桜の名を持つ孤高の挑戦者は、「プリンス」のDNAから生まれた“天才的”なクルマ【FF黎明期の名車を深堀り解説】│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

桜の名を持つ孤高の挑戦者は、「プリンス」のDNAから生まれた“天才的”なクルマ【FF黎明期の名車を深堀り解説】

桜の名を持つ孤高の挑戦者は、「プリンス」のDNAから生まれた“天才的”なクルマ【FF黎明期の名車を深堀り解説】

日産に「チェリー」という車種があったことを知っているという人はどれくらいいるでしょうか? 1970年に日産初のFF方式のエントリーモデルとして誕生して、2代目の生産が終了する1978年までの8年間しか販売されていなかった車種なので、旧車好きでも知らないという人もいるかもしれません。しかし、たった8年の間しか販売されていなかったにもかかわらず、「日産チェリー店」という販売チャンネルを生むきっかけになったというくらい、当時は重要な位置づけの車種でした。この「チェリー」はのちに「パルサー」となり、車格的には「マーチ」に引き継がれ、現在では「NOTE」にその系譜が引き継がれると言っていいのではないでしょうか。そして「チェリー」といえば、ボリューム感の高いテールセクションが特徴的なスタイリングの「X-1R」を思い浮かべる人も多いと思いますが、今回は「X-1R」が生まれるベースとなった素の「チェリー」を中心に、すこし掘り下げてみたいと思います。

●文:月刊自家用車編集部(往機人)

サニーに代わるエントリーカーとして開発

日本が高度経済成長期に入って庶民にも“マイカー”が浸透し始めた1960年代には、日産を代表する大衆車の「サニー」が登場します。

この「サニー」は、ほぼ同時期に発売されたトヨタの「カローラ」と熾烈なライバル競争を演じることになります。

その争いで、相手よりも豊かで余裕のあるところをアピールしていくうちに、サイズと排気量は徐々に大衆車のレンジから離れていきます。

そこで、空いてしまったエントリーモデルのポジションを埋める車種として企画されたのがこの「チェリー(E10系)」です。

日産初のFF車である初代チェリーは、旧プリンス自動車の技術者たちが開発 。当時としては画期的な前輪駆動方式を採用し、サニーよりもコンパクトなボディながら広い室内空間とスポーティな走り、そして洗練されたデザインを実現している。

ちょうどこの頃に、高性能で品質の高いクルマを開発していることで評判だった「プリンス自動車」が経営不振から日産と合併しました。

そして上手いことに、プリンスでFFの小型車を研究していたため、それを活用してエントリーモデルを開発しようという流れになります。

今ではFFというと軽自動車から中級車まで活用されている最もスタンダードな駆動方式ですが、この当時はまだ、駆動力を伝達しながらステアリングの舵角を作るための“等速ジョイント”は一般的なものではありませんでした。

その部分にプリンスの研究が下支えとなり、企画がスタートするわけですが、実際に日産が求める市販車の実用に耐える機構に練り上げるには、かなりの苦労があったようです。

エントリーモデルとして安価にするために、サニーに使われていた「A型」エンジンを流用する縛りがあったことなど、他にも解決しなくてはならない課題は多く、開発はひと筋縄ではいかなかったようです。

初代チェリーのデビュー当初は2ドアセダンと4ドアセダン、バンが設定。この2ドアセダンは軽量でスポーティな仕様に位置付けられていた。

2ドアセダンは、後席の乗り降りを考慮し4ドアセダンに比べてフロントドアも大きくとられていた。ハッチバックのようにも見えるが、4ドア同様に独立したトランクルームを持っている。

苦心の末、本格FFモデルとしてデビュー

試行錯誤の結果、英国BMC社の「MINI」を参考とした、エンジンブロックの下にミッションを配する「イシゴニス式」で構成したり、当時はまだ採用例が少なかった“マクファーソンストラット式”サスペンションをフロントに採用し、リヤはトレーリングアーム式で構成する4輪独立懸架式とするなど、革新的な方式が多く用いられました。

そうして1970年に、日産では初となるFF方式を採用した「チェリー」が誕生しました。

発進や加減速のたびに揺れ動くエンジンを支えるマウントや等速ジョイント、操舵時のキックバックを抑制する技術など、FF車特有の課題を解決するメカニズムを採用。本格的なFF車時代を導いたエポックなモデルとしても知られている。

