「未来の国から来た…」国産初のスペシャリティカーとして一躍ヒーローになった ”あの名車“│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「未来の国から来た…」国産初のスペシャリティカーとして一躍ヒーローになった ”あの名車“

「未来の国から来た…」国産初のスペシャリティカーとして一躍ヒーローになった ”あの名車“

1970年10月の第17回東京モーターショーで、そのクルマは初めて姿を見せた。それまでの国産ハードトップでは珍しい曲面を多用した斬新なデザイン、同時に発売された兄弟車カリーナとの部品共通化による合理的な価格設定も功を奏し、セリカは趣味嗜好の商品企画とは思えぬヒット車となる。EX-1というコンセプトカーをベースにし、自分だけの1台をオーダーできるフルチョイスシステムを採用する一方で、トヨタはいざとなれば5人乗りもできる実用性にもしっかり目を向けていた。

●文:横田 晃(月刊自家用車編集部)

セリカはT型フォード以来の大ヒットといわれる初代マスタングに多大な影響を受けている。部品共用によるコストダウン、2ドアの5人乗りレイアウト、そして自由に組み合わせが選べるフリーチョイスシステムもマスタングが手本だった。

フルチョイスシステム
エンジン、外装、内装の組み合わせだけで27種類。これにミッションやボディカラー、オプションを加えると数百万のバリエーション。ユーザーは自分だけのセリカを選ぶことができた。販売店は1日の受注内容をテレックスで即座に連絡し、トヨタは生産効率を考えて組立計画を工場に指示。これにより納車期間半減に成功した

セリカクーペは、発売前年のモーターショーに出品されたコンセプトカー「EX-1」をベースに開発された。独立トランクを持つ2ドアクーペで、同時に登場したカリーナとプラットフォームを共用する。

高級クーペとは一線を画す若者にも手が届く価格で夢を提供したセリカ

その地位を完全に定着させたのが、大衆セダンのフォードファルコンのシャシーにスポーティな専用ボディを載せ、特別仕立てのクルマ=スペシャリティカーを名乗って1964年に登場するや、大ヒットとなったマスタングだ。1960年代には、トヨタ2000GTやコスモスポーツといった欧州的な高級クーペに挑んでいた日本のメーカーが、マイカー時代の到来とともに、より売れそうな北米型の商品企画に力を入れたのも当然のこと。かくして、日本初のスペシャリティカーとして1970年12月に登場したのがセリカだった。

カローラやサニーにも、すでにクーペは設定されていたが、ボディ前半はセダンと共用していたそれらとは違い、セリカは独立した 車名が与えられ、ボディもベースとなったカリーナとはまったく異なる専用デザイン。「未来の国から来たセリカ」というキャッチフレーズにふさわしいフォルムは、たちまち若者たちを虜にした。

内外装の組み合わせが自由に選べるフルチョイスシステムは、先輩格のフォードマスタングに倣ったもの。テレックスなどを使った日本初のその生産管理システムは、今日のトヨタの膨大なラインナップを合理的に生産するシステムの先駆けとなったものだ。最上級グレードとして設定されたGTには、カローラに積まれていたOHVのT系をベースに、ヤマハがDOHC化した1.6Lのスポーツエンジン、2T-G型が搭載されたのも注目された。それまでのDOHCエンジンは、レース用の特別なメカニズム。ところが、セリカGTのそれは、街中での扱いやすさと高性能を両立させ、高度な生産技術によって手頃な価格まで実現させていたのだ。

大阪で開かれた東洋初の万国博覧会を成功させ、イケイケどんどんの高度経済成長の只中にあった日本の若者たちは、競ってこのクルマに飛びついた。その人気は息長く続き、排ガス対策用機器搭載でボディを大型化するというフルモデルチェンジ並みの進化を遂げながら、デザインは変えることなく、1977年まで作られ続けた。

