
●まとめ:月刊自家用車編集部
役人が決めるか、市場が選ぶか。自動車業界を揺るがした「特振法」の真相
敗戦当初は復興のためにさまざまな分野で保護貿易が認められていた日本も、経済成長が進むにつれてそれが許されなくなりました。自動車に関しても1960年当時は台数と外貨(ドル)の割り当て規制で、事実上の輸入制限がかけられていましたが、アメリカをはじめとする海外から市場開放が強く求められるようになっていました。
そして1961年4月に、まずバス・トラックの輸入が自由化されます。しかし、乗用車の輸入も自由化されると安い外国車に日本の市場が席巻され、日本の自動車産業は立ち行かなくなると危惧した通産省(現経済産業省)は、国の主導による業界の再編を目指したのです。
1961年5月に、まず自動車行政の基本方針と称する構想が示され、1963年3月には「特定産業振興臨時措置法案」、略して特振法として国会に上程されます。この法案では、自動車(乗用車と自動車用タイヤ)、特殊鋼、石油化学の三分野を特定産業に指定し、合併や整理統合によって国際競争力をつけることを目指すとされていました。
具体的には、自動車産業は量産車グループ、高級車・スポーツカーなどの特殊車グループ、軽自動車グループの3グループに集約した上で、新規参入は通産省の許可制とするという内容でした。
廃案に追い込んだS500のデモ走行の力
この法案が通ってしまったあとでは、新たに乗用車メーカーを興すことは事実上、不可能になります。そこで本田宗一郎は「新規参入を認めないとは何事だ。そんな権限は役所にはない。合併させたければ株主になって株主総会で言え」と例によってマスコミなどで盛大に吠える一方で、4輪車の開発を急がせました。
そして、1962年6月にS360の鈴鹿サーキットでのデモンストレーションに漕ぎつけ、同年秋のモーターショーにはS500と軽トラックのT360を展示して話題を呼び、抵抗の意志を示したのです。
S360は、1962年に東京・晴海で開催された全日本自動車ショウ(のちの東京モーターショー、現在はジャパンモビリティショーとして開催)に展示され、来場者から大きな注目を集める。
結局S360は市販されず、1963年10月に後継のS500が発売された。531ccの直列4気筒DOHCは44馬力を発揮。
当時は全国61紙で「価格当てクイズ」キャンペーンを展開するなど、発売前から積極的なプロモーションでも話題をさらっていた。
T360はハイウェイ時代のビジネスカーのキャッチで、S500より2か月早く発売された軽トラック。エンジンはS360に搭載されるはずだった水冷直4DOHC4キャブレターで、最高出力30馬力、最速度100km /hを誇った。エンジンは運転席下に積まれている。
ホンダではそれ以前から4輪車の研究には着手していて、1959年に最初の試作車も完成していました。しかし本田宗一郎は当初は2輪で世界を制してから、満を持して4輪に進出することを考えていたのです。ところが、特振法が成立する前に実績を作るために、計画を前倒しする必要に迫られたのでした。
当時のホンダは四輪進出に伴い、全国131か所にSF(サービス・ファクトリー)を設立。さらにセールスマンの募集も積極的に行われるなど、四輪事業への意欲を大きくアピールしている。
結局、特振法は3度国会に提出されながら、産業界の抵抗もあって審議未了で廃案となりました。外国製乗用車の輸入は1965年に自由化されましたが、国内自動車メーカー各社が値下げや魅力的な新型車の投入などの努力をした結果、自由化後も外国車の輸入台数は大きく増えませんでした。
連続高速走行チャレンジに成功したコロナの例のように、このころには国産車もちゃんと使える実用品と人々に認められるようになる一方、巨大なアメリカ車や高性能な欧州車などの輸入車は、趣味の乗り物やステイタスシンボルとして、国産車にはない個性や魅力で支持されるようになりました。輸入車がより身近になった今日ではあまり使われなくなった“外車”という表現は、この時代に特別なクルマというニュアンスで使われるようになったのです。
国内産業を守り、育成するために、政府が主導して業界を指導するという、いわゆる「護送船団方式」は、当時は日本のさまざまな産業分野で採られていたやり方でした。牛肉やオレンジ、グレープフルーツなどの農産物の輸入自由化でも、国内農業を守るためとして行政はいろいろな規制を編み出したし、今でもコメは輸入が自由化されておらず、アメリカなどから指弾されています。
国と戦って見事4輪事業への新規参入を果たしたホンダは、その後も持ち前のエネルギーで、他とは違うやり方で成長を続け、今では世界で売れる人気ブランドになりました。
もしもあの時、特振法が成立してホンダの4輪事業への新規参入が阻止されていたら、どうなっていたでしょうか。 日本が貧しかった時代には、強大な海外のライバルから国内産業を守る必要もあったのでしょう。しかし、本当に力のある企業や産業は、政府が不公平な保護政策で守らなくても自力で生き残っていけることを、この一件は示しています。
※本稿は、内外出版社発行「教養としてのニッポン自動車産業史」を再構成したものです。