日産初の本格FF車というメカニズムに対する評価や、エントリーモデルながら本格的な4輪独立懸架式の採用、そして熟成の進んだエンジンによる動力性能の高さなどが相まって、市場にはかなり高い期待値を持って受け取られました。

ちなみに「チェリー」という車名は公募によって選ばれたものだそうです。新時代の大衆車として、日本の国民に愛される存在の象徴として“桜”をモチーフとしたんだとか。

こちらは4ドアセダン。ホイールベースは、初代サニーの2280㎜より50㎜以上長い2335㎜で、トレッドも広くとられている。リヤシートの居住性はサニーを大きく上回るほか、ロングホイールベースは乗り心地の向上にも寄与していた。

バンモデルは、セダンをベースにルーフを後方まで伸ばし荷室側にウィンドウを追加した、当時のバンとは異なるユニークなスタイルが特徴。

見た目も、走りも、実用性も、高レベルにまとまった意欲作

FF方式のメリットはなんといっても居住空間の広さです。エントリーモデルと言えど、大人4人がちゃんと乗れる空間は必須ということで、もっとも空間効率に優れたFF方式が採用されたわけです。

そしてその実用空間を包む外観のデザインにも力が入っています。

FF方式の利点を活かし、コンパクトな外観からは想像できないほど広い室内空間を実現。フロアにトランスミッショントンネルがないため、後席も比較的ゆったり座ることが可能。居住性の高さは、同世代のサニーを上回るものだった。

エントリーモデルのターゲットには、ファミリーと共に若者も含まれていました。そのため、スポーティさを感じるファストバックスタイルにシルエットを寄せつつ、トランクルームは別体とする“セミファストバックスタイル”を採用。サイドウインドウの後部を大胆に切り上がるようにして、「フェアレディZ(S30系)」を思わせる雰囲気を演出しています。

このデザインによって、サイドウインドウの形状が目のようだとして“アイライン”と呼ばれたり、Cピラーの末広がりな形状が“富士山”と呼ばれたりしたそうです。

クーペは1971年に登場。クーペモデルは、ハッチバックの使いやすさと斬新なフォルムを両立する。

販売面では苦戦を強いられた、悲しい歴史あり

また、日産初のFF方式は独特のハンドリング(トルクステアなど)を生んでいて、それを乗りこなして速く走ることが、当時の走りを意識した層に支持されていました。

しかし、それらの美点は市場の大半には優位点とはならなかったようで、販売面では狙ったほどの成果は出せませんでした。

スタイリッシュさを狙ったデザインは奇抜さが違和感として捉えられ、スペース効率を追求した結果、エンジンルームとの遮蔽が充分にはできず、冷却ファンやギヤの音がうるさいと悪評が流れます。
また、その独特のハンドリングは走りを意識しない層には、嫌な“クセ”として敬遠される要因になってしまいました。

初代チェリーに搭載された1リッター&1.2リッターエンジンは、FR(後輪駆動)のサニー用に開発されたA型エンジンを流用し、横置きでコンパクトに配置。

旧車で「チェリー」といえば「X-1R」だけど…

冒頭で述べましたが、旧車ファンの間で「チェリー」といえば、独特のリヤセクションのボリュームを持つデザインが特徴のクーペモデル「X-1R」を思い浮かべる人が多いでしょう。

しかしこの「X-1R」というグレードは、クーペの高性能グレード「X-1」の上位モデルとして追加されたもので、外観ではリベット留めのオーバーフェンダーが追加されています。

実際に「X-1R」の販売台数は3000台も無いという話もありますので、旧車イベントなどで見掛けて「あ、X-1Rだ!」と思った車輌は、実は「X-1」などの“クーペ”グレードかもしれません。

今回は“素”の「チェリー」を中心に紹介してみましたが、「チェリー」といえば「X-1R」という人も多いと思いますので、いずれ、レースでの活躍なども含めて「X-1R」の記事もお送りしたいと思います。

X-1Rは、クーペX-1をベースに、1973年にラインナップされたスパルタンモデル。「R」の称号が示す通り、モータースポーツでの活躍を視野に入れて開発。リベット留めされたFRP製のオーバーフェンダーを纏って迫力あるスタイルも特徴のひとつ。

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