
省エネに自動運転、そして地球環境。21世紀のクルマは、誰もが快適に移動できるクリーンで安全な乗り物へと向かっている。しかし一方で、クルマの操縦そのものを愛するドライバーがいる。騎手・武豊は、稀代の名馬ディープインパクトに騎乗した2年間を「毎日が刺激的で夢のような時間だった」と振り返っている。意のままに操れるハンドリングに優れたオープンカーで、ワインディングロードを疾走する快楽。日本がバブル経済の絶頂を迎えた1989年、もはや商売にならないと言われていた軽量オープンスポーツの魅力を世界に発信、大ヒットしたユーノス ロードスター。あれから35年、古き良きオープンスポーツカーの歴史はまだまだ終わらない。
●文:横田晃(月刊自家用車編集部)
国内向けの右ハンドルモデル。米国で先行販売されたミアータと外観はほぼ同じ。デビュー時はモノグレードで、パワーステアリング/パワーウインドウ/MOMO製本革ステアリング/アルミホイールのスペシャルパッケージ(15万円高)が選べた。
主要諸元 Sスペシャル(1992年式)
●全長×全幅×全高:3970㎜ ×1675㎜ ×1305㎜ ●ホイールベース:2265㎜ ●車両重量:960㎏ ●エンジン(B6型):水冷直列4気筒DOHC1597cc ●最高出力:120PS/6000rpm●最大トルク:14.0kg・m/4000rpm●10・15モード燃費:13.2㎞ /ℓ●最小回転半径:4.6m●燃料タンク容量:45ℓ●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式●ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ディスク●トランスミッション:5速MT●タイヤサイズ:185/60R14 82H●乗車定員:2名 ◎新車当時価格(東京地区):203万円
シンプルでタイトなインテリアは茶室をイメージしてデザインされたという。T字型のインパネはセンターコンソールを除く全面にソフトパッド加工が施される。
角度は限られるもののリクライニングが可能なシートはヘッドレスト部分にスピーカーが埋め込まれる。ノーマルモデルのシートは撥水加工されたクロス地。
ファミリアに積まれる1.6L16バルブDOHC、B6型の改良型エンジンを搭載。
2名乗車時に、ほぼ50対50の前後重量配分を実現するため、エンジンや燃料タンクなどの重量物はホイールベース内に、またアルミ製ボンネットフードや軽量バッテリーでとくに前後オーバーハングの重量をそぎ落としている。
社内のエンスー達による趣味的な活動から始まったロードスターの開発
工業製品の商品企画は、マーケットイン型とプロダクトアウト型に大別できる。市場のニーズを調べつくして、「これこそがあなたの必要としている製品ですよ」と提供されるのがマーケットイン型。客の潜在的な期待を満たす性能や機能を武器に「こんなに凄い製品は他にないよ」と買う気にさせるのがプロダクトアウト型だ。
国産車の歴史を振り返れば、戦後の復興期に求められたトラックや商用バンを始めとする実用車はマーケットイン型商品企画の代表であり、本格的なマイカー時代が到来した1970年代からは、高性能や贅沢な装備で客を振り返らせるプロダクトアウト型の乗用車の企画が主役になっていった。
ところが、日本の経済と技術が世界トップレベルに達し、初代レクサスLSやR32型スカイラインGT-R、ホンダNSXといった、極め付きのプロダクトアウト型商品が続々と登場した1989年に世に出たユーノスロードスターは、そのどちらにも属さないプロセスから生まれたモデルだった。
奇跡的とも言える、ライトウエイトオープンスポーツカーの登場
当時のマツダはトヨタや日産に追いつくべく5チャンネル体制を掲げ、オートザムとユーノスという新たなブランドを立ち上げようとしていた。とはいえ、オートザムは軽自動車を主体にしつつ、ランチアなどの個性派海外ブランドも扱うチャンネル。ユーノスもシトロエンを扱い、フラッグシップは世界初の3ローターのロータリーエンジンを積む高級クーペ、ユーノスコスモというバブル期らしい派手なチャンネルだ。
そうした世相と背景の中で、ことさらに高性能ではなく、1980年代には世界の市場から姿を消しつつあった2シーターのライトウエイトオープンスポーツカーが登場できたのは、奇跡と言っていい。
その企画は1960年代のMGなどの、いわゆる「よき時代」のライトウエイトスポーツカーを愛するエンジニアの、半ば趣味的な活動から始まった。コンセプトは「人馬一体」。絶対的な速さではなく、クルマを操る楽しさに重きを置くその思想に賛同したごく少数のスタッフが、本業を終えてからまるでクラブ活動のように取り組んだ企画書は、好景気の後押しも得て、社外の開発会社によるプロトタイプ製作まで漕ぎつけた。
