スバル1000、ff-1、レオーネと受け継がれた歴代スバルFF小型車には、真面目だがどこか地味で泥臭い印象がついてまわっていた。それらを払拭すべくレオーネから名称を変更、1992年に登場したのが初代インプレッサだ。WRC(世界ラリー選手権)での活躍、スパルタンモデルWRXシリーズの設定など、派手な高スペック戦略で新たなスバリストを掘り起こす一方で、主力小型車としてスバル伝統の技術もしっかり受け継がれていた。新型登場を機に、スバルの名を一気に世界に轟かせた初代インプレッサを振り返っていくことにしよう。
●文:横田晃
- 1 時代に先駆けすぎたスバル1000の志を、花開かせたインプレッサ
- 2 海外メーカーに影響を与え、専門家から称賛されるも、国内ではカローラ&サニーのライバルにはなりえなかったスバル1000
- 3 乗用車型4WDという個性を受け継いだレオーネだが、多くの人に認められるのは、次に登場したレガシィまで待つことになる
- 4 レオーネから飛躍的に進化した水平対向エンジンと最新4WDシステムを搭載。走破性はもちろん、ハンドリングも熟成された
- 5 ライバルとなるサニーやカローラに比べ、オーバースペックだった高度な技術や作り込み
- 6 インプレッサの魅力は、WRC(世界ラリー選手権)の舞台で花開くことになる
- 7 英国の名門とのタッグで参戦したWRCの走りが「SUBARU」の名を世界に知らしめた
- 8 初代インプレッサの変遷とバリエーション
時代に先駆けすぎたスバル1000の志を、花開かせたインプレッサ
どんな商品であれ、消費者に理解できない技術や個性は、成功の決め手にはならない。どれほど専門家の高い評価を得たとしても、その時代の消費者に使いこなせない、あるいは価値がわからない商品は売れないのだ。1966年に登場したスバル1000は、まさにその一例だった。
戦時中にはスバルの前身の中島飛行機で戦闘機のエンジンを手がけた開発者の百瀬晋六氏は、彼自身が開発して大ヒットしたスバル360に続いて、航空機エンジニアらしい合理性と理想主義で、世界に恥じない小型車を目指した。軽量コンパクトで低重心の水平対向エンジン。世界初の伸縮式等速ジョイントを使った、滑らかな走りのFF方式。乗り心地と操縦安定性に貢献するデフ側配置のインボードブレーキ。高効率な電動ファン式冷却システムなど、ライバルとはケタ違いの高度な技術で革新的なクルマを作ったのだ。
海外メーカーに影響を与え、専門家から称賛されるも、国内ではカローラ&サニーのライバルにはなりえなかったスバル1000
ただし、その代償としてスバル1000は、同年に先行発売された初代サニーより高価になった。後から発売されたカローラはスバル1000に近い価格だったが、マイカーに憧れる庶民の気持ちを巧みにくすぐったカローラと較べると、スバルの高性能や革新性は当時の人々には理解できなかった。スバル1000は専門家からは絶賛され、海外のメーカーにも影響を与えたものの、主たる市場である日本国内では、カローラやサニーの影に隠れてしまったのだ。
乗用車型4WDという個性を受け継いだレオーネだが、多くの人に認められるのは、次に登場したレガシィまで待つことになる
しかし、その志は後継モデルに受け継がれた。1971年に登場したレオーネには、インボードブレーキ以外のメカニズムがほとんど継承され、スタイリッシュなサッシュレスドアというわかりやすい魅力も身につけていた。さらに東北電力の依頼をきっかけに誕生した世界初の乗用車型4WDという個性も大事に育てられ、3世代17年に亘って熟成されるのだ。
そうして蓄積した他に類を見ない個性的な技術が、ついに多くの人に認められたのが1989年に登場したレガシィだった。ボディもエンジンも基本骨格から見直され、4WDのメカニズムも熟成されて、超高速走行を可能にしていた。スバル1000登場の頃と較べると、日本人のクルマを見る目も肥えたバブル真っ盛りに誕生したレガシィは、国内はもちろん、海外でも大ヒットとなった。
ただし、レオーネと較べると、レガシィの車格はひとクラス上。いくら好評でも、数が出るクルマではない。そこで、レガシィのメカニズムを活かしながら量販モデルとして企画されたのが、1992年に誕生したインプレッサだったスバル1000が開発された1960年代の日本の自動車技術は、まだまだ世界に追いついてはいなかった。走りの理論も未熟。FFの操縦性に関しても、前から引っ張るからFRより安定している、という程度の認識の時代だ。
