デザイナーのこだわりに、日野の技術陣が奮闘
コンテッサ1300が今なお多くのファンを持つ最大の理由は、海外のコンクールでも賞を受けた、美しいデザインにあることは間違いない。それを生み出したのはイタリアのデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティだ。
名門カロッツェリア、ピニンファリーナで修業したのちに、業界初のフリーランス自動車デザイナーとして1949年に独立した彼は、大衆から愛される小型車のデザインを望んでいた。日野から舞い込んだコンテッサのデザインは、まさに彼が求めていた仕事だった。
ただし、そのこだわりゆえに、日野の開発陣は苦労することになる。当初日野側は、ルノーから受け継がれたRR方式ゆえに必要となる後部の吸気口を、4CV、そして自社デザインだった初代コンテッサと同様に、ボディ側面に設けるよう記した仕様書を彼に届けた。
しかし、ミケロッティは優美なシルエットを無様な吸気口がブチ壊しているようなデザインを、あえて送ってきた。
それをミケロッティの抗議と受けとめた日野の開発陣は、他に類を見ない、後方からの吸気に挑む。風洞実験などを繰り返して十分な吸入量を確保。排ガスを吸い込まないよう、排気管の位置にもデリケートに気を配った。そうして、ミケロッティの狙い通りの、美しいシルエットと機能を併せ持つデザインは完成したのだ。
ルノー4CVや初代コンテッサでは、エンジンルームの熱気でキャブレター内のガソリンが沸騰して始動できなくなるパーコレーションに悩まされたが、新開発の1.3Lエンジンは吸排気をエンジン両側に分けるクロスフローの採用で解決するなど、高い技術も遺憾なく発揮。クーペには国産車初のディスクブレーキも採用されるなど、随所に先進的なメカニズムが取り入れられていた。
ただし、レースでは残念ながら活躍できなかった。
初代のコンテッサ900は1963年の第一回日本GPでクラス優勝したものの、2代目の1300の時代になると各社が高性能モデルを投入。日野は対抗すべく1966年にはDOHCエンジンを搭載したコンテッサSを東京モーターショーに出展したものの、幻に終わってしまった。
コンテッサの可能性に惚れたミケロッティは、初代をベースとした美しいクーペ、900スプリントも発表して世界で話題を呼んだが、結局こちらも市販されることはなかった。その理由はトヨタとの業務提携に伴う、乗用車事業からの撤退。日野自動車は本来の得意分野である大型車に特化して、生き残る道を選んだのだ。
コンテッサ1300セダン(1964年)
クーペに先行して発売された1300セダン。こちらもミケロッティのデザイン。フロントはベンチシートだが5人乗り。スピードメーターはバー表示、タコメーターは付かない。神鋼電気と日野の共同開発による電磁式オートクラッチ「シンコーマチック」(オプション=4万円高)も選べた。
技術だけでは成功できない。乗用車ビジネスの高い壁は克服できず
日野自動車は、ガス/電気器具製造会社として1910年に創業した東京瓦斯工業にルーツを持つ。軍の依頼で爆弾に使う信管を生産したのを手始めに、1918年には日本初の国産トラック、TGE-A型を開発して軍からの補助金対象となるなど、軍需で初期の足場を築いた。戦前のトヨタや日産、いすゞ(当初は石川島自動車)もそれは同じだ。
ただし、その在り方は、時代に翻弄される宿命も背負っていた。東京瓦斯工業は、戦時中は軍の意向で石川島自動車などと合併し、東京自動車工業、さらにヂーゼル自動車工業へと改称。
1942年には、特殊車両を担当していた日野製造所が独立し、日野重工業となった。戦前には高性能な航空機エンジンまで手がけていた、技術者集団だ。それが、戦後に日野産業を経て日野自動車となる。その高い技術で開発した大型トラックやバスは、戦後の復興にも大きく貢献した。一方でTGE-A型トラックを開発して自動車メーカーとしての基礎を築いた星子勇氏を始めとする日野の経営陣は、マイカー時代の到来など想像もできない戦前から乗用車作りへの意欲を持っていた。それが、ルノーを経てコンテッサへと至る戦後の歩みを呼んだのだ。
ただし、軍や運送業者などのプロを相手に、求められる仕様性能を満たしたクルマを作る、現代的に言えばBtoBのビジネスと、激しい競争市場で一般客に乗用車を売るBtoCのビジネスでは、まったく異なる経営手腕を求められる。ときに製品の出来ばえではなく、販売・サービス網や金融・宣伝といった、技術以外の要素が優劣を分けるのだ。
軍用航空機メーカーが前身のプリンス自動車がそうだったように、日野もまた、そこが克服できなかった。今なお多くの人の記憶に残る名車、コンテッサ1300の販売台数は、もっとも売れた1965年でも2万6239台。いくら大型車が好調でも、乗用車事業では大きな儲けが出なかった。
そうして、プリンス自動車が日産に吸収合併されたのと同じ1966年、日野はトヨタとの業務提携を発表。契約により乗用車事業からは撤退し、コンテッサ生産のために東京・羽村に1960年に建設した乗用車工場は、以後、トヨタのパブリカなどの受託生産工場になる。
4.7万台のコンテッサ900と、5.5万台の1300を送り出した羽村の工場では、現在はトヨタのFJクルーザーやハイラックスなどが作られている。そう、じつは日野自動車は今でも乗用車を作り続けているのだ。
1300セダンは発売されてから1年後に追加された1300クーペ。イタリアの国際エレガンスコンクールをはじめ、欧州で多くの賞を獲得した。
リヤグリルから取り入れた空気はラジエターを冷やした後、エンジン下部から排出される。コンテッサ1300のグリルやエアインテークのないシルエットは、この機構で実現した。
クーペのエンジンはセダンより圧縮比を高め、SUツインキャブを装着しているが、10馬力アップというおとなしめのチューン。スタイリングの特徴になっているリヤグリルからファンでエアを導入し、エンジンを冷却する。
1300クーペは木目模様のダッシュパネルを採用。4連メーターは左から水温計、エンジン回転計、速度計、燃料計。タコメーターは6000rpm 以上がレッドゾーン。
ビニールレザーのシートは通気性に難があったが、背もたれの角度が細かく設定できるなど、長時間の運転でも疲れにくいという評判だった。
日野コンテッサの変遷
| 1961年(昭和36年) |
| ・コンテッサ900(4ドアセダン)発売。 |
| 1962年(昭和37年) |
| ・コンテッサ900スプリント発表。 |
| 1963年(昭和38年) |
| ・5馬力アップの900S発売。 |
| 1964年(昭和39年) |
| ・コンテッサ1300発売(4ドアセダン)。 |
| 1965年(昭和40年) |
| ・コンテッサ1300(2ドアクーペ)追加。 ・10馬力アップのセダン1300S追加 ・コンテッサ900生産終了。 |
| 1966年(昭和41年) |
| ・日野スプリント1300GTパリサロンに出品。 ・トヨタとの提携を機に乗用車からの撤退を発表。 |
| 1967年(昭和42年) |
| ・コンテッサ1300生産終了。 |
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