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
最新の関連記事(ホンダ)
欧州仕様車専用カラー「レーシングブルー・パール」が用意される 新型プレリュードは、2.0リッターガソリンエンジンと、ホンダ独自の軽量デュアル電動モーターオートマチックトランスミッションを組み合わせた最[…]
意欲作だった「1300」の失敗と厳しくなる排気ガス規制のダブルパンチというピンチ 初代「ホンダ・シビック(SB10型)」が発売されたのは1972年です。1960年代にはすでに2輪の業界で世界的な成功を[…]
家族のミニバンが、心地よい旅グルマへ 「フリード+ MV」は、ホンダのコンパクトミニバン「フリード+」をベースにしたキャンピング仕様。もともと使い勝手の良い車内空間をベースに、旅にも日常にもフィットす[…]
RS専用の内外装加飾をプラスすることで、スポーティさをプラス 新グレード「e:HEV RS」のグランドコンセプトは「URBAN SPORT VEZEL(アーバン スポーツ ヴェゼル)」。RSグレードに[…]
多岐にわたるコンテンツを、メインプログラムにも出展 「ジャパンモビリティショー2025」の日本自動車工業会主催のメインプログラムでは、体験型の未来モビリティが集結。 ホンダは、未来の移動からモビリティ[…]
最新の関連記事(旧車FAN)
意欲作だった「1300」の失敗と厳しくなる排気ガス規制のダブルパンチというピンチ 初代「ホンダ・シビック(SB10型)」が発売されたのは1972年です。1960年代にはすでに2輪の業界で世界的な成功を[…]
1957年に誕生したダットサン1000(210型)。1958年、210はオーストラリア一周ラリーに参加。19日間1万6000kmの過酷なラリーを完走、クラス優勝を果たした。 国産黎明期の「売れるクルマ[…]
関東大震災からの復興時に活躍した円太郎バス。T型フォード1tトラックの車台に客室を作ったため乗り心地は酷かったという。評判回復を図りスプリングを入れた改良が行われたり、女性客室乗務員を導入なども行われ[…]
終戦から1年、まず走り出したのは簡素なスクーター。平和の象徴・ハトに因んで命名された三菱・シルバーピジョンは最大のライバル、スバル・ラビットとともに皇室に献上された逸話を持つ。 戦後の自動車開発は、航[…]
ピラーに装着されたエンブレムやバッジの謎とは? 今のクルマはキャビン後部のCピラーには何も付けていない車両が多く、その部分はボディの一部としてプレーンな面を見せて、目線に近い高さのデザインの見せ場とな[…]
人気記事ランキング(全体)
車内には、活用できる部分が意外と多い カーグッズに対して、特に意識を払うことがない人でも、車内を見渡せば、何かしらのグッズが1つ2つは設置されているのではないだろうか。特に、現代では欠かすことができな[…]
洗ってもツヤが戻らない理由は「見えない鉄粉」にあった どんなに高性能なカーシャンプーやコーティング剤を使っても、ボディ表面のザラつきが消えないときは鉄粉汚れが原因の可能性が高い。走行中のブレーキングで[…]
家族のミニバンが、心地よい旅グルマへ 「フリード+ MV」は、ホンダのコンパクトミニバン「フリード+」をベースにしたキャンピング仕様。もともと使い勝手の良い車内空間をベースに、旅にも日常にもフィットす[…]
給油の際に気付いた、フタにある突起… マイカーのことなら、全て知っているつもりでいても、実は、見落としている機能というもの、意外と存在する。知っていればちょっと便利な機能を紹介しよう。 消防法の規制緩[…]
ピラーに装着されたエンブレムやバッジの謎とは? 今のクルマはキャビン後部のCピラーには何も付けていない車両が多く、その部分はボディの一部としてプレーンな面を見せて、目線に近い高さのデザインの見せ場とな[…]
最新の投稿記事(全体)
役人が決めるか、市場が選ぶか。自動車業界を揺るがした「特振法」の真相 敗戦当初は復興のためにさまざまな分野で保護貿易が認められていた日本も、経済成長が進むにつれてそれが許されなくなりました。自動車に関[…]
センチュリーは日本の政財界のトップや国賓の送迎を担う「ショーファーカーの頂点」 1967年の誕生以来、センチュリーは日本の政財界のトップや国賓の送迎を担う「ショーファーカーの頂点」として確固たる地位を[…]
欧州仕様車専用カラー「レーシングブルー・パール」が用意される 新型プレリュードは、2.0リッターガソリンエンジンと、ホンダ独自の軽量デュアル電動モーターオートマチックトランスミッションを組み合わせた最[…]
優勝したSTANLEY CIVIC TYPE R-GT 予選は日産フェアレディZ勢がワンツー独占 2025年SUPER GTシリーズ第7戦は、10月18日(土)-19日(日)に大分県のオートポリスで開[…]
1957年に誕生したダットサン1000(210型)。1958年、210はオーストラリア一周ラリーに参加。19日間1万6000kmの過酷なラリーを完走、クラス優勝を果たした。 国産黎明期の「売れるクルマ[…]
- 1
- 2






















