スカイラインGT-Rの50連勝を止めた刺客! サバンナGTという伝説│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

スカイラインGT-Rの50連勝を止めた刺客! サバンナGTという伝説

スカイラインGT-Rの50連勝を止めた刺客! サバンナGTという伝説

1970年代になってマツダは、「ロータリーゼーション」と銘打って、多くのクルマにロータリーエンジン(RE)車を設定。中でもサバンナは特別な存在で、コスモスポーツに続くロータリー専用モデルとなった。発売時のキャッチコピーは「直感、サバンナ」。それは見て走ってダイレクトに感じられる魅力に溢れていた。1971年末の富士スピードウェイ。サバンナは当時国内レースで飛ぶ鳥を落とす勢いだったスカイラインGT-Rの50連勝を阻止。若者を中心にその人気は決定的なものとなった。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

ボンネット上のエアアウトレット(ダミー)やオーバーフェンダー、リヤウインドウサイドの爬虫類風エアアウトレットなど、セールスコピーどおり「感性を刺激」するデザインであった。

コスモスポーツの後、REのフルラインナップ化を図ったマツダ

数々の課題を独自の技術で乗り越え、東洋工業(現マツダ)が1967年に発売にこぎ着けたコスモスポーツは、世界初の2ローター量産ロータリーエンジン車として世界の注目を浴びた。ただし、軽量コンパクトなロータリーエンジンの特性を活かすために選ばれた、2人乗りのスポーツカーという車型は、今も昔も量販が見込める商品ではない。

不利な条件で購入した巨額のパテント料や開発費用を回収するためには、より多くのモデルにロータリーエンジンを搭載し、量産効果を高める必要がある。東洋工業はロータリーゼーションを謳って、搭載車の拡大を図った。第一弾は1968年のファミリア。コスモスポーツから移植された10A型ロータリーエンジンが発する100馬力のパワーは本来が1Lのレシプロエンジンを搭載する実用小型車だったファミリアに、スポーツカーの走りを実現。ロータリークーペの名はたちまち高性能の代名詞となり、若者からの認知度は一気に高まった。トヨタがのちにカローラ/スプリンターのクーペボディにセリカのDOHCエンジンを移植した、レビン/トレノを作るのも、ファミリアロータリークーペの成功に刺激されてのことだった。

続いて1969年に登場したルーチェロータリークーペは、一転してベルトーネの美しいデザインを纏った高級パーソナルカーだった。史上初のロータリー+FFは技術的には失敗で、高価なこともあり、わずかな生産台数で終わるが、その挑戦的な企画は話題を呼んだ。さらに東洋工業は、均整の取れたプレーンなデザインに、排気量を拡大した12A型エンジンを搭載したミドルクラスのカペラを1970年に投入、自動車の本場欧州でも評価を得る。今日でも海外での評価が高いアテンザ、海外名マツダ6の源流だ。

ヘッドライト部とグリル部を独立させ、三分割されたフロントフェイス。グリルの中央にはローター型のオーナメントが付く。デビュー時のトップモデルは8トラックステレオを装備したGSⅡ。

サバンナクーペGSII 主要諸元(1971年)
●全長×全幅×全高:4065×1595×1350mm ●ホイールベース:2310mm ●トレッド(前/後):1300/1290mm ●車両重量:875kg ●乗車定員:5名 ●エンジン(10A型):直列2ローター491cc×2 ●最高出力:105ps/7000rpm ●最大トルク:13.7kg-m/3500rpm ●最高速度:180km/h ●最小回転半径:4.3m ●トランスミッション:前進4段/後進1段●サスペンション(前/後):マクファーソンストラット/半楕円リーフリジッド ●タイヤ:Z78(6.15)-13 4PR ◎新車当時価格:75万円

