![「当時の国産車の中では抜群の空力特性を実現したエアロデザイン」性能を追い求めるあまり奇抜さが際立った悲運のクルマ[SUBARU アルシオーネ]](https://jikayosha.jp/main/wp-content/uploads/2025/01/dfeb622ea7a68dd32abf81a26dd92b1b.jpg)
1980年、一般家庭の乗用車普及率は57%と過半数を超える。さらに1981年には運転免許を保有する女性も1000万人を突破、有資格者の4人に1人の女性が運転を楽しむ時代となった。生活の向上とともに自動車は自己表現のツールとなり、マイカーの多様化はさらに進んでいく。一方国内メーカー各社はグローバル市場での収益拡大を狙い、上級でスタイリッシュな新型車を投入。スバルもレオーネクーペに代わる新時代のフラッグシップカー開発に着手する。すばる星団の中でもひときわ明るく輝く恒星「アルキオネ」の名をとったその新型車は、航空機製造をルーツとするメーカーらしいエアロデザインをまとい、電子制御エアサスペンションなど先進技術も導入。全天候型4WD高速ツアラーとして米国でも女性を中心に人気を博した。
●文:横田晃
アルシオーネ4WD 1.8VRターボ(1985年)
デビュー時はFFのVSターボと4WDのVRターボの2グレード。上級のVRターボは、エアスプリングを制御して車高や減衰力をコントロールするEP-Sやリヤワイパー、ヘッドランプウォッシャーなどが標準装備となる。
理想の空力性能を実現させるフロントとリヤのウインドウ傾斜角28度など、多岐にわたって開発者のこだわりが詰まったクルマだったが、大衆には受け入れられることはなかった。
主要諸元
●全長×全幅×全高:4450mm×1690mm×1335mm ●ホイールベース:2465mm●車両重量:1130kg ●乗車定員:4名●エンジン(EA82型):水平対向4気筒SOHC1781cc+ターボ ●最高出力:135PS/5600rpm●最大トルク:20.0kg・m/2800rpm●最小回転半径:4.9m ●10モード燃費:10.2km/L●燃料タンク容量:60L●変速機:3速オートマチック●サスペンション(前/後):ストラット式独立懸架/
セミトレーリングアーム式独立懸架●タイヤ(前/後):185/70HR13 ◎新車当時価格(東京地区):231万5000円
クルマにとって空気抵抗の低減は、加速性能/操縦性/経済性/静粛性の向上を目指すための最も効率的な手段。重心の低い水平対向エンジンの恩恵もあり、アルシオーネは初めてCD値0.30を切る国産車となった。
VRターボにオプションのエレクトロニック・インストルメントパネルには、平均車速などが表示できるトリップコンピューターとクルーズコントロールが一体で装備された。L字型ステアリングは乗降しやすいように65mm跳ね上がる。乗車時は前にセットした位置に復帰するメモリー付き。
1.8Lターボは、レオーネにも採用されていた水平対向4気筒SOHCのEA82型を採用。ただアルシオーネのローフォルムに対応すべく、独自のレイアウトとなっている。
輸出自主規制のなか、Zやセリカに続いたスバルの対米戦略車
妥協なく理想を追求した商品を標榜するのはたやすい。しかしその実現は難しい。なにしろ理想の追求には、カネもかかれば時間もかかる。本当は経営効率を追求したい企業にとっては、それとは相反しがちな理想との両立は、根本的な難題だ。なおかつ、その理想は時代とともに変化するし、作り手の考える理想がユーザーに理解されるかどうかは、発売してみないとわからない。スバル初のスペシャリティクーペとして誕生したアルシオーネは、そうした荒波に翻弄された一台だった。
日本車は1970年代に北米発の厳しい排ガス規制を乗り越え、オイルショックを引き金とした低燃費車人気の後押しも得て、1980年代の北米市場で一大勢力となった。小型車中心の日本車は、1970年代まで北米での主役だったフルサイズ車のようなステイタスはなかったが、経済的で信頼性も高く、若者や女性にも評価されていった。
その中でもメーカーに多くの利益をもたらしてくれたのは、実用車より高い値付けが可能なパーソナルクーペだ。日産やトヨタもサニーやカローラを地道に売る一方、付加価値の高いZやセリカで儲けを積み上げた。
それらは、日米貿易摩擦による輸出自主規制や現地生産化が進む1980年代を通して、台数は少なくとも儲かる商品として輸出の主力となった。逆に言うと、儲けの薄い実用車を日本で作って大量に輸出するビジネスモデルは、行き詰まりを迎えていたのだ。
