あまり知られていない、ハコスカ「GT-R」のこぼれ話を集めてみました

登場から50年以上経った今でも、多くのクルマ好きをムネアツにさせてくれる「スカイライン2000GT-R」。今回は普通に語り継がれる数々の〝伝説〟とは少し毛色が違った、こぼれ話をお伝えしたいと思います。

●文:往機人

そもそも「GT-R」という名称の由来は?

現在の日産のラインナップの中でも燦然と輝いている「GT-R」。日産の技術力を誇示するスポーツ系車種の頂点として、日産のハイパフォーマンスカーの象徴と言える存在として、世界にその名をとどろかせています。

実際、GT-Rの名を冠した歴代モデルを振り返ってみると、それぞれの代で確実にその速さを示し、世界的に認められる実績を遺してきました。

そんな積み上げた歴史もあって、全世界に憧れるファンを多く擁しているGT-Rですが、初めて量産車の車名として使われたのは1969年、スカイラインの競技仕様として企画された「スカイライン2000GT-R」でした。まずはその元祖GT-Rについて少し掘り下げてみたいと思います。

元祖GT-Rこと、「スカイライン2000GT-R」は、先に発売されていたC10系の「スカイライン2000GT」、通称「スカG」をベースとして、当時盛り上がっていたツーリングカーレースで勝負を有利に運べるように開発された特別仕様で、この時はまだグレード名でした。

GT-Rの由来はGTのレーシング(Racing)バージョンというものです。意外にストレートで拍子抜けしたと感じた人もいるかもしれないですね。さらにクルマとしても、「素のGTにスペシャルエンジンを搭載し、足まわりのちょっとした変更をおこなっただけのモデル」という実態だったのです。

メディアによっては「GTR」と、間のハイフンを抜かして表記するところも少なからず見られますが、正式にはRの前に半角のハイフンが入ります。

そうして生まれたGT-Rの前は、このC10系から代々受け継がれ、現行モデルでは「スカイライン」から独立した車名として「GT-R」となり、ずっと受け継がれてきました。

ちなみにスカイラインのグレード名としての最後のモデルは、1999年に発売されたR34型です。

1969年にデビューした「スカイライン2000GT-R」。デビュー当初は4ドアセダンのみで形式名は「PGC10」になる。

スカイラインGT-Rの型式名を紐解いてみると……

初代GT-Rの型式名は、最初に発売されたセダンボディが「PGC10」、後から追加された2ドアハードトップボディが「KPGC10」となっています。

ハードトップボディの型式名を頭から順に見ていくと、最初の「K」はボディタイプを示す記号で2ドアハードトップに充てられた文字です。

2番目の「P」が搭載エンジンを示し、プリンス自動車製の「S20型」2000ccDOHC高性能エンジン搭載の証です。

3番目の「G」もエンジンの種類を表しています。6気筒モデルが「G」で、4気筒モデルは何も付きません。そしてそこに続く「C10」はこの代のスカイラインという車種を表しています。

重要なのは2番目の「P」という文字だと覚えておきましょう。

1970年からの2ドアハードトップボディは「KPGC10」になる。

GT-Rが憧れの象徴となった理由

この初代GT-Rはレースでの勝利を念頭に置いて開発された車両のため、特別なエンジンが搭載されているのが最大のポイントです。

当時の2Lクラスのエンジンの馬力は120ps以下というものがほとんどでしたが、そこに160psという桁違いのパワーを発生させるエンジンを搭載して発売されたため、スポーツカー好きの間に大きな衝撃を与えました。

搭載される「S20型」エンジンは、日産と合併する前のプリンス自動車が純レースカーの「R380」用に開発したものをベースにして、市販車に搭載するために出力を落として耐久性を向上させたユニットです。

GTグレードに搭載される「L20型」と同じ直列6気筒という構成は共通ですが、パワーの発生に重要なシリンダーヘッドにDOHCタイプを採用しているのをはじめ、ベースのシリンダーブロックや細かい部品に至るまでほぼ全てが専用設計という贅沢なエンジンです。

この強心臓を武器にして、発売年の1969年から参戦を開始したツーリングカーレースで多くの勝利を獲得。並み居るライバルたちに後塵を拝させ、参戦4年目の1972年には前人未踏の49連勝&通算57勝という記録を打ち立てました。

