
日産は1950年にダットサン110型を世に送り出した。それは「酷道」と揶揄された当時の日本の悪路にも負けない頑強さが自慢だった。そんな110型をルーツとする「ブルーバード」の中でも、ひときわ輝く存在が510型。ライバル・コロナに奪われた主役の座を奪還すべく、予定を早めて投入されたそれは、スーパーソニックラインと呼ぶ精悍なスタイルの中に、“技術の日産”の評価を決定づける意欲的なテクノロジーが詰まっていた。
●文:横田晃(月刊自家用車編集部)
2ドアクーペ(510):日本車初のピラーレスを謳い人気となったコロナ2ドアハードトップに対抗して、1968年11月に追加された2ドアクーペ。
テールランプに細いメッキのラインが入るなど、おしゃれな2ドアとして設計された。
当時のクルマ造りで最も重要視されたのは”壊れない”ことだった
1950年代に、外国車の見よう見まねで乗用車造りを始めた日本のメーカーと、それを使うユーザーにとって、なによりも重視されたのが“壊れない”ことだった。
今や世界最高の信頼耐久性で知られる日本車からは想像しにくいことだが、まだ一級国道でさえ未舗装の極悪路が多かった当時の道路状況では、ハンドリングや乗り心地を云々する以前に、ごく普通に壊れずに使えるクルマを作ることが最初の目標だったのだ。
英国のオースチンのノックダウン生産で乗用車造りを学んだ日産が、初めての自社開発車として1955年に発売したダットサン110型は、オースチンの流麗さとは似ても似つかない、無骨そのもののデザインを採用していた。その改良型として1957年に登場した210型も同様だったが、頑丈さにかけては比類なかった。
それを証明するために1958年に挑戦したオーストラリア一周ラリーで、日産は大きな成果をあげる。出走67台中、完走はわずか34台という過酷なラリーで、参戦した富士号と桜号の2台の210型はともに完走を果たし、富士号はクラス優勝、桜号はクラス4位に食い込んだのだ。
ちなみに、このラリーへの参戦を発案したのは、のちに北米日産社長としてフェアレディZ開発の音頭を取ることになる片山豊氏。チーム監督は、のちに日産のモータースポーツ子会社であるNISMO社長となる難波靖治氏だった。
技術の日産の名を確立することにも貢献したその頑丈さは、続くモデル群にも確実に継承されていくことになる。そして初めて「ブルーバード」の名を冠した310型では、1962年に南アフリカトータルラリーに挑んで初優勝するなど、信頼性に加えて高性能をも両立するまでになった。
次の410型では、ピニンファリーナによる流麗なデザインも実現。これは国内では理解されず販売は振るわなかったものの、初めてSS=スポーツセダンをグレード名に謳い、SSS=スーパースポーツセダンも登場させる。
そうした積み重ねの集大成として1967年に登場した510型ブルーバードは、スポーツセダンの名に恥じないデザインと性能、そして信頼耐久性をも兼ね備えて、世界にその名を轟かせるのだ。
初代ブルーバード(310系)
110/210の後継として、初めて「ブルーバード」の名を与えられた310 。いち早く女性仕様やAT車をラインナップするなど、ライバル・コロナを凌駕した。
2代目ブルーバード(410系)
ピニンファリーナのデザイン、日産初のモノコックボディは異彩を放っていたが、販売的には失敗。アローライン・コロナの後塵を拝することに。
日産とトヨタの熾烈な競争は、日本車の進化を加速させていった
サニーとカローラが登場する以前の日本のマイカー市場の主役は、ブルーバードとコロナだった。最初に市場をリードしたのはブルーバード。初代となる310型には、オルゴールのウインカー作動音などを装備した日本初の女性仕様車や、日本初のエステートワゴンも設定されるなど、先進性とファッション性でライバル・コロナを圧倒していた。
一方、コロナの初代モデルは、当時のヘビーユーザーであったタクシー業界を意識した頑健な造りが特徴。色気に欠け、当時はまだまだ限られた層だったマイカーユーザーには不評だった。それでは、と1960年に登場した2代目は繊細なデザインを採用するが、今度は信頼耐久性を不安視されてタクシー業界から不評を買ってしまう。その両方のニーズを満たすブルーバードには、なかなか追いつけなかったのだ。
ところが、2代目ブルーバード・410型のピニンファリーナによるデザインが、日本人には不評という予想外の事態が状況を変える。今見ると好ましい洗練された欧州デザインも、まだクルマを見る目が未熟だった当時の庶民には理解できなかったのだ。
かくして410型ブルーバードの翌年、1964年に登場した3代目コロナは、アローラインと呼ぶ直線基調のデザインで大ヒットモデルとなる。日本初の2ドアHTも投入して、初めてブルーバードに販売台数で勝利するのである。
それに対して、「こんちくしょう」とばかりに3代目ブルーバードが採用したのが、同じ直線基調ながら、コロナよりはるかにシャープなスーパーソニックラインと呼ぶデザインだった。