1958年のスバル360で自動車メーカーとして名乗りを上げ、1966年のスバル1000で世界の自動車業界に影響を与えるほど優れたFF車を実現させた富士重工業(現・スバル)も、1971年に登場したレオーネで北米市場を開拓したものの、1980年代になるとその変化の壁に直面した。
そもそもスバル1000は技術的には高く評価されたが、その志は肝心の大衆には理解されず、サニーやカローラほどには売れなかった。後継のレオーネは分かりやすさも重視し、世界初の乗用車型4WD車など、独自の技術と個性を備えていたが、やはり広く大衆に支持されるモデルではなかった。
しかし北米においては、積雪地を擁する東海岸を中心に、主にインテリ層に支持される独自のポジションを得つつあった。
そこで、1984年に登場した3代目レオーネをベースに、スバルならではのスペシャリティクーペに仕立てられたのが、アルシオーネという商品企画だった。
ベースモデルは最新とはいえなかったが、空力性能にこだわることで他にはないスペシャリティに発展
アルシオーネの開発に当たって、技術者たちは”妥協なく理想を追求“しようと考えた。そもそもスバルのクルマ作りは、ルーツである航空機メーカーらしく合理的で理想主義的な姿勢こそが特徴。それを生かすことで、アルシオーネを他社にはない付加価値の高いスペシャリティカーにしようと考えたのだ。
アルシオーネのカタログには、そんな想いの成果が多くの数字で示されていた。CD(空気抵抗係数)値は日本車で初めて0.30の壁を破る、0.29を達成(4WD車は0.32)。そこに前面投影面積をかけたCD×A値は0.53。高速安定性や横風特性に大きな影響を与えるCLF(前輪揚力係数)=0.10。CLR(後輪揚力係数)=0。プレスリリースには、さらにCYM(偏揺モーメント係数)=0.07という素人にはちんぷんかんぷんの数字まで記されている。
ほかにも、理想の空力性能を実現させるフロントとリヤのウインドウ傾斜角28度などなど、開発者たちの鼻息が聞こえそうな文言がズラリと並ぶ。AT車には、電子制御油圧多板クラッチを採用した高速4WDシステム、MP-Tを搭載。車高や減衰力を変化させる電子制御エアサスも設定した。
自慢の技術で理想を追求する狙いそのものは、まったくもって正しかった。
ただし、残念ながら当時の富士重工業の持てるリソースは、今よりずっと頼りなかった。日本国内での経営規模を見れば彼らは立派な大企業だったが、世界を相手にビジネスをする自動車メーカーとしては、当時は中小規模だ。開発資金も潤沢とは言えず、アルシオーネ開発当時の主力商品である3代目レオーネのプラットフォームやパワートレーンも、1966年の初代スバル1000の基本設計をベースに、20年近く手直ししながら使ってきたものだった。
個性の源である水平対向エンジンはOHVからOHCへと進化して、ターボで武装もされていたが、クランクは貧弱な3ベアリング。ATもまだ3速しかない。開発陣はそこに持てる技術を組み合わせて、なんとかスバルならではの付加価値を表現しようとしたのだ。北米市場では、その技術の先進性をきちんと評価する大人の客もついた。
けれど日本の普通のドライバーには刺さらなかった。日本のスペシャリティカー市場の主役だった若者には、技術や空力の数値より、オーバーハングの長さや中途半端な車高など、レオーネベースであるがゆえのネガや、空力性能と引き換えに女性の長い爪を傷つけるドアノブのほうが、よほど問題だったのである。
アルシオーネ4WD 2.7VX(1987年)
ハロゲンフォグランプ組み込みの衝撃吸収バンパーのVXは4気筒車に比べわずかに全長が長い。エアコンや4輪ABS、クルーズコントロールやアルミホイールなどが標準装備となるため、4気筒車よりむしろ買い得な価格設定とも言えた。
【主要諸元】
●全長×全幅×全高:4510mm×1690mm×1335mm ●ホイールベース:2465mm●車両重量:1130kg ●乗車定員:4名●エンジン(EA82型):水平対向6気筒SOHC2672cc ●最高出力:150PS/5200rpm●最大トルク:21.5kg-m/4000rpm●最小回転半径:5.2m●10モード燃費:8.0km/L●燃料タンク容量:60L●変速機:4速オートマチック●サスペンション(前/後):ストラット式独立懸架/セミトレーリングアーム式独立懸架●タイヤ(前/後):205/60HR14 ◎新車当時価格(東京地区):292万9000円
1980年代から1990年代へバブル景気の波に翻弄されたアルシオーネSVXとスバル
さらにアルシオーネには、政治経済情勢の逆風も吹きつけた。デトロイトショーでの発表から8か月後、1985年9月にニューヨークで開催されたG5=先進5か国財相・中央銀行総裁会議でドル高是正が合意され、円高が急速に進んだのだ。それは、コスパの高さという日本車の最大の武器を完全に叩き潰すトレンドだった。
