「トヨタ車として初の成功」「初代クラウンのかたき討ち」もっとも普通の中型セダンは、名神高速で10万km連続走行も達成。[コロナ(3代目)]

新型発売直後、3台のコロナは小牧IC〜一宮ICを除いてほぼ完成したばかりの名神高速を走り続け、58日かけて10万km高速連続走行を成功させる。その模様はテレビやラジオで放送され、大きな話題となった。それまでのタクシー向け主体の設計から脱皮、国際的にも通用するオーナーカーとして開発されたコロナは、プロジェクトチームが生産工程にまで関わることで高い品質の自動車造りを確立。発売翌年の1月に、ついに宿敵ブルーバードの販売台数を上回ると、1965年4月から1967年12月まで、33か月連続で販売首位の座に君臨している。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

コロナ4ドアセダン(3代目)

3代目コロナ(コロナラインを除く)は4ドアセダンのみでスタート。グレードはスタンダード(4速マニュアル)とデラックス(4速マニュアルおよび2速トヨグライド)。クリーンカットと呼ぶスクエアなグリルとボディ側面を一直線に走るアローラインを特徴とした。

〝販売のトヨタ〟の真骨頂。名神高速での公開走行は連日大きな話題となった

せいぜいオイルとタイヤの空気圧に気を配っておけば、まず致命的なトラブルは起きない。今日のそんな国産車の信頼性が確立されたのは、さほど昔の話ではない。1963年にNGKがワイドレンジのプラグを発売するまでは、乗る日の気候に合わせてオーナー自らプラグを交換するのが常識。同じ年にプリンス自動車が2代目スカイラインで足回りの3万km無給脂を謳うまで、サスペンションの可動部には、定期的なグリスアップが必須だったのである。

そんな完成度の低いクルマでの高速連続走行はまさに冒険だ。事実、わが国初の本格的な高速道路として1963年7月に栗東〜尼崎間が部分開通した名神高速道路では、たった70kmあまりの連続高速走行に耐えられず、開通から10日間で、じつに600台近い故障車が路肩に並んでしまったという。そんな名神が、一宮〜西宮間の開通を迎える1964年の9月5日に「ハイウェイ時代のファミリーカー」を謳って発表されたのが、RT40型3代目コロナだ。当時、名神高速開通のニュースは連日のように新聞やTVで報じられ大きな話題に。新型コロナは、その高速道路を使ったキャンペーンで販売促進を狙う。

題して「10万km連続高速走行公開テスト」。給油と点検の時間以外は、休みなく名神高速を往復し、10万kmを一気に走り切る挑戦だ。スタートは9月14日正午。随行車をふくむ3台のコロナは、途中1号車が居眠り運転のトラックに追突されるというアクシデントでリタイアしたものの、残る2号車と随行車が快調に走り続け、276往復、10万kmを見事にノートラブルで走り切って、11月11日にゴールした。

今日の新型車の開発過程では、この挑戦に相当する連続耐久走行試験は各メーカーで当たり前に実施されている。しかしこの時代には、やりたくてもできなかった。トヨタは愛知県挙母市(現・豊田市)の本社工場内に、民間メーカー初のテストコースを1957年に完成させていたが、舗装技術の稚拙さからバンクの路面はコンクリート製で、距離も短い。通産省(現・経産省)と自動車メーカー団体が協力して、茨城県の谷田部町(現・つくば市)に本格的なオーバルコースを備えた高速試験場を開場するのが1964年。トヨタが静岡県の東富士研究所内に、世界初のアスファルト舗装による高速周回路を完成させるのは、さらに2年後の1966年のことだ。3代目コロナが登場した1964年には、高速時代はまだまだかけ声だけという状況だったのである。

コロナ4ドアセダンデラックス(1964年式)

