
ホンダを代表する名車は数多くあって、年代毎にもいくつか挙げられると思いますが、オープンスポーツのモデルを遡っていくと、この「ホンダ・スポーツ」シリーズに行き当たります。しかもこの「ホンダ・スポーツ」シリーズは、ホンダが初めて市販した乗用車なんです。初めて発売されるモデルというのは、いつでもそのメーカーの戦略や意欲がたくさん詰まっています。この「ホンダ・スポーツ」にはホンダの創業者であり、日本の自動車界の偉人「本田宗一郎」の夢が込められていました。ここでは「ホンダ・スポーツ」シリーズの「S500/600/800」オープン三兄弟を紹介していきましょう。
●文:往機人(月刊自家用車編集部)
世界一の二輪技術を注いだ暴れん坊として誕生
前述のように、「ホンダ・S500/S600/S800」は、オートバイメーカーだったホンダが初めて4輪の乗用車としてリリースしたモデルです。
このモデルが初めて発表されたのは、1962年10月に開催された「第9回全日本自動車ショー」でした。
この当時、海外の産業市場を睨んでいた通産省は、国際的な競争力の強化のために日本の自動車メーカーの数を減らす方針を打ち出していました。
それを知って奮い立ったのが御大「本田宗一郎」です。以前から「世界に誇れる4輪の乗用車を作る」という夢を温めていた御大は、ウカウカしていると業界の再編成に巻き込まれて乗用車の市場に参入できなくなってしまうと考え、急遽乗用車の計画を進めることになったそうです。
計画は総力を挙げて開始されましたが、それまで2輪の世界で確固たる地位を築いていたホンダですが、4輪車の製造はしたことがありません。しかも開発期間が1年しかないという状況で、いくら何でもムリだと考えます。
しかし、そこは創業当初からムリを通してきた御大が率いるメーカーです。
「なんとしても間に合わせる!」という意気込みで、翌年のショーでの発表に滑り込みで間に合わせてしまいました。
おそらく就業状況はブラックどころの話ではなかったでしょう。
発表当初は軽自動車規格を中心に据えていて、「スポーツ360」とその排気量拡大版の「スポーツ500」の2本立てで開発をスタートしたようです。
しかしそこから“宗一郎節”が炸裂します。理想のオープンスポーツを作り上げるという理想に従い、軽規格を切り捨てました。
それまでは360と共用のボディの構想だったため車体サイズはミニマムで制約だらけでしたが、その枠を取っ払ったことで居住性が大きく向上し、さらにスポーツカーとして理想に近いホイールベース/トレッド比を実現できました。
そうして1963年の10月に、ホンダ初の4輪乗用車「S500」が発売されました。
ホンダ・S500。リリースレベルの発売は1963年10月で、当時の価格は45万9000円。実際にデリバリーが開始されたのは1964年1月からで、その数か月後の1963年3月には早くもS600に変更されることになる。そのためS500の国内登録台数はわずか500台程度といわれる。
ホンダ・S500の発売以降、四輪販売&サービス網を拡充が本格化。ホンダの四輪メーカーの礎を築いたモデルとしても有名だ。
ホンダ・S500
オートバイ屋らしい機構が散見される独特のつくり
それまで国産車には無かったスリムで繊細な印象のデザインは、当時世界的に評価が高く高い地位にあった英国のスポーツカーを参考にデザインされたそうです。
そんな理由もあって、随所に「MG」に通じる面影を感じますが、図らずも同時期に発売された「メルセデスベンツ 230SL」に意匠が似ているのはおもしろい偶然ですね。
デザインのテーマは「赤が似合う」というもので、具体的なガイドがないことから、御大のイメージに合うようにまとめるのに、かなりのやり直しを余儀なくされたという話もあります。
搭載されるエンジンは、2輪のレースで世界の頂点に立ったホンダの技術が大いに盛り込まれたものでした。
これは推測ですが、ホンダがF1に初参戦するのが1964年なので、そのユニット開発のノウハウも共有されていたものと思われます。
エンジンの型式は「AS280E」。531ccの排気量を持つ水冷の直列4気筒で、国産の乗用車では初となるDOHCという、吸排気でそれぞれ独立したカムシャフトを持つ構成のユニットです。
ホンダ・S500に搭載される「AS280E」。531ccの排気量を持つ水冷の直列4気筒ユニット。
当時はエンジン1機あたり1つのキャブレターという構成が主流でしたが、気筒あたり1つずつ、計4つのキャブレターを備えた、まさにオートバイのような構成を採っていました。これは今では高性能エンジンの証となっている4スロ、6スロという構成の元祖と言えます。