レオーネから飛躍的に進化した水平対向エンジンと最新4WDシステムを搭載。走破性はもちろん、ハンドリングも熟成された
しかし、それから26年後、インレッサが登場した1992年当時の日本は、バブル景気の後押しもあり、技術も素材も理論も、世界レベルに到達しようとしていた。百瀬氏が手さぐりで苦労しながら目指した理想を、インプレッサの開発者たちは最新の知見で自信を持って形にすることができたのだ。
レオーネまでは原始的なOHVと3ベアリングで高回転は望めなかった水平対向エンジンは、OHCと5ベアリングの新世代となり、スポーツモデルにはDOHCのインタークーラーターボまで積むことができた。
初代レオーネの時代にはパートタイム方式でスタートした4WDシステムも、ATでは電子制御の可変トルク配分まで可能なフルタイムシステムになり、走破性だけでなく、ハンドリングにも寄与するまでに熟成された。スーパーコンピュータによる解析で、伝統となったサッシュレスドアを継承しながら、軽量・高剛性のボディも実現できた。
1972年に初代レオーネで量産国産車としては初採用された4輪ディスクブレーキも、インプレッサには当たり前のように搭載されていた。サスペンション技術の向上は、しっかりとした接地感と機敏なハンドリングを両立。百瀬氏がインボードブレーキで目指したバネ下重量の軽減は、WRXに採用された鍛造アルミ製のロアアームで実現される時代を迎えていた。
ライバルとなるサニーやカローラに比べ、オーバースペックだった高度な技術や作り込み
年譜の上ではインプレッサはレオーネの後継車ということになるが、その志や内容は、3世代のレオーネで熟成された技術を活かして生まれた、スバル1000へのオマージュとも言えたのだ。じつのところ、本来はサニーやカローラがライバルとなる大衆小型車のインプレッサには、そうした高度な技術や作り込みはオーバースペックとも言えた。スバルの社内には、今でも現役時代の百瀬氏に指導を受けたエンジニアが残っている。技術志向の強い彼らが作ったインプレッサは、スバル1000がそうだったように、個性的な乗り味がクルマ好きをうならせた一方で、ともすればマニアックな部分も多かったのだ。
インプレッサの魅力は、WRC(世界ラリー選手権)の舞台で花開くことになる
しかし、スバルは四半世紀前とは違った形で、インプレッサの魅力を誰にでもわかりやすく伝えることに成功する。デビュー翌年に投入されるや、破竹の快進撃を見せることになるWRCでの活躍を筆頭に、高い技術が駆使されたスバルの基本性能は、スバル1000の時代からモータースポーツでは光っていた。1970年代初頭には、1000のマイナーチェンジ版となる1.1Lのff-1や1300Gが数々のラリーで活躍していた。
レオーネの時代になると、最初からラリーなどのモータースポーツを意識したクーペのRXグレードが設定され、1973年のサザンクロスラリーでは、改造範囲の狭いグループ1クラスでの優勝も飾った。1977年には、レオーネセダン4WDがロンドン〜シドニー間3万㎞を走破するラリーレイドに出場して総合19位、4WDクラス4位を獲得して注目されている。
1980年のサファリラリーには、2代目レオーネに新たに加わったスイングバックと呼ぶハッチバックの4WDを投入してクラス優勝。以後もサファリラリーを中心にラリー活動を続けるが、総合優勝はなかった。
当時は三菱や日産を始めとする国内のライバルも大規模なワークス体制で海外ラリーに参戦しており、実験部隊を中心とした有志チームのようなスバルの体制では、歯が立たなかったのだ。
英国の名門とのタッグで参戦したWRCの走りが「SUBARU」の名を世界に知らしめた
しかし、1988年にモータースポーツを専門に手がける系列会社、STI(スバル・テクニカ・インターナショナル)が設立され、翌年にレガシィが誕生して風向きが変わる。彼らはレガシィで国際速度記録に挑戦して成功させ、WRCにフル参戦できる体制作りも進めた。その過程で、英国の有力なレーシングコンストラクターのプロドライブ社と出逢ったのだ。レガシィの優れた素性を高く評価したプロドライは、STIと協力して1990年からWRCに参戦。1993年のニュージーランドラリーで念願の初優勝を果たす。そして、同年後半に真打ちのインプレッサが満を持して投入されるのだ。レオーネ時代RXの名に、世界を目指す心意気を加えたインプレッサWRXは、早くもデビュー戦で2位を獲得。
