ミツビシ・パジェロ(初代) オフローダーをレジャービークルに変えた、愛すべき革命児【名車探訪Vol.06】

民生向けにも4WD車が売れ始め、ビッグホーンやジムニーなどライバルが次々に登場する中、いかにも時代遅れのジープは大胆な近代化/乗用車化が必要と訴える開発側。かたや一方販売サイドは、急激な変革でそれまで一番のお得意様だった自衛隊などへの納入に悪影響がでることを懸念していた。そんな葛藤を経て発売された初代パジェロは、折からの好景気やレジャーブームに乗って予想外のヒット。市場の声に応えるべく、年々豪華で快適なクロスカントリー4WDモデルへと進化していった。

●文:横田 晃

長年、ジープをライセンス生産してきた三菱だからこそ生まれた、オリジナルの4WD車

まったく新しいコンセプトの新型車が世に出るまでには、多くの関門がある。ときにはどれほど出来栄えがよくても、経営陣の理解が得られずに世に出ることなく消えてしまう企画もあれば、開発途中で世の中の状況が変わり、軌道修正されて、まったく別のクルマになるなんてこともある。

1982年に登場したパジェロは、そうした関門を苦労して乗り越え、作り手側が予想していなかったほどのヒットとなった。それは、オフロードカーの代表格であるジープを長年作り続けてきた三菱だからこそ企画され、日本が十分に豊かになった時代に生まれたからこそ、成功した一台だった。

三菱は1952年からアメリカのウイリスオーバーランド社製ジープのノックダウン生産(部品を輸入して国内で組み立てる)を始めていた。それは同年に発足した保安隊(現在の陸上自衛隊)の軍用車両としての需要に支えられ、建設業や林業、電力会社などの現場でも欠かせない足となった。

ただし、1956年にその完全国産化を完了しても、ウイリス社との契約で北米などの先進国への輸出はできず、庶民のマイカーは〝遠い憧れ〟という当時は、国内需要も知れていた。そこで、三菱はジープで培った技術を活かしつつ、ウイリス社のライセンスに抵触しない、オリジナルの4WD車開発を開始。1978年にピックアップトラックのフォルテとして発売される。

デビューからしばらくはショートホイールベース(2350㎜ )のメタルトップとキャンバストップのみ。エンジンはそれぞれに2.3Lのディーゼルとディーゼルターボ、2.0Lのガソリンの3タイプが用意された。

ミッドルーフワゴン・3000スーパーエクシード(1989年式)
●全長×全幅×全高:4605㎜×1785㎜×1900㎜●ホイールベース:2695㎜●トレッド(前/後):1435㎜/1450㎜●車両重量:1930㎏●乗車定員:7名●エンジン(6G72型):V型6気筒SOHC 2972㏄ ●最高出力:150PS/5000rpm● 最大トルク:23.5㎏・m/2500rpm ●10モード燃費:6.8㎞ /L●最小回転半径:5.9m●トランスミッション:4AT●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式/3リンクコイル式 ●タイヤ:265/70R15◎新車当時価格(東京地区):333.0万円

スーパーエクシードのインパネ。パジェロ自慢のコンビネーション(3連)メーターは、右から高度計/傾斜計/デジタル内外気温計。ちなみに初期モデルは油圧計/傾斜計/電圧計の配置だった。また標準装備のカセットデッキは7曲までの飛び越し選曲ができる当時の最新タイプ。

スーパーエクシードは本革+ファブリックのコンビシートを標準装備。運転席と助手席はヒーター付き(座面+バックレスト)

サイクロンV6エンジン(6G72型)
開発当初は(ランドクルーザーなどに比べ)大きすぎないことを商品企画としたパジェロだが、バブルに向かう好景気とともにボディは大きくなり、後期モデルにはV6の3.0Lの6G72型も搭載されている。

ラダーフレームやサスペンションは小型トラックのフォルテ、パジェロと同じ年に発売されたデリカ4WDと共通とし、開発の効率化が図られた。パートタイム式4WDで、舗装路では後輪2輪駆動も可。オートマチックフリーハブもオプション設定された。

ピックアップトラックのシャシーを使いながら、スタイリッシュで快適なオフローダーとして企画

そのシャシーを使い、ジープやピックアップトラックには求められない、スタイリッシュで快適な本格オフロードカーとして企画されたのがパジェロだった。ただし、固定客を相手に、半ば手作りで生産されていたジープとは違い、量産が前提のパジェロの企画は、当初三菱社内でも理解されなかった。大規模な投資で大量生産ラインを組んでも、その回収は難しいと思われたのだ。