もともとファミリアに搭載されていた10A型ロータリーをハイチューンすることで+5馬力の105馬力を発揮。

時、ツーリングカーレースで無双だったGT-Rを破ったサバンナGT

そうして、小型、高級、中型とラインナップを拡大したロータリーエンジン搭載車の本命として、1971年に登場したのがサバンナだ。今日のマツダの魂動デザインにも通じる、彫りの深いマスクやグラマラスなフェンダーラインを持つ、ロータリーエンジン専用車。登場当初に搭載された10A型は、ファミリアより5馬力ハイチューンの105馬力だったが、登場の翌年には120馬力を発揮する12A型を搭載するGTが投入され、目論見通り大人気となる。なによりもその名を轟かせることになったのは、ツーリングカーレースで破竹の快進撃を続けていた、スカイラインGT-Rの連勝を阻むという快挙だった。

1960年代の東洋工業は、いち早く海外のレースに参戦していた。コスモスポーツも、デビュー間もない1968年にはニュルブルクリンクの耐久レースに挑んでいる。ファミリアロータリークーペも、1969年のスパ・フランコルシャン24時間レースで5位に食い込むなど、欧州のレースでも健闘した。しかし、当時の国内レースシーンでは、スカイラインが人気、実力ともに圧倒的。中でも純レーシングカーであるR380用のエンジンをデチューンした6気筒DOHC24バルブを積むGT-Rは、1969年にデビューするや連戦連勝を続けていた。サバンナはその前に立ちふさがるべく、国内レースに投入されたのだ。

エンジンが高性能なだけでなく、4輪独立サスペンションのスカイラインは、ハンドリングもハイレベル。対するサバンナは、カペラには採用されたリンク式のリヤサスではなく、北米の安全基準を満たす強度のためと言われる、リーフリジッドの古臭い足回りだった。

それでも、スカイラインよりずっとコンパクトで軽いボディと、やはり軽量コンパクトでシンプルな構造のロータリーエンジンを利して、タイトなコーナリングや立ち上がり加速で優位に立ち、ついにスカイラインを仕留めた。

スカイラインの50連覇を阻止した伝説の富士TT500マイル。翌年の1972年日本グランプリでは1-3位の表彰台を独占し、「マツダRX-3」は1978年には国内レース100勝を達成する。

GT-Rを破った功績により、国内ばかりか海外でも高く評価されたロータリーエンジン

そうした個性は国内だけでなく、当時本格化し始めていた輸出先の北米市場でも評価された。他の日本車とはひと味違う個性的なデザイン。ひと回り大きなスポーツカーを追い回せる、爆発的な加速力。そしてなによりも、若者にも手の届く手頃な価格のサバンナは、ロータリーエンジンの魅力を世界に広める役割を果たした。

さらに、アメリカのメーカーがこぞって達成不可能と主張した大気浄化法、通称マスキー法を、ホンダのCVCCエンジンに続いてロータリーエンジンがクリアしたのも、高い技術力の証明として彼の地では喝采を浴びた。

ロータリーエンジンは構造上、燃焼室の温度がレシプロより低く、NOx(窒素酸化物)の発生が少ない。その代わりにHC(炭化水素)が多く、当初はそれが北米でも問題視された。しかし、東洋工業の技術陣は、排ガスにポンプで高温の空気を送り込み、有害物質を燃やし尽くすサーマルリアクター方式で規制値をクリアしたのだ。

そうして、海外ではRX -3の名で売られたサバンナは、1970年にわずか6000台程度だった東洋工業の北米での販売台数を、1973年にはなんと15万台近くへと急伸させる原動力となる。

10A型から排気量アップさせた12A型エンジンを搭載したGT。ツーリングカーレースにおいても、その実力を如何なく発揮した。

インパネにも大きな変更はない。センターコンソールの角型4連メーターは、丸型の3連のものに変更されている。

GTのシートは形状/生地ともに変更されている。座面/背面ともにセンター部には穴開きリベットによる空気穴が開けられている。

サバンナGTクーペのリアシートは、左右が独立して少し窪んだバケット形状に近いデザインとなっている。ヘッドクリアランスは、流麗な「アーチェリーカーブ」と呼ばれるルーフラインのためタイトであった。