最高出力は44 ps/8000rpm、最大トルクが4.6 kgm/4500rpmと、乗用車としては特筆すべき値ではありませんが、レッドゾーンは当時オートバイでも当たり前ではなかった9500rpmと超高回転型で、ふけ上がりのフィーリングは唯一無二だったようです。
ボンネットは高速時に浮き上がらないように前ヒンジ式を採用している。
走りの良さを支えるサスペンションは、フロントがこのあとホンダ車の伝統となるダブルウイッシュボーン方式で、バネはコイルスプリングではなくシャフトのねじれを使うトーションバーを採用しています。
そしてリヤのサスペンション方式が独特です。通常は左右の後輪を結ぶ軸上にデフがありますが、そのデフを後輪の軸上よりかなり前方に配置。デフから左右に出力軸を出し、その軸を支点にスイングアームを後方に延ばして後輪を支えるという構成です。
注目すべきはそのスイングアームで、実際はアームではなく、中に駆動を伝えるスプロケットとチェーンが収まっているので、スイングするチェーンケースと言う方が正確でしょう。
チェーンを採用したのはオートバイ由来だと言えますが、構造的にはスクーターのギヤケースに近いでしょう。
この方式は、限られた空間の中で燃料タンクとスペアタイヤのスペースを作り出すために御大が考え出したものだそうです。
ただし、これ以降の車種には採用されず、このモデルのみのシステムとなっています。
500/600/800のスポーツ三兄弟は、いずれも超希少モデル
先述のように、1963年10月、最初に発売されたのが最も排気量が小さい「S500」です。
それから1年後の1964年4月には、排気量を拡大した「S600」が発売されます。「S500」は期間が短かったことと、やはり車輌の性格に対してエンジンの出力が非力だったことなどで販売がふるわず、約500台という出荷量に留まっています。
「S600」に搭載の「AS285E型」ユニットは606ccに排気量を増したことで最高出力を57PS/8500rpm、最大トルクを5.2kgm/5500rpmに向上させ、当時の1000ccクラスレベルの性能へと引き上げられています。また、クローズドボディにした「S600クーペ」も追加されました。
ホンダ・S600クーペ
そして1966年の1月、最後に登場したのが「S800」です。
その名の通りに搭載される「AS800E型」エンジンは791ccへと排気量がアップされて、最高出力が70ps/8000rpm、最大トルクが6.7kgm/6000rpmへと向上しています。これによって最高速度は160km/hへ引き上げられました。
また、特徴的だったリヤサスペンションですが、1966年4月以降の後期タイプでは一般的なリジットアクスル方式へと変更されています。
「S800」はボンネットフードにだ円の丸い膨らみがあり、テールランプも丸から「D」の字形状になっているので、それで見分けられます。
ホンダ・S800。1966年1月にモデルチェンジ。最高速160km/hを謳うホンダ初の100マイルカーとしても話題を集めた。
実車を目の当たりにすると、今の軽自動車枠に収まってしまうそのコンパクトさに驚かされます。そのコンパクトなボディに、今でもそう多くはない超高回転型のエンジンを搭載しているオープンカーというパッケージは、国産車の歴史を見渡しても唯一無二でしょう。
シートはS500からS800まで大きな変更はなかったが、写真の赤内装が選べたのはS600の前期型まで。ほかには黒内装が用意されていた。
1968年のS800M。米国輸出に対応するため、フロントフェンダーのターンシグナルやボディ四隅のマーカーを追加したほか、ラジアルタイヤや前輪ブレーキのディスク化などが施されている。Sシリーズの最終進化系といえるモデルになる。
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
最新の関連記事(旧車FAN)
欧州スポーツカーとは異なる出自 まずお金の話で失礼しますが、クルマの開発にはそもそも大金がかかります。一例をあげると、ドアを1枚新たに開発するだけで、そのコストは軽く数億から10億円超にもなるといいま[…]
環境の時代を見据えたFF2BOX+省エネ技術 頑強だが垢ぬけない三菱車のイメージを一変させたデザイン クルマの売れ筋のトレンドは、時の世界情勢にも左右される。現在では地球環境保護や気候変動抑制という課[…]
