日本の国民車として輝かしい大成功を収めたスバル360 は、12年の長きにわたってフルモデルチェンジを受けることないまま生産し続けられたが、ホンダ・N360の高出力と低価格戦略によって劣勢に立たされ、フルモデルチェンジを余儀なくされる。そこで登場したのが富士重工業の軽乗用車第2弾モデルとなるスバルR-2だ。
●文:月刊自家用車編集部
熱い期待を受けて登場したスバル360の後継モデル
1969年8月にデビューしたR-2のキャッチコピーは「ハードミニ」。やわらかい丸みを帯びたデザインは当時の軽自動車市場の中にあっても個性を感じさせるものだ。
しかもロングセラーモデルの後継車という期待感も重なって、新型車の発表展示会の来場者は過去最高を記録するなど、話題性は抜群だった。
メカニズムは、先進性の塊だったスバル360の基本メカを踏襲しつつ熟成進化させたもの。360に対し120㎜延長されたホイールベースで室内スペースが広がり、「家族旅行も可能なトランクスペース」の確保を絶対条件としていたため210L容量のトランクを創設。さらにエンジンもアルミ合金製シリンダーブロックやリードバルブが採用され、トランスミッションも、360の前進3速+後退1速からフルシンクロメッシュの前進4速+後退1速へと改良された。
熟成が進んできた軽市場では、物足りないクルマと判断されて……
スバル360を全方位的に進化させた形で満を持して登場したR -2は、発売当初こそ話題性を背景に爆発的な人気を呼んだものの、長続きしなかった。360登場当時に比べて格段に成熟した軽市場には性能や価格面で優位に立つ競合車種も多く、発売後1年余りで販売台数は頭打ちとなる。
1970年2月にR-2ライトバン、4月にSSおよびスポーティーデラックスのスポーツバージョン、10月にGLの豪華バージョンと、矢継ぎ早にバリエーション展開を広げて市場対策を講じるものの販売台数の回復には至らず、車体一部の防錆塗装に問題が発生するというイメージ悪化の追い打ちもあって、発売2年後には販売台数が半減、1973年には生産が終了してしまったのだ。