
1960年代、日本のモータリゼーションは大きな転換期を迎えました。庶民の憧れだったマイカーは軽自動車から始まりましたが、当時の小型車市場を支えていたのは富裕層と、何より「プロの目」を持つタクシー業界でした。「技術の日産」を象徴するブルーバードに対し、トヨタのコロナは故障の多さから苦戦を強いられます。その劣勢を覆したのは、開通したばかりの名神高速道路を舞台にした「10万キロ連続走行」という乾坤一擲のイベントでした。熾烈な「BC戦争」の裏側にあったのは、未成熟ゆえの試行錯誤と、インフラ整備を巧みに利用したマーケティング戦略です。日本車が世界の道を駆ける礎となった、エンジニアと営業の執念のドラマを紐解きます。
●文:横田 晃
1957年(昭和32年)11月に登場したダットサン(210型)は日産初のOHVを採用した直4988cc、34馬力の新エンジンを搭載。その性能を広くアピールするために、1958年開催されたオーストラリア一周ラリーに2台の210型が挑み、富士号はAクラスという部門で優勝の快挙を達成した
〝技術の日産〟の名を轟かせたダットサン
スバル360の登場で、軽乗用車は庶民のマイカー候補として熱い視線を浴びるようになり、1960年代になると、マツダやスズキ、三菱などが続々と新型軽乗用車を投入しました。とはいえ当時の軽乗用車は、高速道路では普通車より低い制限速度にも到達できない半人前の性能です。本当は小型車以上の自家用車が欲しいけれど手が届かない人々が、仕方なく(しかしかなりの無理をして)軽乗用車を買っていました。
では、小型車以上のクルマは誰が買っていたのかというと、個人ユーザーはいわゆる富裕層。今なら1000万円ぐらいする高級輸入車に乗っているような人たちです。そしてもうひとつのボリュームユーザーがタクシー業界でした。当然、国内の自動車メーカーはその両者の顧客を意識してクルマを開発しました。
日産はオースチンで学んだクルマ作りを活かしながら、日本の悪路でも壊れない頑丈なダットサンを1955年の110型、1957年の210型へと進化させます。1958年に出走車の半分しか完走できない過酷なオーストラリア一周ラリーで見事クラス優勝を勝ち取ると、たちまち〝技術の日産〟の名声が轟いたのです。
海外ラリーの勝利で株価まで上がったその理由は、それほど丈夫なクルマなら、タクシー業界御用達になるだろうと思われたから。実際、ダットサンはたちまち小型クラスのタクシーの定番になりました。対するトヨタのクラウンも頑丈な作りで中型クラスを制し、以後長らくタクシーの主役となります。
一方、立川飛行機出身者たちが興したたま自動車も、旧中島飛行機が分割された後の一社である富士精密工業と1954年に合併してプリンス自動車となり、1957年には、先進的な設計の初代スカイラインを生み出しました。しかし、クラスとしてはクラウンのガチンコライバルとなるこちらは、あまりタクシーには使われていません。
トヨタが全国のディーラー網をすでに構築していて、酷使に耐えるサービス体制も確立していたのに対して、航空機エンジニアが開発したプリンスは性能は高いものの、メカニズムが繊細すぎるしディーラー網の整備も十分でなく、タクシーのタフな使い方には向かないと考えられたのでしょう。
先にいすゞや日野が大型車のようなビジネスのやり方では乗用車が売れなかった話をしましたが、クルマという商品を売るためには、ただいいものを作ればいいというものではなく、ユーザーとの接点となるディーラーのきめ細かな設置や充実したサービス体制の構築など、ものづくり以外の部分も大切なのです。
ダットサン210の後継で、初めて「ブルーバード」のペットネームが使われた。エステートワゴンや女性仕様車の追加など、タクシーにとどまらず、個人オーナーにも人気となった。
クルマの評価はタクシー業界が決めた時代だった
ダットサンに押さえられた小型タクシー市場で巻き返すために、トヨタも頑丈な作りの初代コロナを1957年に出しますが、ダットサンにかないません。それどころか上り調子の日産は1959年に210型の事実上の後継車となる初代ブルーバードに、ウインカーの作動音をオルゴールにしたり、化粧鏡をつけるなどした日本初の女性仕様を設定。タクシー業界だけでなく、富裕層の個人オーナーからも支持されました。まだ女性ドライバーが数少なかったこの時代に、ブルーバードをさっそうと乗りこなす女性は、さぞかしかっこよく見えたことでしょう。
それなら、とトヨタは1960年に繊細であか抜けたデザインとして2代目コロナを送りだし、個人ユーザーを狙います。女性ドライバーを意識して、このクラスでは初となるAT(オートマチックトランスミッション)も設定しましたが、今度は繊細なデザインのボディがタクシー業界から華奢な作りだと敬遠されてしまい、実際にタクシーで酷使されるとメカニズムにもトラブルが多発したのです。
初代コロナはトラックのような頑丈一点張りのメカニズムでしたが、2代目ではクラウンで信頼性が確認された部品も使いつつ、最新の内容を盛り込んだはずでした。しかし、上級のクラウンの部品を使ったせいで、かえってバランスが崩れて無理な負荷がかかる場合もあることが、のちの分析で判明します。まだまだ日本の乗用車開発には、やってみて初めてわかるそうした発見が数多くあったのです。
