イメージチェンジが大成功。「大人のための色気あるクーペ」は、まさに会心の選択だった│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

イメージチェンジが大成功。「大人のための色気あるクーペ」は、まさに会心の選択だった

イメージチェンジが大成功。「大人のための色気あるクーペ」は、まさに会心の選択だった

●文:横田晃+月刊自家用車編集部

もともとプレリュードは、北米の女性を狙ったホンダの世界戦略カーだった

ホンダと言えば多くの人がモータースポーツを思い浮かべるだろう。創業者である本田宗一郎が、それを効果的に使ったのは事実だ。戦後生まれの若い2輪メーカーだったホンダの名を世界に轟かせた、1950年代のマン島TTレース挑戦。最後発メーカーとして4輪事業に進出するや、1964年に華々しく宣言したF1への参戦。

しかし、そうした高性能イメージを巧みにアピールする一方で、市販車作りにおいて宗一郎は誰よりも客のことを考え、どんな人が乗る商品なのかを、しっかりとイメージしていた。モータースポーツファンを熱狂させる情熱的なエンジニアリング以上に、市販車の開発では冷静な市場分析で庶民目線の商品企画をしていたのだ。

そうした姿勢の中からこそ、2輪車は荒くれた危険な乗り物というイメージを覆す、実用的でフレンドリーなスーパーカブが生まれたし、使い勝手の良さと小型車をもカモる高性能を併せ持つ軽自動車のN360も生まれた。

もちろん、自動車という商品の根源的な価値として、高性能は追求した。けれど、それだけで成功できるわけではないことも、彼は自身がこだわった高性能空冷エンジンを積む個性派クーペ、ホンダ1300の失敗で痛いほど学んでいた。売れる商品とは、客が求める商品である、というのは当たり前の事実だが、1970年代までの日本では、市場のニーズをきちんと調べて練りあげた商品企画は、実は意外と少なかったのだ。

本田宗一郎が経営から退いた後のホンダにも、客のニーズを考え抜くという彼が遺した姿勢は静かに息づいていた。1978年に登場した初代プレリュードもそうだ。

初代プレリュードXE (1978年)

初代プレリュードのラグジュアリーモデル。スポーツ系のXRとXTのハニカムグリルに対し、XEとEはパラレルグリルを採用。車速応動型のパワーステアリングやパワーウインドウも標準装備されていた。

⬛︎主要諸元 1800XE(1978年式)
●全長×全幅×全高:4090mm×1635mm×1290mm ●ホイールベース:2320mm ●車両重量:915kg  ●乗車定員:4名●エンジン(EK型):直列4気筒SOHC1750cc ●最高出力:90PS/5300rpm●最大トルク:13.5kg・m/3000rpm●最小回転半径:5.0m●60km/h定地走行燃料消費率:21.0km/L●燃料タンク容量:50L●ミッション:前進5段後進1段●サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式独立懸架/マクファーソンストラット式独立懸架●タイヤ(前/後):155SR13   ◎新車当時価格(東京地区):140万円

全車に搭載された1.8LのCVCCエンジン。改良で90PS-95PS-97PSへとパワーアップしていった。

実は地味な存在だった初代プレリュード

日本の国内市場だけを見るなら、プレリュードは失敗作だった。当時はオイルショックや排ガス規制を乗り越え、日本車が品質、性能ともに世界レベルに挑もうとしていた時期。一方で2ドアクーペは若者の乗り物という固定概念が根強く、その客層を狙って、刺激的な高性能や派手なスタイリングを売りにするのが常套手段だった。

そうした中で、プレリュードはことさらに高性能を謳わず、見るからに若者にウケそうなデザインも採用しなかった。開発陣が狙ったのは成熟した北米市場の大人、わけても女性だったのだ。

ホンダはようやく一家に一台のマイカーが普及し、若者もスポーツカーをローンで買えるようになった日本ではなく、働く女性が通勤の足としてオシャレにクーペを乗り回す北米を見据えていた。そして狙い通り、プレリュードは日本より北米で売れたのだった。