1994年からは文字通りの快進撃が始まり、1995年から1997年には、3年連続でマニュファクチャラーズタイトルに輝くという偉業を成し遂げたのだ。その活躍は世界にファンを生み出し、沿道をラリーカーと同じ青い服を着たファンが埋めつくすシーンも見られた。2代目WRXも2001年と2002年の連続でドライバーズタイトルを獲得。スバルの名は世界に知られるようになった。レギュレーションの変更やリーマンショックなどで、スバルは残念ながらWRCから撤退してしまった。しかし、その経験から得た走りの知見は、最新のスバル車にも脈々と受け継がれているのだ。
初代インプレッサの変遷とバリエーション
1992年 |
●10月 :インプレッサシリーズを発表、発売は11月から。4ドアセダンと5ドアスポーツワゴンのライ ンナップ。(1.5L、1.6L、1.8LのNA)セダンにはWRX(2Lターボ240PS/31.5㎏・m)を設定。 |
1993年 |
●8月: 1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)でWRCデビュー(グループA)。 ●10月 :一部改良。セダンWRXに4AT車(220PS)を追加するとともにワゴンにもWRXを設定。 |
1994年 |
●1月 :STI (スバル・テクニカ・インターナショナル)による限定コンプリートモデル「WRX・STi」(250PS/31.5㎏・m)発売。 ●10月 :一部改良。ワゴンの後部座席に分割可倒式を採用、WRX系の加給圧を見直し260PS/31.5㎏・mにパワーアップ。セダンWRXのAT車を廃止するなどグレード体系を見直し。またWRX系のタイヤを205/55R15から205/50R16とし、ホイールデザインも変更。 ●11月 :WRXタイプRA・STi バージョン(275PS/32. 5kg・m)発売。生産量限定の受注生産車だったが、予想以上の人気で供給が間に合わなくなり、やむなく少量で販売を中止。 |
1995年 |
●1月 :輸出向けだった2ドアクーペを「リトナ」という名で国内発売。1. 5LのFFと1. 6Lの4WDのラインナップ。 ●9月 :好評のうちに販売終了となったWRXタイプRA・STiバージョンのカタログモデルとして「STiバージョンⅡ」を発売。WRCカラーの「WRX555バージョン」をセダン555台、ワゴン100台の限定販売。 ●10月 :最低地上高を上げ、背面スペアタイヤキャリアを採用したSUVタイプの「グラベルEX」(エンジンは2LのNA)を発売。 ●10月:ワゴンに女性をターゲットにした限定車「C’ z」を設定。 |
1996年 |
●1月 :WRCドライバーズ/メイクスWタイトル獲得を記念し、限定車「セダンWRXV-Limited」を発売。 ●1月:ワゴンに2ℓのNAエンジンを積む「HX-20S」を追加。 ●5月:ワゴンに限定車「C’z-L」を設定。 ●9月:マイナーチェンジ。外装はリヤターンシグナルをクリアレンズに、アルミホイールデザインの変更など。セダンWRX系のエンジンはEJ20Kに変更され、自主規制枠いっぱいの280PSに到達(ワゴンはEJ20Gで250PS)。グレード体系の見直しでリトナ、グラベルEXは廃止。 ●9月:「STiバージョンⅢ」を発売。限定車だった「C’z」がカタログモデルに昇格。 |
1997年 |
●9月:一部改良。「STi バージョンⅣ」を発売。WRX系にホワイトメーター採用、WRX・STi系の最大トルクを36.0㎏・mに向上など。 |
1998年 |
●1月:3年連続WRCチャンピオン記念車「Vシリーズ」(3タイプのWRX限定モデル)を発売。 ●3月:かつてのリトナ(2ドアクーペ)をベースにWRカーを再現した「22B- STi バージョン」を500万円で400台限定販売(即日完売)。 ●9月:マイナーチェンジ。WRX系は倒立式ストラットを採用、全車マルチリフレクターランプに変更、フロント意匠変更など。 ●9月:「STi バージョンⅤ」を発売。2ℓNAのDOHCモデル「SRX」を発売 ●12月 :ワゴンの特別限定車、ネオクラシックデザインの「カサブランカ」を5000台限定で発売。 |
1999年 |
●4月:特別仕様車「C’zスポルト」を発売。 ●9月:一部改良で外観変更、安全性能向上。 ●9月:「STi バージョンⅥ」を発売。 ●11月:WRXリミテッドシリーズ4車種を発売。 ●12月:限定車「カサブランカ」がカタログモデルに昇格。 |
2000年 |
8月 ●フルモデルチェンジで2代目へ。 |
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