しかし、世界市場で月間1900台という大風呂敷の需要予測で企画を通した開発陣の苦労は、見事に報われた。4ナンバーの商用2ドア車しかなかった発売当初こそ、苦戦したが、クラス初の5ナンバー乗用規格の4ドア車やAT車が出揃った1985年に年間1万台の大台に乗せ、豪華仕様のエクシードが1987年に加わると、勢いはさらに加速。2代目の登場翌年の1992年には、国内だけで8万台あまりを売るベストセラーモデルとなる。

人々がクルマでライフスタイルを表現する。そんな豊かな時代に、本物のオフロード性能と快適性を両立させたパジェロは、ファッショナブルで個性的な乗り物として爆発的に支持されたのだ。今でこそ、軽自動車からミニバンまで、多くの乗用車で4WDが選べるが、1960年代までのそれは、足元の悪い現場用の特殊車両というのが世界の共通認識。

1970年代にスバルが世界初の乗用車型4WDを発売するが、それとて、快適な現場巡回車を求める東北電力の要望から生まれたものだ。パジェロ登場以前のジープは、その特殊車両の最たるもの。荒れ果てた戦場を何がなんでも走り抜けるのが目的だから、とにかく堅牢で信頼できることが設計思想だ。走破性こそ高かったが、悪路はもちろん、一般道でも長時間の乗車が苦痛なほど乗り心地は悪いし、4WDのメカはガーガーとうるさく、高速道路で横風にあおられると、どこに飛んで行くかわからないほどシャシー性能は低かった。

ジープ譲りの悪路走破性と乗用車的な快適性を両立させた、世界初の乗用車型オフロード4WDだった。

メタルトップ/キャンバストップ(1984年式)
デビューからしばらくはショートホイールベース(2350㎜ )のメタルトップとキャンバストップのみ。エンジンはそれぞれに2.3ℓのディーゼルとディーゼルターボ、2.0ℓのガソリンの3タイプが用意された。

悪路の振動を車体だけでなく、シートでも吸収するサスペンションシートを運転席に採用。コイルスプリングとショックアブソーバーを組み合わせたパンタグラフ構造で、体重(50kg~ 100kg)にあわせてスプリング力の調整も可能。また平坦路ではサスペンション機能をオフにし、3段階のシート高で固定することもできた。

パジェロ自慢のコンビネーション(3連)メーターは、初期モデルは油圧計/傾斜計/電圧計の配置となる。のちに高度計/傾斜計/デジタル内外気温計に変更された。

パジェロは改良に伴って搭載エンジンも変わるが、初期のフラッグシップが写真の4D55型2.3ℓディーゼルターボ(95PS/ 18.5㎏ ・m)。ポルシェやフィアットにも採用された三菱自慢のサイレントシャフトが、ディーゼルの宿命とも言える振動や騒音を低減。

ジープの高い走破性をそのままに、乗用車としての快適性を求めて開発

日本でも高速道路網の整備が進んだ1970年代には、それではマイカーとしては通用しない。そのころには、乗用車造りのノウハウを十分に蓄積していた三菱の開発陣は、高い走破性はそのままに、ジープのネガを払拭することを目指した。

ギヤ式のトランスファーを独自のサイレントチェーン方式に改めることで、高速走行でのギヤ鳴りを抑えた。動きの悪い前後固定軸による乗り心地の悪さは、前輪にトーションバーを使ったダブルウィッシュボーン式の独立サスペンションを与えて改善。後輪へのドライブシャフトをトランスファーからではなく、トランスミッション後部から引き出すことで、リヤデフのオフセット正して、しっかりした直進性を持たせた。2WDでの快適で経済的な高速巡航が簡単にできるように、乗車したままで前輪への駆動系を断続できるフリーホイールハブも開発。そのすべてが特殊車両には求められないものだった。

基本設計の段階で、エンジンの搭載位置から見直すことで前後の重量配分を最適化し、従来のオフロードカーには求められなかった軽快なハンドリングや、横風にあおられてもびくともしない安心感も実現させている。

ジープの時代から定評のあったディーゼルエンジンを始めとするパワーユニットには、当時三菱が最先端を走っていたターボが積極的に与えられていたのも、オールラウンドクルーザーとしてのパジェロの性格を補強した。

そうした設計の確かさは、登場翌年の1983年から挑戦が始まったパリ・ダカールラリーでも証明された。なにより誇るべきは、市販車部門での数多くの優勝。ディーラーで買える普通のパジェロが、オフロードのスーパーカーの性能を備えていたのだ。

砂嵐などで完走率約20%、過去最悪とも言えるサバイバルレースとなった第10回パリ・ダカール・ラリー。チーム・シチズン夏木の篠塚は、優勝まであと一歩、総合2位の大健闘を見せる。

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