当時の日本の若者に、初代プレリュードが魅力的に映らなかったのは仕方ない。今見ると端正なフォルムも、当時の人気車だったセリカやスカイライン、サバンナRX-7などのライバルと比べると「大人」の味。そう言えば聞こえがいいが、はっきり言ってオヤジグルマに見えていた。

ほとんどのグレードに電動サンルーフを装備し、高級なコノリーレザーシートも用意した室内は快適だったが、当時のスポーツカーの常道だったずらりとメーターが並ぶコックピット感覚とは程遠く、刺激的な高性能エンジンの設定もなし。

さらに致命的だったのは、プレリュードが採用するFF方式は、スポーツ走行には向かないという当時のメディアの論調だった。実はその足回りのレベルは高く、目の肥えた批評家からはFFのネガを感じさせない上質なハンドリングと評されたものの、クーペと見れば自動車雑誌がサーキットに持ち込んでタイムを競う世相には、マッチしなかったのも事実だった。

開発されたテストコースの地名を取って、「三次ポルシェ」と呼ばれたサバンナRX-7の前では、優雅な「川越ベンツ」(プレリュードが生産される狭山工場の最寄りインターチェンジは関越道の川越だった)の俗称も、揶揄にしか聞こえなかったのだ。

初代プレリュードは、生産されていた狭山工場の最寄りインターチェンジの名称をかけて「川越ベンツ」と呼ばれていた。

豊かになった日本の若者にも受け入れられたスポーツ性と色気

しかし、急速に発展・成熟していた当時の日本は、その優雅な個性にたちまち追いついた。1982年に登場した2代目プレリュードは、初代の不人気が嘘のように、日本国内でもブレイクしたのである。2代目プレリュードには、初代で築いた大人のパーソナルクーペという個性に加えて、ホンダらしいこだわりのある付加価値がいくつも与えられていた。最も目につくのは極限まで低められたボンネットだ。

2代目プレリュードには、世界初のハイマウントアッパーアーム式ダブルウィッシュボーンが採用された。この選択は、まずデザインありきという、スペシャリティカーならでは理由が大きく、「フロントフードを初代より100㎜低くしたい」という、デザイン部門の要求を満たすため、エンジニアたちが導き出した回答だったのだ。

そのために採用された凝ったダブルウイッシュボーンの足回りは、ほとんどロールを感じさせることなく機敏に回頭する、独特のハンドリングも実現させていた。先代の個性でもあったサンルーフに加えて、日本車初の4輪ABS(当時ホンダはALBと呼んだ)も搭載。さらに助手席のリクライニングレバーを右側にも備え、センターコンソールを低く抑えたインテリアは、当時の流行語だったヤンエグ(ヤング・エグゼクティブ)のデートカーとして歓迎されたのだ。

バブル景気に向かって日本中が盛り上がる時代に、大人のための色気のあるクーペというホンダの商品企画は見事にマッチ。CMに使われたラヴェル作曲の「ボレロ」の調べとともに、プレリュードは時代の寵児となった。

ラヴェル作曲「ボレロ」の調べとともに颯爽と走るTV-CMが見事にハマり、総生産台数60万台を超える人気車となった2代目プレリュード。この低いボンネットデザインを実現するために、ハイマウントアッパーアーム式ダブルウィッシュボーンサスペンションが世界で初めて採用された。

2代目プレリュード1.8XX  (1982年)

主要諸元 1800XX(1982年式) 
●全長×全幅×全高:4295mm×1690mm×1295mm ●ホイールベース:2450mm ●車両重量:980kg ●乗車定員:4名●エンジン(ES型):直列4気筒SOHC1829cc ●最高出力:125PS/5800rpm●最大トルク:15.6kg-m/4000rpm●最小回転半径:5.1m●10モード燃費:12.0km/L●燃料タンク容量:60L●トランスミッション:前進5段後進1段●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/マクファーソンストラット式独立懸架●タイヤ(前/後):185/70SR13   ◎新車当時価格(東京地区):171万8000円