この輝かしい戦績が、当時大いに盛り上がっていたレース好きの心に刻まれ、GT-Rという名前が速さの象徴として確立したのです。

フロントシートはバケットタイプ。当時からレーシーな走りを楽しめるコクピットに仕立てられていた。

前人未踏の49連勝&通算57勝、でもその後は……

スカイラインGT-Rの勝利の記録は、1971年に発売されたマツダ・サバンナ(RX-3)に阻まれて止まってしまいます。

4年間にわたって連勝記録を打ち立てたことでGT-Rの名は確固たる地位を築きましたが、それを阻んだサバンナは、その後レースで無双し、4年後の1976年に通算100勝という、GT-Rの倍近い勝利記録を達成しました。

スカイラインGT-Rの勝利記録はその後も多くのメディアで賞賛する記事を見掛けましたが、それを大きく上回る100勝という偉業を成し遂げたサバンナを讃える記事の印象は、GT-Rと比べると寂しいものでした。

それにはメーカーの力関係や市場での支持具合が関係しているものと想像しますが、冷静に見るとマツダの記録達成の扱いは不当だったのではないかと思います。

「GT-R」の今の取引価格はあまりにも……

C10系のスカイラインはそのデザインから「ハコスカ」の愛称で呼ばれ、国内に留まらず海外でも大きな人気を誇る車種です。

旧車ブームの始まった15年ほど前は、人気の中心モデルであるGTがまだ100万円台で入手できましたが、今では価格が上昇し、上物は1000万円以上というところまで高騰しています。

一昔前はお手ごろな価格で狙える旧車だったが、現在は希少価値の高さもあって極めて高価な価格で取引されている。

そして最も特別なグレードである「GT-R」は、残存数の少なさも相まって早い段階で1000万円を越え、車体番号が若いものなどのプレミアが大きく乗る個体は一時3000万円以上の値が付くほど過熱を見せました。

これから下は、筆者の主観が先行し多少のひがみが混じった、いわゆる「個人の感想です」的な意見と捉えて、サラッと聞き流してもらえると幸いです。

いまから15年ほど前、旧車の界隈が盛り上がりを見せた時期からハコスカを見ていると、その時から今に至るまでずっと、ひとり勝ちと言っていいくらいの人気を維持しており、その魅力の大きさを感じさせられました。今では盗難が心配で、オチオチ路駐もできないという存在になっています。

その中でもより特別で、中古の相場もとんでもない額になっているGT-Rですが、過熱した輪の中から少し遠ざかって見てみると、「ちょっと持ち上げすぎではないか?」と感じるところがあります。

「GT-R」のエンジンは特別だけど、それ以外は……

率直に言ってしまうと、特別な部分はエンジンに一極集中しています。所有欲をくすぐる赤がアクセントカラーのバッジやエンブレムが車体の各所にちりばめられていますが、ベースのボディとシャーシはGTと同じで加飾が違うだけです。

当時は特別だった5速MTも後にGTにも用意されますし、少しバネレートの高いスプリングやダンパーも、乗って判別できるほどの違いは感じられません。

オーバーフェンダーや熱線を廃した白ガラスもGT-R専用の装備ですが、GTをGT-Rの外観に仕立てるカスタムが流行し、よほどの目利きでないと判別できないような多くの「R仕様」が作られた今、外観の特別度は少なく感じます。

言ってしまえば、エンジン以外はGTと同じなんです。

そのエンジンに関しても、目隠しでGT-Rに試乗してそれがGT-Rと分かる人はどれくらいいるのだろうか? という感触です。

レースエンジン由来とは言え、万人が扱えて、いろんな環境でトラブルの発生を防止するよう仕立て直された「S20型」エンジンは、ツルシのままでL型エンジンとの明確な違いを感じるのは難しいでしょう。

GTにチューニングしたL型エンジンを搭載した車両の方が、明確にパワーがあり、フィーリングも優れていると感じます。

ちなみに15年ほど前までの中古相場は、GTが100万円前後だったのに対して、GT-Rがプラス30〜50万円ほどでじゅうぶん入手可能でした。その価格差では妥当だと感じていましたが、今の高騰ぶりを目の当たりにすると、眉間の皺を隠せなくなってしまいます。

趣味のクルマとして気軽にカスタムして楽しめるように、旧車全体の相場が今の半額くらいまで下がってくれることを願って止みません。

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