サービスや部品供給の詳細は、2025年秋頃に発表 かねてからホンダは、多様な取引先の協力を得て、生産供給が困難になった部品の代替部品生産の検討していたが、今回、愛着あるクルマに長く乗り続けたいという顧[…]
まずは、旧車で一番人気の「ハコスカ」の燃費はどのぐらい? まずは旧車界のトップアイドル、「ハコスカ」の燃費から見ていきましょう。 ちなみに、ハコスカから後に発売された中上級クラスの日産車のエンジンは、[…]
1989年「レクサス」誕生。最初は「LS」と「ES」の2本立て レクサスの最初の商品は、日本では初代セルシオとして販売されたLSと、カムリのV6エンジン車、プロミネントがベースのES。LSの完成度と比[…]
最新の関連記事(ホンダ)
ファミリーカーの顔と、キャンパーの実力を両立 「デッキワン」は、単なる車中泊用のクルマではない。平日はファミリーカーとして活躍し、週末はアウトドアフィールドで「動くリビング」に早変わりする。選べるルー[…]
市販化される「Honda 0 SUV」プロトタイプを欧州地域で初公開 「Goodwood Festival of Speed」は、英国リッチモンド公爵チャールズ・ゴードン=レノックス卿が1993年に創[…]
サービスや部品供給の詳細は、2025年秋頃に発表 かねてからホンダは、多様な取引先の協力を得て、生産供給が困難になった部品の代替部品生産の検討していたが、今回、愛着あるクルマに長く乗り続けたいという顧[…]
ホンダの黎明期はオートバイメーカー、高い技術力を世界に猛アピール ホンダ初の4輪車は、エポックメイキングどころか、異端児だった!? …と、YouTubeのアオリ動画のタイトルみたいに始めてしまいました[…]
ベース車はホンダ N-VAN e: ! 大空間が魅力のEV軽キャンパーだ 今回紹介する軽キャンピングカーは岡モータース(香川県高松市)のオリジナルモデル、ミニチュアシマウザーCP。ジャパン[…]
人気記事ランキング(全体)
ファミリーカーの顔と、キャンパーの実力を両立 「デッキワン」は、単なる車中泊用のクルマではない。平日はファミリーカーとして活躍し、週末はアウトドアフィールドで「動くリビング」に早変わりする。選べるルー[…]
使い勝手と快適性を両立した室内空間 名前の「アーレ」はドイツ語で“すべて”を意味する言葉。その名に違わず、このモデルには、軽キャンパーに求められるほとんどすべての装備が標準で備わっている。電子レンジや[…]
二人旅にぴったりなダイネット装備モデル 搭載されるエンジンは1500ccガソリンで、2WDと4WDの両方が選択可能。長距離の移動はもちろん、悪路や雪道にも対応できる仕様となっている。NV200より全長[…]
キャンパーシリーズ初の軽モデル トヨタモビリティ神奈川では他にも「キャンパーアルトピアーノ」「ハイエースキャンパー」「ハイエースイージーキャンパー」といったラインナップが展開されている。いずれもタウン[…]
“使える”をコンセプトにした多用途軽キャン 軽キャンとは思えない広さと快適性、そして日常使いにも耐える柔軟性を備えたこのモデルは、「使える軽キャンパー」として多くのユーザーから支持されている。この記事[…]
最新の投稿記事(全体)
サビは放っておくと塗装の下に潜り込んで広がる…!? 綿棒の先ほどの塗膜が剥がれた些細なキズだったとしても、すでにサビが発生していたら要注意! 周囲の塗膜の下に広がっている可能性があるからだ。もしもサビ[…]
快適装備で本気のアウトドアを。走破力と居住性を両立した「デリカMV」という選択 三菱のオールラウンドミニバン「デリカD:5」をベースに、快適な車中泊を可能にする専用装備を架装したこのモデルは、“遊びの[…]
馬車の時代から採用されていたサスペンション サスペンションを日本語にした懸架装置という言葉が長く使われていた。その名のとおり、初期のサスペンションは車輪を車体から吊すものととらえられていたのだ。 サス[…]
「MEB」を採用する、ID.ファミリーの第2弾モデル 今回導入される「ID.Buzz」は、長年「ワーゲンバス」の愛称で親しまれてきたフォルクスワーゲン「Type 2」のヘリテージを継承しつつ、最新の電[…]
一旦気づいてしまうと、目について仕方がないワイパーの水滴のスジ残り。 雨の日が多いこの季節。梅雨前線、ゲリラ豪雨、不安定な空模様……そんな天気の中、クルマを走らせていて気になったのが、ワイパーを使用し[…]