まだ小型車に手の届かない当時の一般ユーザーの間では、タクシー業界の声が評価を左右しました。自分では買えなくても、社用で乗ったタクシーの運転手さんが「今度のコロナはギヤが弱くてね」なんて言えば、プロの評価ですから信じます。おかげで乗ったこともない一般ユーザーたちも「コロナは弱いってさ」と悪い評判を広める始末。これはなんとかしなくてはなりません。
そこで、1964年に登場した3代目コロナで、トヨタは連続10万㎞チャレンジという派手なイベント企画を打ちます。1963年7月に滋賀県の栗東から兵庫県の尼崎までが部分開通した日本初の高速道路・名神が、翌年9月5日に東は愛知県の一宮、西は兵庫県の西宮まで開通したその日にコロナを発表した上で、給油と点検の時間以外はドライバーを交代しながら休まず名神高速を往復させ、10万㎞を走り切ろうという挑戦です。
高速道路の延伸開通は、最近ではあまり大きな話題にはなりませんが、当時は新聞やTVのニュースでも「高速時代がやってきた」とこぞって取り上げるイベントでした。そのポジティブなムードに、トヨタは巧みに乗ったのです。
1964年9月14日正午に3台のコロナで始まった挑戦は、途中で居眠り運転のトラックに追突されて1台がリタイアしたものの、残る2台が58日間で276往復をノートラブルで走り切り、大々的に成功がアピールされました。その効果はてきめんで、「新型コロナは連続高速走行でも壊れない」という評判が立ち、小型タクシーとしても引っ張りだこの人気になりました。
今では各メーカーとも新型車の開発中に、テストコースで10万㎞程度を走り切る耐久性の確認実験を当たり前にしています。でも、まだテストコースすら珍しかった当時は、自動車メーカーでも本当にそれが可能かどうか、わからない状態で新車を発売していました。1957年にいち早く自前のテストコースを建設したトヨタでは、コロナの開発中にしっかりと耐久性の実験もした上で、公道でのチャレンジというイベントを仕掛けて成功したのです。
じつはこの3代目コロナの直接のライバルとなる日産のブルーバードは、コロナの前年の1963年に2代目にモデルチェンジしていました。そのデザインはイタリアのピニンファリーナに依頼した、今見るとスタイリッシュなもの(アニメの『ルパン三世カリオストロの城』で銭形警部が乗っていた埼玉県警のパトカーです。アニメファンには『銭ブル』と呼ばれました)でしたが、当時の日本人には理解できず、思ったほど売れませんでした。そんな〝敵失〟もあり、コロナはブルーバードとの販売競争に初めて勝ちました。以後もブルーバードとコロナは、代を重ねるごとに激しい販売合戦を繰り広げ、車名の頭文字からBC戦争とも呼ばれました。
3代目コロナの信頼耐久性の高さと高速走行も十分にこなせる性能は海外でも通用し、初めてアメリカで売れた日本車になりました。初代クラウンはフリーウェイに合流できないと笑わて、泣く泣く輸出を諦めましたが、それから10年足らずで、トヨタは見事にリベンジを果たしたのでした。
(横田 晃著「教養としてのニッポン自動車産業史」 内外出版社刊)より
3代目コロナ(コロナラインを除く)は4ドアセダンのみでスタート。グレードはスタンダード(4速マニュアル)とデラックス(4速マニュアルおよび2速トヨグライド)。クリーンカットと呼ぶスクエアなグリルとボディ側面を一直線に走るアローラインを特徴とした。
ノントラブルのまま名神全線を276往復。無事にゴールして出迎えを受けるコロナ。このイベントの効果は大きく、その年の12月には月販8400台あまりを売り、ブルーバードに肩を並べる。
「教養としてのニッポン自動車産業史」 横田 晃(著)内外出版社刊
教養としてのニッポン自動車産業史
内外出版社刊
総ページ:288ページ 1,760円(税込)
自動車社会は100年に1度の大変革期にあると言われています。報道では、日本の自動車産業が変革に乗り遅れたと、危機を煽る論調の報道も少なくありません。しかし、戦後わずか80年で世界一の自動車大国に上り詰めた日本の本領発揮は、まだまだこれから、というのが本書の趣旨です。
80年前まで、日本の自動車産業はほとんど「存在しない」に等しい状態でした。そこから世界をリードする産業へ発展するまでには、数え切れないほどの挑戦と試行錯誤のドラマがあります。世界一のメーカーとなったトヨタですら倒産の危機に直面したし、夢破れて舞台を去った起業家や技術者も数多くいます。今ではどの自動車メーカーも大企業ですが、最初から順風満帆だった会社などひとつもありません。
本書では、自動車雑誌の編集に40年以上関わってきた著者が、自動車ゼロの戦前~販売台数過去最高を記録した1990年代までの歩みを解説。主には自動車産業に起った出来事、自動車メーカーの成長と育まれていく個性、活躍した人物、時代を象徴する名車について紹介します。
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