XXのインパネ。ベストポジションをセットしておけば、ドライバーが変わって変更しても、自動的に元に戻る記憶式チルトステアリングを標準装備。ステアリング内のスイッチはクルーズコントロールのもの。またXXでは4万円高でカラード液晶デジタルメーター車も選択できた。

腕を動かしやすいローショルダーのフルバケットシート。シートスライド量は180mm、リクライニングは18段、ヘッドレストは前後調整機能付き。

2代目プレリュード2.0Si (1985年)

1985年6月に追加されたB20A型4バルブDOHCエンジンを積む2.0Si。高性能エンジンを押し込むためボンネットは少しふっくらし、パワーバルジも付いた。1.8XXに比べブレーキやタイヤを強化、ギヤ比もきめ細かに設定を変更している。

主要諸元 2.0Si(1985年式) 
●全長×全幅×全高:4375mm×1690mm×1295mm●ホイールベース:2450mm ●車両重量:1040kg●乗車定員:4名●エンジン(B20A型):直列4気筒DOHC1958cc●最高出力:160PS/6300rpm●最大トルク:19.0kg-m/5000rpm●最小回転半径:5.1m●10モード燃費:13.0km/L●タンク容量:60L●トランスミッション:前進5段後進1段●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/マクファーソンストラット式独立懸架●タイヤ(前/後):195/60R14 85H   ◎新車当時価格(東京地区):209万5000円

無駄にこそ価値のあるパーソナルクーペの企画にとどめを刺したバブル崩壊

2代目の大成功をバックボーンに、バブル景気真っ盛りの1987年に登場した3代目プレリュードは、2代目の路線をさらに洗練させたようなキープコンセプトを選択。凝ったメカニズムを採用することも同じで、3代目にはステアリングの操作角によって同位相と逆位相を切り替える世界初のメカニカル4WS機構など、ホンダらしく独創的な選択がなされていた。

ただ、登場の翌年に大きなライバルが立ちふさがる。それが日産のS13型シルビアだ。美しいデザインにツインカムターボの強力なエンジンを積み、FR駆動で振り回す走りも楽しめたシルビアは、デートカーのニーズに加えて、走り屋からも支持されることになる。

プレリュードもDOHCエンジンのSiを擁するとはいえ、上質ではあるが刺激的ではないプレリュードは、じりじりとシルビアに引き離され、その焦りからか、ホンダは1991年の4代目プレリュードを、それまでとは異なるコンセプトに振ることになる。全幅1765mmのワイドボディに最高200psの2.2Lを積むグレードを用意するなど、王道的なスポーツクーペ路線へと舵を切ったのだ。

バブル景気が崩壊し、世の中の価値観が大きく変化し始めていたこの時代は、世界の自動車市場の環境も激変期を迎えていた。

RX-7やスープラといった本格的な国産スポーツカーが登場する一方で、北米ではそうしたモデルの若者による事故の多発から保険料の高騰というリスクが生まれていた。

日本国内市場に目を向ければ、このころからファミリーカーとしてはエスティマなどのミニバンが台頭し始め、セダン市場が凋落。バブル崩壊で若者たちは収入が低下し、高価な2ドアのパーソナルカーなど買えなくなる。誰が求める商品なのかを考える商品企画のスタートの部分から、クーペ市場には逆風が吹き荒れていた。

走りに振った4代目が、結果的に奮わなかったことを受けて、1996年に誕生した5代目プレリュードはふたたび初心に帰り、優雅で華のあるスペシャリティクーペを志した。

けれど、もはやそこにビジネスチャンスは存在していなかった。初代プレリュードが狙った働く女性の通勤の足や、2代目が射止めた若者のデートカーといったニーズは、トヨタRAV4やホンダCR-Vなどの乗用車ベースのSUVが満たしていた。

マニアックなクルマ好きは、より本格的なスポーツカーを欲する一方、マイカーが一般的な生活用品となった時代に育った若者たちは、伊達で粋なスペシャリティクーペという商品企画を求めない。

市場のニーズを考え抜いて生まれ、大ヒット車となったプレリュードだったが、ほかでもない市場の変化で立つべき足場を失ってしまったのだった。

3代目プレリュード2.0XX (1987年)

