秀逸なパッケージで軽自動車の常識を超えた性能。日本のモータリゼーションを切り拓いた“てんとう虫”│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

秀逸なパッケージで軽自動車の常識を超えた性能。日本のモータリゼーションを切り拓いた“てんとう虫”

秀逸なパッケージで軽自動車の常識を超えた性能。日本のモータリゼーションを切り拓いた“てんとう虫”

開発にあたり、フォルクスワーゲン・ビートルを参考にしつつも、日本の道路事情や国民の生活スタイルに合わせた独自のアプローチがとられたという。戦時中は、戦闘機を開発していた富士重工の技術者たちが、その航空機技術を結集して造り上げた「国民車」、それがスバル360である。「てんとう虫」という愛称とともいまだに愛され続ける、時代をリードしてきた名車である。

●文:月刊自家用車編集部

初期モデル

剛性を確保するために採用された曲面のボディが、結果として極めて愛嬌のあるスタイリングに結実し、「てんとう虫」の愛称で親しまれることになる機能的で美しい外観が完成した。

初期型のリアランプはブレーキランプと別体(ナンバープレートの上方)だった。エンジンカバーのスリットも横配列であった。その上部にあるのは給油口。

高嶺の花だったマイカーという夢を、現実のものにした立役者

今では日本人にとって欠かせない足となっている軽自動車の規格は、1955(昭和30)年に全長3m、全幅1.3m、排気量0.36L以内に決定された。それに合わせて多くのメーカーが軽自動車市場に参入したものの、ビジネスとして成功する者は少なかった。

なにしろ、1955年の軽自動車保有台数はわずかに4500台足らず。技術的に未熟なクルマが多かったこともあるが、それ以上に、当時の庶民には軽自動車といえども手の届かない高嶺の花だったのだ。ところが’1960年になると、軽自動車の保有台数は一気に41万台にまで伸びる。その立役者となったのが、1958年に発売されたスバル360だ。

航空機メーカー時代に培った技術がフルに投入された革新的なクルマ

引き金となったのは、1955年に通商産業省(現経済産業省)が提唱した「国民車構想」(大人4人が乗車でき、時速100km/hで走行可能、価格は25万円以下など)だった。しかし、当時の日本の技術力では困難とされていが、スバルは航空機製造で培った技術を応用し、この難題に挑戦する。

戦時中は航空機メーカーだった富士重工は、戦後、スクーターの成功を足掛かりに自動車事業に本格参入。1954年には革新的な小型車、P-1すばる1500の試作にも成功したが、発売は見送られている。360は、その鬱憤を晴らすかのように、持てる技術をフルに投入して生まれた、まさに革新的な一台だったのだ。

開発リーダーは、戦時中「紫電改」などの戦闘機に使われた「誉(ほまれ)」エンジンを開発した百瀬晋六氏。モノコックボディやグラム単位の軽量化など、航空機技術を応用した設計は斬新で、実用性や性能も必要十分だった。スバル360の大きな特徴は、国産の量産乗用車としては初めて、航空機にも使われるモノコック構造(フレームとボディを一体化させた構造)を採用したことにある。これにより、軽量化と高剛性を両立させ、わずか385kgという軽さを実現させたのだ。

中期モデル

スバル360は、モデルチェンジで大きな変更を行うのではなく、「チェンジレスチェンジ」と呼ばれる地道な改良が行われた。

中期型以降はボディ左右のテールランプが大型化され、ブレーキランプもそこに統合された。この大型化されたテールランプは、通称「小判型」と呼ばれ、中期型の特徴的なデザインの一つとなっている。

初期モデルからはヘッドランプウインドウのほか、バンパー形状(初期モデルの分割型から一体型へ)も変更されている。

リアデザインも若干変更されている。給油口にカバーが取り付けられたほか、リアランプも前期型の横楕円型から縦楕円となっていて、大型化し、ブレーキランプとのコンビランプとなった。さらにエンジンカバーのスリットも縦に配置されている。

フロント側にバッテリーを積む。スペアタイヤの奥に若干のトランクスペースがあり、約20㎏の荷物を積めた。

スバル独自のコイルスプリングとトーションバーを組み合わせた4輪独立懸架を採用。これにより、路面の凹凸をよく吸収し、しなやかで「猫足」とも称される乗り心地を実現した。

人間中心の設計思想により軽自動車でありながら居住性は十分だった

開発にあたり、「大人4人が快適に座れる空間」を確保するという人間中心の設計思想に沿って、軽量なエンジンを車体後部に搭載し、後輪を駆動させることで車内の居住空間を最大限に確保。当時の軽自動車としては、別格の広々とした室内空間を実現した。

エンジンは当初、EK31型空冷2ストローク直列2気筒エンジンを車体後部に搭載し、後輪を駆動させるRR方式を採用した。排気量は356ccで、初期の最高出力は16PSであった。その後、12年間生産される中で、エンジンの改良も続けられていく。初期型のEK31型から、最高出力が18psに向上したEK32型へ進化するなど、より力強く、扱いやすいエンジンへと向上していったのだ。

KE31型の2サイクルはパワーアップしトランスミッションも横H型から縦H型のシフトパターンに変更された。 

当時の軽自動車の中で、驚異的なパフォーマンスを誇ったヤングSS

初期型スバル360が発売されてからちょうど10年後となる1968年に、スバル360のポテンシャルを最大限に引き出した高性能モデルとして、ヤングSおよびヤングSSというスポーティモデルが若者向けに登場した。この両車の違いは、搭載されるエンジン性能と内外装の仕様であった。ヤングSは、ベースエンジンであるEK31型エンジンをチューニングし、シングルキャブレターで出力アップを図ったモデルで、最高出力25PS、最大トルク3.5kg-mであった。

ヤングSSは、さらに高性能化されたモデルで、ソレックス製ツインキャブレターを装着し、排気量1Lあたり100psを実現した。最高速度120km/h、0-400m加速22.8秒という、当時の軽自動車としては驚異的なパフォーマンスを誇り、「最速のてんとう虫」と呼ばれた。

走りの性能向上に合わせて、外観も特別な仕様が施された。”ポルシェタイプ”と呼ばれる透明なヘッドランプカバーを装着しスポーティな印象を強調。さらにフロントフードとルーフに大胆なストライプが施され、スペシャルモデルであることをアピールした。また、シンプルなパイプ式バンパーを採用し、軽量化とスポーティさを両立することで、ノーマル車との差別化が図られている。

ヘッドランプカバーやボンネットフードに施されたストライプによって、スポーティ差を強調し、ノーマル車との差別化が図られたヤングSS。

タコメーターが標準装備され、茶色の本革巻きステアリングや、スポーティーなシフトノブが装備されたヤングSS。

「てんとう虫」のニックネームで今なお愛され続ける名車なのだ

1958年の発売から1970年に後継のR-2にバトンタッチされるまで、約12年間にわたり生産され、その生産台数は約39万2000台。経済成長にも後押しされ、初めて日本の庶民にも手の届く〝商品〞になった360は、1970年まで長く生産された。その丸みを帯びたキュートなスタイルから「てんとう虫」のニックネームで、いまだに根強い人気を誇っている。

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