「一体どうして…」たった20台しか製造されなかった、72年前のスバルの傑作車。とんでもない完成度を誇った幻のクルマ[P-1(スバル1500)]を紹介│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「一体どうして…」たった20台しか製造されなかった、72年前のスバルの傑作車。とんでもない完成度を誇った幻のクルマ[P-1(スバル1500)]を紹介

「一体どうして…」たった20台しか製造されなかった、72年前のスバルの傑作車。とんでもない完成度を誇った幻のクルマ[P-1(スバル1500)]を紹介

現在まで続く「スバル」の名を初めて冠したクルマをご存じだろうか。それが1954年に試作車が完成した「スバル1500」、開発呼称「P-1」である。国産初のモノコックボディを採用するなど高い完成度を実現しながら、量産には至らなかった幻の名車だ。

●文:月刊自家用車編集部

「スバル」の名はここから始まった! 量産を目前に姿を消したP-1

現在のSUBARUにつながる自動車づくりの歴史を語るうえで、欠かすことのできない一台が「スバル1500」である。開発時には「P-1」と呼ばれていたこのクルマは、富士自動車工業株式会社が乗用車市場への進出を目指して開発した小型乗用車であった。

1954年に試作車が完成したスバル1500。国産乗用車として初めてモノコックボディを採用するなど、当時としては先進的な技術が盛り込まれていた。端正にまとめられたスタイリングも印象的だ。

開発が本格化したのは1952年頃。当時の技術陣にとって、本格的な乗用車の開発はほぼゼロからの挑戦であった。それでも、中島飛行機時代から受け継がれた航空機開発のノウハウを生かし、軽量かつ高剛性な車体と優れた乗り心地、走行安定性を備えたクルマを目指したのである。

その成果として1954年2月に完成した最初のP-1は、4ドアの6人乗りセダンという堂々としたボディを持ち、当時の国産乗用車としては画期的なモノコック構造を採用していた。SUBARUはこれを「国産初のモノコックボディ」としている。

駆動方式はフロントエンジン・リアドライブのFR。中央にはプロペラシャフトを通すフロアトンネルが設けられるが、前席3人、後席3人の計6人乗車を可能としていた。

足まわりにも先進的な設計が盛り込まれた。フロントにはウィッシュボーン式独立懸架とコイルスプリングを組み合わせ、リアには車軸懸架と3枚板ばねを採用。当時の国産乗用車では前輪にも固定懸架を用いる例が多かったなか、P-1は乗り心地と操縦安定性を重視した設計を徹底していたのである。

インストルメントパネルは装飾を抑えたシンプルなデザイン。細身の大径ステアリングなど、1950年代の乗用車らしい雰囲気を色濃く残している。

ダッシュボード中央には大型のスピードメーターを配置。表示は120km/hまで刻まれており、その左右には各種スイッチ類などが整然とレイアウトされている。

試作車の域にとどまらない完成度を誇ったP-1

しかし、開発途中で大きな問題が持ち上がった。

当初搭載されたのは、富士精密工業株式会社が製造する1.5L直列4気筒OHVの「FG4A型」エンジンで、排気量1484cc、最高出力48PSを発生した。しかし旧中島飛行機系各社の再統合が進むなか、富士精密工業は富士重工業への合流には参加せず、1954年にはプリンス自動車工業株式会社を吸収合併。こうした事情からFG4A型の供給が打ち切られることになった。

そこで大宮富士工業株式会社が独自開発したのが「L4-1型」である。1485ccの直列4気筒OHVで、最高出力55PS、最大トルク11.0kgf・mを発生。さらに整備重量は92kgと、約150kgあったFG4A型から大幅な軽量化も実現していた。1955年3月には、このL4-1型を搭載したP-1も完成している。

搭載されるL4-1型エンジンは大宮富士工業株式会社が独自に開発した1485cc直列4気筒OHV。最高出力55PSを発生し、先に搭載されていたFG4A型に対して大幅な軽量化も実現していた。

最終的にP-1は合計20台が試作され、11台がFG4A型、9台がL4-1型を搭載した。このうち6台は群馬県の太田、伊勢崎、本庄などのタクシー会社へ特別に販売され、約1年間にわたって営業車として実用テストが行われた。残る車両についても自家用車などとして走行試験が続けられ、乗り心地や車体、足まわりの耐久性は高く評価されたという。

クルマとしての実力は決して試作車の域にとどまるものではなかった。1957年に運輸省が実施した国産乗用車の性能テストでも最優秀の成績を収めており、量産車として世に出ても不思議ではないほどの完成度に達していたのである。

わずか20台の試作で姿を消した傑作車

そしてP-1には、もうひとつ大きな意味があった。

1953年7月には、東京富士産業株式会社、富士工業株式会社、富士自動車工業株式会社、大宮富士工業株式会社、宇都宮車輌株式会社の5社が共同出資して富士重工業株式会社を設立。さらに1955年4月には、この5社が富士重工業に吸収合併され、旧中島飛行機系企業の再統合が実現した。

その新たな会社を象徴する自動車ブランドとして選ばれたのが「すばる」である。プレアデス星団の和名である「昴」に由来し、複数の会社がひとつに集まった富士重工業の成り立ちにも重なる名称だった。P-1は、後に世界へ広がる「スバル」の名を初めて冠した自動車となったのである。

試作車ながら実際にナンバーを取得して公道を走行し、一部はタクシー会社で営業車として使用された。量産を想定して開発されたモデルだけに、車両としての完成度は非常に高かった。

それほど将来を期待されたP-1だったが、本格的な量産には至らなかった。自動車メーカーとして1500cc級乗用車を量産するためには、大規模な生産設備だけでなく、全国規模の販売・サービス網も必要になる。発足間もない富士重工業にとって、その負担はあまりにも大きかったのである。

トランクにはスペアタイヤを収容。ホイールまでボディと同系色で仕上げられており、試作車とは思えないほど細部まで丁寧に作り込まれている。

スバル1500の技術は、後の量産車に受け継がれていった

こうしてスバル1500は、わずか20台の試作で歴史の表舞台から姿を消した。

だが、その挑戦が無駄になったわけではない。モノコック構造をはじめ、軽量化やサスペンション、乗り心地を追求した経験は、その後の自動車開発へと受け継がれていった。1958年には富士重工業初の量産乗用車となる「スバル360」が登場。さらに1966年には「スバル1000」が誕生し、独自の技術思想を持つ自動車メーカーとしての歩みを本格化させることになる。

市販されなかったにもかかわらず、スバルの歴史を語るうえで決して外すことのできない一台。それこそが、P-1ことスバル1500が「幻の名車」と呼ばれる理由なのである。

スバル1500主要諸元(※L4-1型エンジン搭載車)

  • 全 長:4235mm
  • 全 幅:1670mm
  • 全 高:1520mm
  • 車両重量:1230kg
  • エンジン:水冷4サイクル直列4気筒OHV
  • 総排気量:1485cc
  • 最高出力:55PS/4400rpm
  • 最大トルク:11.0kgf・m/2700rpm

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