全車に丸形5連メーターを採用。写真のGTはダークグレーメタルの計器盤、3本スポークの本革巻きステアリングで差別化された。GTにはAM/FMラジオが標準装備。

ハイバックシートはアイボリー、レッド、ブラックを用意。GTは専用のテープヤーンニットレザー(黒)であった。

スピードメーターは200km/hまで刻まれている。

3連メーターは、左から油圧計/電流計、水温計、燃料計。

GTに搭載される2T-G型1.6L DOHCは、カローラに積まれていたT型エンジンを、ヤマハがDOHC化したもの。

DOHCエンジンの普及に一役買ったGTがセリカ人気の中心

発売とともに爆発的な売れ行きを示したセリカの人気をさらに高めたのが、1973年に追加された、ハッチゲートを持つリフトバックと呼ぶバリエーションだ。そもそも、1969年の東京モーターショーに出展され、セリカのルーツとなったコンセプトカーのEX-1はこちらにより近い、ファストバックのデザイン。本家であるマスタングも、1969年登場の2代目はファストバックのフォルムになっていた。そのマスタングを彷彿とさせる流麗なスタイルのセリカリフトバックは、若者からは親しみと憧れを込めて「エルビー」と呼ばれた。

「何に乗ってるの?」と聞かれて「エルビー」と答えるのが自慢になるほどの人気を呼んだのだ。ちなみに、リフトバックの発売後、オリジナルのクーペボディは「ダルマ」のニックネームで呼ばれるようになった。その由来は3ボックスの安定感のあるサイドビューから、はたまた丸みを帯びた後ろ姿からの連想など諸説ある。クーペのGTは1.6Lの2T-G型だったが、リフトバックには2Lの18R-G型DOHCが積まれ、動力性能も一段上。1973 年にはクーペにも2Lを搭載。排ガス対策で2T-G型(キャブレター仕様)が1975年に消滅した際にもこの2L DOHCは生き残った。

一方、2T-G型の1.6Lは1972年にカローラ/スプリンターのクーペボディに積まれてレビン/トレノを名乗り、軽量なボディに高性能なDOHCエンジンの組み合わせで、モータースポーツでも大活躍。セリカとはまた違ったファン層を生む。当時の棲み分けをざっくりと言えば、大人ぶって背伸びしたい若者のセリカ&エルビーであり、峠道でハンドリングを楽しむような、よりピュアなクルマ好きに好まれたのがレビン/トレノだった。部品点数が多く、組み立ての手間もかかるDOHCエンジンの量産化は、その後、他のメーカーにも波及する。その成果は高性能だけでなく、緻密な燃焼制御による排ガスの浄化や燃費向上など、今日のクルマに求められる性能の実現に大きく貢献した。軽自動車にもDOHCエンジンが当たり前に積まれる今日の日本の生産技術は、セリカのDOHCエンジンの成功をきっかけに進んだのである。セリカが進んでいたのは、エンジンだけではなかった。大衆車はまだ板バネの固定軸(非独立)リヤサスが主流だった時代に、セリカのリヤサスは固定軸とはいえコイルスプリングとリンクを使い、走りとコストを両立させていた。セリカは、機能と価格を高度に両立させる、今日の日本車の強みを確立した一台でもあったのだ。

パーソナルクーペという車型の地位は、地域によって大きく違う。今なお階級社会の名残を残す欧州でのそれは、富裕層が休日に乗り回す、ぜいたくな乗り物の色が濃い。そもそもコンパートメント=個室と同じ語源を持つクーペという呼称自体が、貴族階級が自分で操って遠乗りを楽しむための、2人乗りの馬車に由来する。一方、早くから自動車が大衆化した北米のクーペは、若者の身近なデートカーという立ち位置だ。

「未来の国からやって来た」のキャッチとともに若年層にアピールしたクーペと違い、LBは趣味やアウトドアレジャーをイメージし、中高
年までを取り込むスペシャリティカーとして登場。クーペから主役を奪い取る人気者になった。