1985年に完成した自走可能なプロトタイプ。英国のIAD社に製作を委託、デザインの監修はマツダリサーチセンターアメリカが主導。
そうして、1985年に完成したプロトタイプをカリフォルニアのリゾート地、サンタバーバラの街で走らせてみると、想像を上回る注目を集めたのだ。メーカーの名も聞かずに「いくらでもいいから売ってくれ」とスタッフに詰め寄る通行人の声が、ロードスター誕生のゴーサインとなったのだった。
1989年のシカゴオートショーでのミアータ初公開時に提案されたマツダノースアメリカ監修のコンセプトモデル「クラブレーサー」。
初心者や女性から、腕に自信のある人まで、誰もが愉しめる懐の深さ
海外ではMX-5やミアータの名で発売されたユーノスロードスターは、世界的なヒットとなった。高級ブランドを含む世界のメーカーに、同様の企画で追随させるほどの成功だった。
一方ユーノスブランドでマツダが目指した5チャンネル体制は、バブル景気の崩壊によって潰え、1990年代後半には外資の傘下となって生き残りを図らねばならないほど経営は傾いた。が、親会社となったフォードもロードスターの価値を認め、数値性能では定義できない「人馬一体」の魅力を磨きながら代を重ねることになる。その源となったのは、マニアだけを喜ばせる、ストライクゾーンの狭いクルマではなかったことだ。
じつはユーノスロードスターが登場した当時、筆者は古巣の自動車雑誌を離れて、男性総合誌の編集者をしていた。そこにもクルマ関連の連載ページはあったが、自動車雑誌と一般誌の価値観の違いに、当初はとまどったものだ。
たとえばあり余る高性能を表現するのに、ホイールスピンでタイヤが白煙を挙げる写真を使おうとすると、編集長に「大変だ、タイヤが火事だ」と却下される。クルマ好きならおおっと唸る絵柄も、世間一般には通じないことを思い知らされた。しかし、そんな編集長もロードスターをひと目見るなり「コレ欲しいな」と言ったのだ。そこで筆者は、若者がロードスターの助手席を花束で埋めて彼女の前に乗り付けるグラビアを作った。峠やサーキットを飛ばすだけではない、ライフスタイル商品としてのスポーツカーの魅力を表現したいと考えたのだった。
クルマの中に座ったまま開閉が可能な軽量な幌。リヤウインドウは塩化ビニール製でファスナーで開閉することができた。プラスチック製のデタッチャブルハードトップは、16.5万円でオプション設定だった。
非日常を体験できる、親しみやすいスポーツカー
好景気に浮かれるバブル時代とは言え、GT-RやNSXは憧れの一台にはなり得ても、必ずしも誰にとっても使いこなせるクルマではなかった。しかしロードスターは、誰にでも昨日とはちょっと違う自分を夢見させてくれる、親しみやすいスポーツカーだったのだ。
もちろん、乗ればクルマ好きをも唸らせる仕上がりだった。低いシートに腰を納めると、ちょうどヒジを乗せやすい高さにドアの上辺がある。自然な位置にあるシフトノブは、手首の動きだけで心地よい感触とともに変速ができた。
ファミリアから流用されたエンジンはスポーツカーというには実用的なキャラクターだが、尻をほどよく沈めながら小気味よく加速するし、絶妙なステアリングフィールと優れた重量配分は、4つのタイヤの接地状態を、文字通り手に取るように伝えてきた。開発者の狙い通り、飛ばさずともクルマと一体になって操る楽しさを存分に味わえたのだ。
ヘッドライトは当時隆盛だったリトラクタブル式を採用。
豪華でパワフルなクルマへ。そんな肥大路線に待ったをかけ原点回帰した現行4代目
飛ばさなくても楽しいスポーツカーというロードスターの個性は、以後、1998年の2代目、2005年の3代目、そして2015年発売の現行4代目まで脈々と受け継がれている。ただし、その過程では初代に息づいていた志を無にするような逆風も吹いた。海外市場を中心とした動力性能への不満や、世界的な衝突安全性向上を求める法規制強化。リーマンショックに起因する不況や、初代の誕生以来一貫して続く為替の円高傾向もそうだ。
モアパワーを求める声に対しては、初代のマイナーチェンジから排気量を1.8Lに拡大。安全性向上のために重量増が避けられなかった2代目では、リトラクタブルヘッドランプも切り捨てて軽快なハンドリングを守った。
それでも聞こえてくるブーイングに対して、2代目ではグループ内の架装会社の手になるターボまで設定。さらに電動開閉メタルルーフを備えた3代目では、ついに2Lのエンジンまで搭載したのだ。しかし、ロードスターの作り手たちは、そうした市場の声に応える改良を必ずしも「進化」とは考えていなかった。
