「宿敵ポルシェ」「惨敗の雪辱を果たす…」国産初の本格レーシングカーはテスト中に横転するもとんでもない記録を樹立。決勝レースではついに念願を…

プリンスR380 A-Ⅰ型。デビュー戦の1966年日本グランプリで優勝という鮮烈デビューを果たした。翌年日産自動車との合併により、車名も日産R380に改められた。

1966年の日本グランプリでレースデビュー。1年間熟成が進められたこともあり、デビューでいきなりの優勝。2位、4位にも入賞している。

直列6気筒ギヤトレーンDOHC 1996㏄のGR8型エンジンを搭載する。ツインチョークのウェーバー42DCOEの組み合わせにより200ps/8000rpmを発生する。

R380 A-Ⅰ型(1966年)

1967年第4回日本グランプリで改良型のR380 A-Ⅱ型を投入。出力は220ps/8500rpmへアップし、トランスミッションはヒューランドからZFへ変更されている。

R380 A-Ⅱ型(1967年)

1968年の日本グランプリにはさらに改良が進められたR380 A-Ⅲと後継モデルR381が共に参戦。出力は245ps/8400rpmへ。このレースでは、後継機種のR381がデビュー&優勝を飾っている。

R380の後継車となるR381は、当初日産初の5LV12エンジンを搭載する予定であったが、レースまでには間に合わずシボレーの5.5LV8ユニットを搭載している。エアロスタビライザーと呼ばれた分割可変ウイングが特徴だった。

R381は当初、グループ6規定に合わせたガルウイングドアを持つクローズドボディだった。その後日本GPのレギュレーションが変更されたため、オープンボディとなった。

V型12気筒エンジンが完成し、新型シャシーに搭載。当初は5Lだったが、1969年の日本グランプリ直前に6L搭載の2号車を発表。トヨタ7、ポルシェ917を抑えてワンツーフィニッシュとなり連勝を記録。

Can-Am参戦を目論み開発したが、公害や安全問題で日本グランプリへは不参加、Can-Amも直前にトヨタが起こした死亡事故により参戦を断念。一度もレースには出場していない。最高出力は900ps。