4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションに4輪操舵、大ヒットした2代目以上に低くなったボンネットは、フェラーリと比較されたほど。エンジンは全車2Lとなり、12バルブSOHCと16バルブDOHCをラインナップ。とくにシルビアS13登場までは先代以上の人気を博した。

主要諸元 2.0XX(1987年式) 
●全長×全幅×全高:4460mm×1695mm×1295mm ●ホイールベース:2565mm●車両重量:1110kg●乗車定員:4名●エンジン(B20A型):直列4気筒SOHC1958cc ●最高出力:110PS/5800rpm●最大トルク:15.5kg-m/4000rpm●最小回転半径:4.8m(4WS車) ●10モード燃費:12.0km/L●燃料タンク容量:60L●トランスミッション:前進5段後進1段●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/ダブルウィッシュボーン式独立懸架●タイヤ(前/後):185/70R13 85S   ◎新車当時価格(東京地区):182万円

3代目プレリュード2.0Si TCV (1989年)

主要諸元 2.0Si TCV(1989年式) 
●全長×全幅×全高:4460mm×1695mm×1295mm ●ホイールベース:2565mm●車両重量:1140kg●乗車定員:4名●エンジン(B20A型):直列4気筒DOHC1958cc ●最高出力:145PS/6000rpm●最大トルク:17.8kg-m/4500rpm●最小回転半径:4.8m(4WS車) ●10モード燃費:12.0km/L●燃料タンク容量:60L●トランスミッション:前進5段後進1段●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/ダブルウィッシュボーン式独立懸架●タイヤ(前/後):195/60R14 85H   ◎新車当時価格(東京地区):220万7000円

4代目プレリュード2.2Si VTEC (1991年)

エンジンは2.2Lへ排気量をアップ、SOHC車はなくなり、DOHC車とそのVTEC仕様だけのラインナップとなる。全長を短く、全幅を拡大するなどボディサイズも見直され、より運動性能を重視したFFスポーツカーへと路線変更。バイザーレスタイプの未来感覚のインパネデザインやキャビンの基本設計から音響効果を考えたオーディオへのこだわりも特徴だった。

主要諸元 2.2Si VTEC(1991年式) 
●全長×全幅×全高:4440mm×1765mm×1290mm ●ホイールベース:2550mm ●車両重量:1040kg●乗車定員:4名●エンジン(H22A型):直列4気筒DOHC2156cc ●最高出力:200PS/6800rpm●最大トルク:22.3kg-m/5500rpm●最小回転半径:4.9m(4WS車) ●10モード燃費:11.0km/L●燃料タンク容量:60L●トランスミッション:前進5段後進1段●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/ダブルウィッシュボーン式独立懸架●タイヤ(前/後):205/55R15 87V  ◎新車当時価格(東京地区):220万5000円

5代目プレリュード2.2SiR (1996年)

超個性的でユーザーを選んだ先代から、オーソドックスなスポーティクーペへと回帰。マニュアルのように自由に変速できるシーケンシャルモード付きのAT、旋回時に左右の駆動力配分を変化させ安定性を向上させるATTSなどを目玉とした。2.2LのVTECエンジンは、200PSを発生、タイプRはさらに高圧縮化などの改良で、NAながらリッター100PSを達成。

5代目プレリュード2.2 Type S (1996年)

主要諸元 Type S(1996年式) 
●全長×全幅×全高:4520mm×1750mm×1315mm ●ホイールベース:2585mm●車両重量:1300kg ●乗車定員:4名●エンジン(H22A型):直列4気筒DOHC2156cc ●最高出力:220PS/7200rpm●最大トルク:22.5kg-m/6500rpm●最小回転半径:4.7m(4WS車) ●0・15モード燃費:12.4km/L●燃料タンク容量:60L●トランスミッション:前進5段後進1段●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/ダブルウィッシュボーン式独立懸架●タイヤ(前/後):205/50R16 87V   ◎新車当時価格(東京地区):265万3000円

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