日本車としては初めて三角窓を廃したクリーンなフォルムは、社内デザインながらとても均整の取れたものだった。あとから追加された2ドアクーペでは、赤いテールランプがウインカー作動時には内側から外側へ流れるように点灯したのも話題を呼んだ。エンジンも新開発のOHC機構を持つL型で、リヤにセミトレーリングアーム式を採用した4輪独立サスペンションもコロナを突き放す先進メカニズムだ。もちろん、ブルーバードの伝統である頑健さは継承されている。サファリラリーでの活躍もあって、ブルーバードは海外市場でも名声を轟かせることになった。
3代目ブルーバード(510系)
510は海外市場も視野に、北米での安全基準に適合させるため、車内に突起物(ロック部)ができる三角窓を採用しなかったともいわれている。
車体デザインと同様に、インパネも直線基調で非常にシンプル。これは当時の欧米のトレンドを取り入れたもので、視認性と操作性を重視したもの。SSSに設定された3本スポークステアリングは、ウッドリムのコーンタイプを採用。
1970年式の2ドアクーペ1600SSS。丸形独立メーターが採用されるスポーティーモデル。グローブボックスはマップランプ付きで、開けるとトレイにもなった。シートは黒のビニールレザー。
SSSに搭載された1.6L直4SOHCのL16型エンジンは、SUツンキャブを装着することで圧縮比を9.5に高め最高出力100馬力を達成、L型エンジンの高性能を世に知らしめた。1970年のマイナーチェンジで、1.8LのL18型エンジンも追加された。
4ドアセダン:尻下がりで不評を買った410から直線基調の精悍さを強調。東京芸大出身で当時入社2年半だった社内デザイナー・内野氏の案が採用された510セダン。
4代目ブルーバード(610系)
同時代に出たケンメリスカイラインにも似た特徴的なサイドウインドウライン。ブルーバードU(ユーザーの意味)を名乗ったが販売は低迷した。
売れ行きを左右したのがモータースポーツにおける成績であった
実用品としての機能性能が完成の域に到達した現代の市販車では、モータースポーツからフィードバックされる技術は少なくなっている。たとえば開発中の新型車に求められる信頼性や走行性能は、コンピュータの画面上でたやすく再現できてしまう。最初の試作車ができた段階で、ほとんど市販モデルと同じ完成度を実現できる時代になっているのだ。
しかし、エンジニアが手計算で強度や動きを計算し、鉛筆で図面を引いていた1970年代までは、極限状態における性能や信頼性はモータースポーツという実戦の場で磨くしかなかった。それは文字通り、走る実験室だった。
一方、人々の高性能に対する憧れが今よりずっと高かった当時は、モータースポーツでの勝利は何にも勝るマーケティングの手段でもあった。それを証明するように、1958年のオーストラリア一周ラリーでのクラス優勝で、日産の株価はたちまち上がったという。レースに勝てば本当にクルマが売れた時代だったのだ。
過酷な海外ラリーに挑戦し続けた日産が、この時期に掴んだ成果は大きい。1963年のサファリには、フレームつきのブルーバード310型とともに、セミモノコックボディのセドリックで参戦。1964年のサファリには、モノコックボディ化された410型ブルーバードとセドリックで挑み、セドリックが総合20位に入っている。続く1965年のサファリでは、410型ブルーバードが参戦するも全滅。しかし1966年に4台の410で挑んだサファリで総合5位、6位を獲得し、初めてクラス優勝を手に入れている。
モノコックボディで勝てるクルマを造るためには、それだけの時間と経験が必要だったのだ。その成果として、510型ブルーバードは1968年のテスト参戦を経て、1969年のサファリでついに総合3位/5位/7位/8位。クラス優勝とチーム優勝を得た。そして1970年にはその勢いを駆り、1位/2位/4位/7位を獲得。見事総合優勝とクラス優勝、チーム優勝の三冠に輝き、新聞やTVでも大々的に報道された。それを受け、日本の各メーカーは続々と国際ラリーに参戦。日本車の実力を知らしめるとともに、世界一の信頼耐久性を実戦の中で実現させていくのである。
ダットサン富士号(210)
1957年にトヨペットクラウンが日本車で初めて海外ラリー(豪州一周ラリー)に参戦、その完走は大いに話題となった。日産は翌1958年の豪州ラリー(19日間で総走行距離1万6000km)に2台の210型で出場。Aクラス(1000cc以下)で富士号が優勝する(もう1台の桜号は4位)。
豪州一周ラリーに参戦(1958年)
当時世界最長を誇った、広い豪州1万6000kmを19日間かけて一周するラリー。無謀とも思える挑戦を実現させた1人が、ミスターKこと片山豊氏(当時は宣伝課長)だった。
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