現行ロードスターを開発した山本修弘主査に、筆者は先代の副主査時代からインタビューしてきた。もともとはロータリーエンジンの開発者だった彼は、ロードスターについて「作り手が楽しまなければお客様にも楽しんでもらえるクルマにならない」と語っていた。その一方で現行型の開発を振り返って、彼は「2代目、3代目と代を重ねるごとに、クルマとしては着実によくなっていたけれど、本来のロードスターからは遠ざかってしまったとも感じていたんです」と告白した。
速さこそが価値のピュアスポーツカーであるロータリーロケットを開発してきた彼も、いや、だからこそ、機械としての性能より、乗り手を楽しませる才能こそがロードスターの価値であることを、痛感していたのだ。
そうして、彼は現行型を市場の声という”雑音“に左右されることなく、理想のロードスターに仕上げた。排気量もボディサイズも縮小させ、ホイールのボルトの数まで削って、軽量・コンパクトで気持ちのいい”人馬一体“の味を作り込んだのである。山本氏の跡を継いだ中山雅主査も筋金入りだ。彼はエンジニアではなくデザイナー。そして1990年に購入した初代ロードスターに今も乗り続ける熱烈なファンなのだ。技術より前に、乗り手の想いがある。それがロードスターであることを、彼は体現している。
Vスペシャル(1990年)
ロードスターのイメージリーダーにもなったヴィンテージ志向モデル。ブリティッシュグリーンを彷彿させる濃緑の外装色、タンレザーシートやナルディ社のウッドステアリングなどを標準装備。
Jリミテッド(1991年)
ユーノスブランド2周年を記念して発売された限定モデル。特別外板色の「サンバーイエロー」は一般塗装の4倍もの行程が必要で、大量生産できなかったという。
Sリミテッド(1992年)
漆黒のボディに真っ赤なインテリアを組み合わせたラテンテイストの限定モデル。足回りはSスペシャルのものを継承するスポーティ志向の限定モデル。
Gリミテッド(1995年)
ボディと幌を濃紺とした限定モデル。東レ製の人工皮革「エクセーヌ」のシートや専用オーディオを備えながら189.8万円という価格で人気となった。
VRリミテッド(1996年)
Vスペシャルのファッション性とSスペシャルのスポーツ性を融合させた限定車。写真のコンビネーションAはレッドマイカにタンの幌。色違いのコンビネーションBも選べた。
初代ユーノスロードスター(NA型)アーカイブ
1985年 |
9月 プロトタイプ完成、米カリフォルニアで試走を開始。 |
1989年 |
2月 シカゴオートショーでMX-5ミアータを世界初公開。 5月 米国で販売を開始。 6月 カナダで販売を開始。 9月 ユーノス店でロードスター(NA6CE)の国内販売を開始。 10月 オーストラリアで販売を開始。 |
1990年 |
2月 イギリス、オランダで販売を開始。 3月 オートマチック車追加。 8月 本革シート(タン)などを奢った「Vスペシャル」を追加。 |
1991年 |
8月 特別仕様車「Jリミテッド」を限定800台で発売。Vスペシャルに新色「ブリリアントブラック」追加。 12月 特別仕様車「M2 1001」を限定300台で発売。 |
1992年 |
8月 運転席エアバッグや4輪アンチロックブレーキシステムをオプション設定。 9月 ビルシュタイン社製ダンパーやBBSホイールなどを標準装備する「Sスペシャル」を発売。 11月 特別仕様車「M2 1002」を限定100台販売。生産累計25万台達成。 12月 赤のレザーシートなど赤内装を採用したSスペシャルベースの特別仕様車「Sリミテッド」発売。 |
1993年 |
1月 ユーノス ロードスターベースの電気自動車を開発。中国電力に3台を納入。 7月 マイナーチェンジで1.8ℓエンジンに変更。サイドインパクトバーの導入など安全性を向上。ファイナルギヤレシオ変更やサスペンションの改良。「VスペシャルタイプⅡ」を発売。 11月 特別仕様車「TOKYOリミテッド」を東京地区限定40台で販売。 12月 特別仕様車「JリミテッドⅡ」を限定800台で発売。 |
1994年 |
2月 生産累計30万台達成。特別仕様車「M2 1028」を限定300台で発売。 9月 特別仕様車「RSリミテッド」を限定500台で発売。 |
1995年 |
1月 「Gリミテッド」を限定1500台で発売。 2月 特別仕様車「Rリミテッド」を限定1000台で発売。 8月 マイナーチェンジ(フライホイールの軽量化、ファイナルギヤレシオやエンジンECUの変更など)。 |
1996年 |
1月 特別仕様車「VRリミテッド コンビネーションA/B」を限定700/800台で発売。 11月 生産累計40万台達成。 12月 特別仕様車「R2リミテッド」および「B2リミテッド」を発限定500/1000台で発売。 |
1997年 |
8月 特別仕様車「SRリミテッド」を限定700台で発売。 |
1998年 |
1月 2代目マツダロードスターに移行するかたちで販売終了。 |
