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[画像 No.14/18]国産FF車を世界レベルに導いた先駆者 ニッサン チェリークーペ(初代)【名車探訪Vol.12】

チェリーF-Ⅱ
プリンス技術陣のこだわりと意地が込められたチェリーは、1974年に2代目へと移行した。ただし、その内容は初代ほど斬新なものではなかった。すっかり日産の経営機構に組み込まれた荻窪の開発陣は、F-Ⅱのサブネームが与えられた2代目チェリーを凡庸な上級指向のコンセプトで開発せざるを得なかったのだった。
ボディサイズはサニークラスまで拡大され、室内空間はより広くなった。日産の基準に則って初代クーペの死角だらけの視界は改善され、高速道路の合流で怖い思いをすることもなくなった。初代ではトリッキーで扱いにくかったハンドリングも洗練され、騒音振動もすっかり上級車並みになっていた。