「じゃじゃ馬」と呼ばれた「オートザム・AZ-1」は、走りもデザインも、全部が規格外。楽しい時代を駆け抜けた偉大なクルマだった│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「じゃじゃ馬」と呼ばれた「オートザム・AZ-1」は、走りもデザインも、全部が規格外。楽しい時代を駆け抜けた偉大なクルマだった

「じゃじゃ馬」と呼ばれた「オートザム・AZ-1」は、走りもデザインも、全部が規格外。楽しい時代を駆け抜けた偉大なクルマだった

1980年代後期から1990年代初頭にかけての“バブル景気”の時期には、その豊富な経済を背景に日本の各メーカーの開発の勢いがピークに達して、世界的に見ても歴史に残るような多くの名車が誕生しました。その流れは日本独自の規格である軽自動車のジャンルも例外ではありませんでした。普通車と同様に各社で高性能をアピールするためのパワー競争が激化して、軽自動車でも64馬力までという“自主規制”が定められるようになったのは象徴的です。そんな勢いで軽自動車にもいろいろな名車が産み出されましたが、その中でもより特別な3つの車種が生まれています。ここではその3つの軽の名車のひとつである「(マツダ)オートザム・AZ-1」を採り上げて、すこし掘り下げていきたいと思います。

●文:月刊自家用車編集部(往機人)

バブルの申し子“ABCトリオ”の中でも、飛び抜けて異端だった軽スポーツ

「AZ-1」が発売されたのは、日本国内でお金が有り余っていたと言われるバブル時代真っ只中の1992年です。

この時期は、その潤沢な資金を背景に多くの贅沢なクルマが産み出されましたが、その勢いは軽自動車の分野にも及び、後に「ABCトリオ」と呼ばれることになる3つの代表車種が誕生しました。

“A”は「マツダ・AZ-1」、“B”は「ホンダ・BEET」、“C”が「スズキ・Cappuccino」です。

それぞれが外観、メカニズムの両面で個性を強く主張する車種でしたが、その中でもひときわ異彩を放っていたのが「AZ-1」です。

軽自動車でありながら、ガルウイングドアを採用するなど、国産車全体を見ても異彩を放つデザイン。ドアの重さをカバーするため、ボディパネルはFRP樹脂が用いられるなど、随所に苦心の設計思想が用いられている。

流用部品を上手に用いることでコスト削減

リヤミッドシップレイアウトのエンジン、国産では初で唯一となるガルウイングドア(ちなみにトヨタ・セラは“バタフライドア”になります)、外板パネルが樹脂製でボルト留めという(スケルトンモノコック)方式、固定式の丸形ヘッドライトなどなど。

軽自動車だけでなく、国産車全体を見渡してもその特異性は際立っていました。

ボディ中央のミッドシップエンジンを収めるためのルーバーや、独特の丸型テールランプなどがもたらすスペシャル感も魅力。平成の「ABCトリオ」の中でもひときわ異端な存在感を持つ。

F6A型直列3気筒DOHCターボエンジンをリヤミッドシップに搭載する、独特なレイアウトを採用。自主規制上限の64psを発生する。

フロントフードを開けると、奥にはブレーキフルードのタンクなどが見え、手前には固定式の丸型ヘッドライトが配置されている。

エンジンは「スズキ・アルトワークス(カプチーノは同型を縦置き)」に搭載の「F6A型」直列3気筒DOHCターボ(自主規制上限の64ps)をOEM供給で搭載しています。FF用のエンジン&ギヤボックス一体のユニットをそのままミッドに搭載する方法を採っていると思われます。

それだけスペシャルな仕様でつくられているにもかかわらず、他車種からの流用部品で製造コストを下げていたことで、ライバルのビートやカプチーノより10万円ほど高い149.8万円で販売していたのは、今となってはバーゲンプライスだったと言っていいでしょう。