2代目/NB系ロードスター
初代の「人馬一体」コンセプトを継承、デザインやボディサイズを大きく変えることなく正常進化した2代目。当初は1.6Lと1.8LのNAエンジンが積まれたが、主に海外からの要求に応えるべく、モデル末期には限定ながら172PS/ 21.3kg・mのパワー/トルクを誇るロードスター史唯一のターボ車も登場した。さらにクローズドボディのクーペも追加。開発陣が追求する「パワーより操る愉しさ」。一方、ハンドリングが良すぎる故に求められるモアパワー。開発者の理想とユーザーの要望のせめぎ合いともいえるロードスターの歴史を象徴するモデルとなった。
主要諸元 1800V S(1998年)
●全長×全幅×全高:3955㎜ ×1680㎜ ×1235㎜ ●ホイールベース:2265㎜ ●車両重量:1030kg ●エンジン(BP-ZE型):水冷直列4気筒DOHC1839㏄ ●最高出力:145PS/6500rpm●最大トルク:16.6㎏ -m/5000rpm●10・15モード燃費:13.0㎞/L●最小回転半径:4.6m●燃料タンク容量:48L●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式●ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ディスク●トランスミッション:6速MT●タイヤサイズ:185/60R14 82H ●乗車定員:2名 ◎新車当時価格(東京地区):239万5000円
3代目/NC系ロードスター
プラットフォームが一新され、全幅1.7mを越える3ナンバー車となる。エンジンはアテンザやアクセラに積まれていた新世代のL型2.0L。2006年に追加されたRHT(リトラクタブルハードトップ)は、フロントルーフ/ミドルルーフ/リヤウインドウガラスで構成され、これらが電動で折り畳まれキャビン後方のスペースにわずか12秒(当時世界最速)で格納されるマツダ独自のシステム。また世界で販売されるロードスターらしく、事故の際にボンネット後端が持ち上がり歩行者への衝撃を緩和する「アクティブボンネット」など最新安全技術も積極導入された。
主要諸元 2000VS(2005年)
●全長×全幅×全高:3955㎜ ×1720㎜ ×1245㎜ ●ホイールベース:2330㎜ ●車両重量:1100㎏ ●エンジン(LF-VE型):水冷直列4気筒DOHC1998㏄ ●最高出力:170PS/6700rpm●最大トルク:19.3㎏ ・m/5000rpm●10・15モード燃費:13.0㎞/L●最小回転半径:4.7m ○燃料タンク容量:50L●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式/マルチリンク式●ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ディスク●トランスミッション:6速MT●タイヤサイズ:205/50R16 87V●乗車定員:2名 ◎新車当時価格(東京地区):250万円
4代目/ND系ロードスター
マツダが誇る「スカイアクティブ技術」と「魂動デザイン」を融合し2015年に発売。車体のコンパクト化とともにアルミなど軽量素材を拡大採用し、先代に対して100㎏ 以上の軽量化に成功。また環境にも優しい1.5Lの新型直噴エンジンも搭載、初代NA型が目指したライトウエイトスポーツ本来の姿へと原点回帰を目指した。2016年にはRHTの後継といえるRF(リトラクタブル・ファストバック)を追加。毎年のように行なわれる商品改良、さらに頻繁に登場するカスタムメイド感覚の限定モデルなど、ますます魅力的な一台へと進化を続けている。
主要諸元 RF VSバーガンディセレクション(2021年)
●全長×全幅×全高:3915㎜ ×1735㎜ ×1245㎜●ホイールベース:2310㎜ ●車両重量:1100㎏ ●エンジン(PE-VPR型):水冷直列4気筒DOHC1997㏄ ●最高出力:184PS/7000rpm●最大トルク:20.9㎏-m/4000rpm●WLTC燃費:15.8㎞ /L●最小回転半径:4.7m ○燃料タンク容量:45L●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式/マルチリンク式●ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ディスク●トランスミッション:6速MT●タイヤサイズ:205/45R17 84W●乗車定員:2名 ◎新車当時価格(東京地区):377万6300円
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