マスタングを彷彿とさせる流麗なスタイルのファストバックフォルムを採用したセリカリフトバック。

2000GTの18R-G型エンジン。当時クラス最強の145PSを誇った。

リフトバックは4本スポークのステアリング。GTは本革巻き。計器類の配置はクーペと共通。シフトの手前に見えるのは灰皿だ。

通気性向上のエアホールも付いたLB2000GTのハイバックフロントシート。シートアジャストは前後160ミリ。

2006年を最後に生産終了したセリカだが復活待望論も根強い

手頃な価格で快適かつスポーティな走りを実現させていたセリカは、海外市場でも人気を呼んだ。とくに北米市場では、狙い通り若者のデートカーとして売れ行きを伸ばす。結果、1977年に登場した2代目は、CALTYと呼ばれるトヨタのカリフォルニアスタジオのデザインを採用することになった。

もっとも、北米市場では6気筒エンジンの搭載が必須。コンパクトなセリカにはそれは難しく、2代目ではノーズを延ばして6気筒エンジンを搭載するモデルも派生させ、日本ではセリカXXとして売られた。のちにそれがスープラへと独立・発展することになる。一方、欧州市場での小型車の拡販には、モータースポーツへの参戦が効果的だった。中でも人気だったのが、1973年に世界選手権(WRC)が始まったラリーだ。

セリカも初代からWRCやツーリングカーレースに積極的に参戦した。1981年に登場した3代目では、1.8Lのツインカムターボまで搭載。改造範囲の広いグループBカテゴリーのWRC参戦マシンでは2Lまで排気量を拡大し、過酷なサファリラリーで3連覇を飾るなどの活躍をした。この時代の日本車は、排ガス規制を乗り越えた技術力で、クルマとしての性能を

大きく向上させていたのだ。流面形を謳って1985年に登場した4代目ではベース車がFFとなった一方、フルタイム4WD車も登場。ツインカムターボエンジンと組み合わせたGT-FOURで、日本車初となるWRCドライバーズタイトルも獲得した。1989年に登場した5代目では、WRC参戦ベース車となるGT-FOUR RCも誕生。1993年にはトヨタ初のメイクス&ドライバーズのダブルタイトルも手に入れている。

ただし、セリカのWRCにおける活躍はここまでだった。1993年に登場した6代目セリカにもGT-FOURが設定されたものの、成績は低迷。挙句の果てにレギュレーション違反まで犯して1年間の出場停止を食らってしまうのだ。1997年から、トヨタがWRCに投入したマシンはカローラになった。1999年にはそれでメイクスチャンピオンタイトルも獲得するが、同年にトヨタはWRCへのワークス参戦を休止する。今年からWRCに復帰、既に1999年以来の優勝も手にしたが、そのマシンもヤリス(ヴィッツ)だ。市販モデルでも、1999年に登場した7代目が2006年に生産を終了するとともに、セリカの名は消滅してしまった。かつて若者たちを熱狂させた、未来の国から来たセリカは、ついに過去に置き去りにされてしまったのである。

歴代セリカ アーカイブ

⬛︎ 2代目(1977年~)

真のGTカーを目指し、居住性や積載性も向上、また豪華さも初代よりスケールアップ。ボディはクーペとLB、1.6Lと2Lの2種のツインカムを用意するのは初代と同じ。

⬛︎ 3代目(1981年~)

ライズアップヘッドライトを採用する直線基調のダイナミックなフォルムへ。フラッグシップには18R-Gに変わり、ツインカムターボ+ツインプラグの3T-GTEU型エンジンを搭載。

⬛︎ 4代目(1985年~)

この代からFFに変貌。Cd値0.31の流面形と謳うハッチバッククーペのみのボディバリエーションとなる。GT-FOURも発売し、WRC本格参戦も開始。

⬛︎ 5代目(1989年~)

電子化、高性能化がさらに進み、4WDには電子制御の後輪操舵機構も組み合わされる。名手カルロス・サインツによるWRCでの大活躍は広く知られている。

⬛︎ 6代目(1993年~)

販売の軸足は国内より海外へ。この代から全車3ナンバーのワイドボディとなる。先代同様、ハッチバッククーペとコンバーチブルをラインナップ。

⬛︎ 7代目(1999年~)

ライトな新感覚GTを目指しボディを小型化、エンジンも1.8ℓ専用へ。とはいえ可変バルブ機構採用の2ZZ-GEエンジンは6000回転を境に牙を剥いた。

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