1994年には専用エアロパーツなどを装着したマツダスピードバージョンも登場。レーシーな雰囲気を楽しめる仕様に仕立てられいる。

「クセつよ」な走りは、じゃじゃ馬と評されることも

余談ですが、この特殊な仕様のクルマを製造するにあたっては、マツダのメイン製造ラインでおこなうのは不都合が多かったため、他のメーカーもよくやるようにグループ企業に委託する形が採られました。

基本的な設計や方向性の提案をおこなったのは英国の「H&W」社です。

そのひな型を元に本社の「特装設計課」が煮つめをおこない、その過程で東京モーターショーに出品された「オートザムAZ-550スポーツ」の展示車両製作をおこないつつ、4回の試作を経てできあがった最終プロトを元に、マツダ車の外板やモノコックをプレス製造していた「クラタ(現・キーレックス)」が製造をおこなったそうです。

実際の走りも3車の中で最もクセが強いようで、マツダは「未体験ハンドリングマシン」と謳っていましたが、実際はリヤ寄りの重量配分から来るフロントの接地感の低さや、リヤサスのレイアウトによる荷重抜けの傾向などによる挙動の不安定さが、特にコースを攻込むようなときに現れるという見解もあって、しだいに“じゃじゃ馬”と評されることもあったようです。

ガルウィングドアの開口部から見えるタイトな2シーター空間。赤いアクセントが入ったバケットシートと、黒を基調としたシンプルな内装が、スポーツカーらしい雰囲気を醸し出している。

先人へのオマージュが捧げられた、懐かしいスタイリング

この特徴的なデザインは、マツダの初期の車輌を多く手掛けた「小杉二郎」氏のオリジナルモデル「MK600(1965年発表の試作車)」をオマージュしたものだそうです。

小杉氏は日本に工業デザインという仕事を認知させた人としても有名で、マツダでは、初期の「オート3輪」の時代から「R360クーペ」や「キャロル」、「コスモスポーツ」など、印象的なデザインを多く残しています。

その小杉氏のこだわりが詰まった「MK600」は、赤とグレーの上下ツートンカラーに、航空機を想わせる流線形のフォルム、そしてスライド式のキャノピーと下に向かって開くドア、リトラクタブル式ヘッドライトなど、多くのエポックメイキングな仕様を詰め込んだ車輌でした。

「AZ-1」のプロジェクトチームは、初期のマツダ車に華を添えてくれた小杉氏に敬意を表して、現代に「MK600」を蘇らせたと言っても過言ではないでしょう。

ツートンカラーと全体のフォルム、そしてリヤエンジン&リヤ駆動というレイアウトはそのまま引き継ぎ、リトラクタブル式ヘッドライトはボディ一体の固定式(※)になり、特徴的だったスライド式キャノピーと下方開きのドアはガルウイング式へとアレンジ。

「MK600」の要素を有効に残しながら、90年代のスーパーカーの雰囲気に上手くまとめています。(※プロトタイプの「オートザムAZ-550スポーツ(タイプA)」では角形のリトラクタブル式でした)

現在の中古車相場は、なんとか手が届く250万円前後から

さてこの国産車の歴史を見渡してもベストテンには入るであろうスペシャルな素性の「AZ-1」だけに、生産終了から30年が経過した今でも根強い人気を誇る車種となっています。

加えて生産台数が約4400台とかなり少なかったこともあり、現在の中古車市場では最低でも250万円〜という高値が付いているようです。

個人的には、今後を見てもこれほどのスペシャルな内容のクルマは出てくるものではないと思いますので、この相場価格はけっして高くはないと思っています。

1993年にマツダ・AZ-1のOEMモデルとして、スズキから「CARA(キャラ)」が販売されている。AZ-1との主な違いは、スズキのエンブレムと、フロントバンパーに組み込まれたフォグランプなど。総生産台数は500台強と、AZ-1以上に希少なモデルになっている。

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