T型ダッシュボード中央上部の3連メーター(左から水温計/バッテリー電流計/燃料計/時計)は、初期型は四角だが、後期型は丸型に変更されている。ホーンボタンはステアリング中央部だけ。またメーターの隙間などに間口は狭めだが、奥行きのあるいくつかの小物入れが設けられていた。

当初ファミリアの10A型ロータリーの改良型エンジンを搭載したが、翌年、カペラに採用されていた12A型を搭載したGTが登場。もともとサバンナは車格的には12A型を積むカペラとファミリアの間を受け持つ車種だった。※写真はRX-7搭載エンジン

【1971 年サバンナ4ドアセダン/ サバンナスポーツワゴン】

カタログには「ひと味違うファミリードライブを」と書かれた4ドアセダン。廉価モデルのスタンダードは60万円と、クーペと同じ値付けだった。

1972年1月に追加されたスポーツワゴン。荷室を大きくとるため、セダン/クーペとはリヤショックアブソーバーの取り付け位置が変更された。

中東戦争の影響を受け原油価格が高騰。「ガス食い」のレッテルを貼られたRE

が、好事魔多し。新たな難敵が、ロータリーエンジンを襲うのだ。1973年10月、イスラエルとアラブ諸国との間に勃発した第四次中東戦争をきっかけに、原油価格が高騰した。世界の経済を大混乱に陥らせる、オイル・ショックの引き金が引かれたのだ。水より安いガソリンが自動車社会を支えていた北米市場は、ヒステリックなまでに反応し、燃費性能への注目が集まる。最終的にそのトレンドは、低燃費の日本車の評価を高めるのだが、残念ながらロータリーエンジンだけはその例外にされてしまった。

それまで高性能に熱狂していた同じアメリカ人が、ロータリーエンジンにつけた呼び名は「ガス食い」。その悪名は日本にも伝播して、ロータリーは燃費が悪いという悪評が流布してしまう。

実際のところは、当時のアメリカ車の主流だった3LクラスのV6エンジンと遜色のない性能のロータリーエンジンが、似たような燃費であることを指弾される謂れはなかった。しかし、スポーツカーはともかく、実用車にも搭載されていたロータリーエンジンは、その後の米国における喫煙者や肥満者のように、感情的な非難の対象にされてしまったのだ。

悪玉に祭り上げられたREだが、サバンナRX-7の登場で大きく風向きが変わることになる

じつは、オイルショックが起きる直前には、日産やGMもロータリーエンジンの開発に成功し、市販車の登場も秒読み段階になっていた。しかし、いきなり吹きつけた強い逆風に、それらのプロジェクトはことごとくついえた。もちろん、東洋工業のエンジニアたちも懸命に技術開発を続け、1975年には、じつに40%もの燃費向上を実現している。しかし、一度ついてしまった悪評を払拭するのは容易なことではなかった。北米でぱったりと売れなくなったロータリーエンジンが重荷になり、東洋工業は銀行から送り込まれた社長を受け入れざるを得ないところまで追い込まれてしまったのだ。

しかし、存亡の危機に陥ったロータリーエンジンを救ったのもまた、外から送り込まれた経営陣だった。彼らの舵取りの下、レシプロ専用車に生まれ変わったファミリアがヒット。さらに、ロータリーエンジンの特性を活かしたスポーツカーの開発にGOが出る。そうして、1978年に登場したサバンナRX-7が、ふたたび世界のロータリーエンジンへの評価を変える。レシプロエンジンは絶対に入らない、低いボンネットを持つピュアスポーツカーは、ポルシェの性能が半値で買えると評され、北米でも爆発的な人気を得るのだ。コスモスポーツからサバンナRX-3、そしてRX-7へ。ロータリーエンジンは、やはりスポーツカーでこそ、活きたのだった。

存亡の危機に陥ったロータリーエンジンを救った救世主は、1978年に登場したサバンナRX-7だった。

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