円高によって北米での販売価格の引き上げを余儀なくされたスバルの開発陣は、アルシオーネの高級化を図った。本来4気筒1.8Lを積んでいたボンネット内に、2.7Lの6気筒を押し込み、ATも4速化する。4WDシステムも前後駆動力配分を電子制御するACT-4となり、今日のスバルの武器であるシンメトリカルAWDシステムの礎となった。
しかし、手ごろな価格の若者や女性の足から高級パーソナルクーペへと、根幹となるキャラクターをいきなり変化させたアルシオーネに、顧客層はついていけなかった。乗ればたしかな手ごたえを感じさせる高速ツアラーだったが、日米どちらの市場でも、立ち位置を見失ってしまったのだ。
1980年代後半のこの時期、スバルは深刻な経営危機に陥り、倒産の噂さえ飛び交うほど追いつめられた。それを救ったのは、円高不況対策として日本政府が取った金融緩和策をきっかけとした好景気だ。後にそれはバブル景気と呼ばれて日本中を苦しめるが、おかげで資金の手当てがついたスバルは、エンジンもシャシーも抜本的に進化させた新世代メカニズムを開発。1989年にレガシィとして結実させると、起死回生のヒットとなった。
その余勢を駆って、スバルの開発陣は今度こそ、妥協なく理想を追求したクルマ造りに挑む。ジョルジェット・ジウジアーロの凝ったデザインに、3.3Lの水平対向6気筒エンジンを積む本物のグランドツアラー、アルシオーネSVXを1991年に送り出したのだ。
ガラスで覆われたようなジウジアーロのデザインを実現させた技術陣は、さぞかし鼻が高かったことだろう。アウトバーンやニュルブルクリンクサーキットも走り込んで仕上げた上質な乗り味も、実験部隊のセンスや腕を物語った。けれど、その勢いもまた続かなかった。
バブル景気の崩壊は、高価なSVXの市場を壊滅させた。レガシィが上質な実用車として支持された北米でも、SVXは不振に終わる。彼の地の人々は、スバルの技術はスペシャリティカーという付加的な価値ではなく、理想的な実用車という本質的な価値を実現させるためにこそ光ることを、正しく見抜いていたのかも知れない。
アルシオーネSVX バージョンL(1991年)
ルーフを除く360度全てを3次曲面ガラスで構成するグラスtoグラス( ガラスとガラスがほぼ接する状態)のエクステリアは、カーデザイン界の鬼才ジウジアーロの提案。細いピラー全てをガラスの内側に配した、まるでジェット機をイメージさせるラウンドキャノピーは電動昇降式のミッドフレームウインドウ付き。新システムVTD-4WDを核とする安全テクノロジーの積極採用、厳寒のフィンランドからニュルブルクリンクまで世界各地での走り込みによる操安性の評価も高かったが、生産台数は5年半で2万4379台にとどまった。
【主要諸元】
●全長×全幅×全高:4625mm×1770mm×1300mm ●ホイールベース:2610mm ●車両重量:1620kg ●乗車定員:5名●エンジン(EG33型):水平対向6気筒DOHC3318cc ●最高出力:240PS/6000rpm●最大トルク:31.5kg-m/4800rpm ●最小回転半径:5.4m ●10モード燃費:7.0km/L●燃料タンク容量:70L●変速機:4速オートマチック●サスペンション(前/後):ストラット式独立懸架/ストラット式独立懸架●タイヤ(前/後):225/50VR16 ◎新車当時価格(東京地区):399万5000円
エンジンは、レガシィの2.2Lをベースに開発された3.3Lのフラット6。低重心でコンパクト、フラットなトルク特性のこのエンジンはスポーツというよりジェントルという表現がぴったり。
アルシオーネ変遷
1985年(昭和60年) |
1月 デトロイトショーで世界初披露。 2月 「SUBARU XTクーペ」として対米輸出を開始。 6月 「アルシオーネ」の名で国内販売を開始。 10月 東京モーターショーに水平対向6気筒エンジン搭載のコンセプトモデル「ACX-Ⅱ」出品。 |
1986年(昭和61年) |
3月 VSターボに3AT車を追加。内装小変更。 |
1987年(昭和62年) |
7月 マイナーチェンジ(アクティブトルクスプリット4WD、E-4AT採用など)。2.7L水平対向6気筒搭載車VXを追加。 |
1989年(平成元年) |
8月 2.7LVXに「ブラックマイカ」のボディカラーを追加。 |
1991年(平成3年) |
8月 アルシオーネSVXに移行。 |
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