アローラインと呼ばれた独特のフォルムは、今見ると無骨なデザインだが、当時の評判の高かった。

主要諸元 4ドアセダンデラックス(1964年式)】
●全長×全幅×全高:4110mm×1550mm×1420mm●ホイールベース:2420mm ●トレッド(前/後):1270mm/1270mm ●車両重量:945kg●乗車定員:5名●エンジン(2R型):直列4気筒OHV1490cc●最高出力:70PS/5000rpm●最大トルク:11.5kg-m/2600rpm 
○燃料タンク容量:45L●速度:140km/h●最小回転半径:4.95m●トランスミッション:前進3段フルシンクロ、後進1段 ●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/半楕円リーフリジッド●タイヤ:5.60-13 4PR ◎新車当時価格(東京地区):64万4000円

助手席側まで広く回り込んだダッシュパネルには、メーターだけでなく各種スイッチが配置され、高級感とともに使いやすさにも配慮している。黒地に白文字、赤い指針のスピードメーター内にはトリップメーターも付く。速度計左右の丸型メーターは右が水温計、左が燃料計。ダッシュ左右のベンチレーターは風向きの調整もできた。

ベンチシートのほか、デラックスにはオプション(2万円高)でセパレートのリクライニングシートを設定。どちらも乗車定員は5人。リヤシートはホイールハウスを極力小さくすることで、幅や長さを拡大している。また後席天井付近にグリップがあり、コートハンガーとしても使えた。

初代クラウンに積まれたR型をベースにボアを77ミリから78ミリに拡大、排気量を1453ccから1490ccとした2R型。吸排気系の大幅改良や補機類の材質変更により、エンジン単体重量はR型より5kg軽く、最高出力は62PSから70PSに向上している。

燃料給油口はリヤナンバープレートの裏に設定されていた。

5ドアセダン

ルノー4( キャトル)が先鞭をつけ、欧州で人気となっていたリヤゲートが開く5ドア。日本では乗用というより営業車としてのイメージが強かったのか、販売は低迷し1968年に生産が打ち切られている。

先代コロナや初代クラウン、その弱点を解明することで北米市場でも成功した

3代目コロナの開発が始まったのは1962年春のことだ。その前年に、建設中の名神高速道路の一部完成済み区間を使い、各自動車メーカーが参加しての合同性能試験が行われた。ところが、このイベントで当時の国産車は未熟さを露呈する。名神高速の設計基準である、最大5%という緩い上り坂でさえ、アクセル全開でも上りきれずにオーバーヒートするクルマや、そもそも100km/hの制限速度に到達できないクルマも珍しくない。トヨタ自慢のクラウンも例外ではなく、上り坂ではめっきり速度が落ちたし、わずか70Km/h程度から振動が出て、高級車らしからぬ乗り心地になった。まして1Lのエンジンを積む当時の2代目コロナは、とても快適な高速走行が楽しめるクルマではないことが明らかになってしまったのだ。

それを受けて、トヨタ社内に高速振動専門委員会が設置され、試験で噴出した問題点の解明が進められる。2代目コロナには、コストダウンと信頼性確保を狙ってクラウンの部品も数多く流用されていたが、それがかえって全体のバランスを崩していることなども、その研究で分かってきた。

その結果をもとに、3代目コロナでは最初から最適設計が目指され、高速時代にふさわしい性能と信頼耐久性が実現されたのだ。

一方、3代目コロナが挑んだのは、今日の国産車に至る耐久信頼性だけではなかった。同じ車名でありながら異なるボディが選べる、ワイドバリエーション展開にも意欲的に挑んだ。センターピラーのない2ドアハードトップは、1965年7月のデビュー。ステーションワゴンやバンとは異なる流麗なフォルムを持つ5ドアハッチバックも、同年11月に登場させている。いずれも日本初の車型であり、コロナという同一名称の乗用車に異なるボディを与えるのも、初のことだった。それらの企画を主導したのはデザインチームだった。彼らは、ボディ剛性面などからピラーレス構造に難色を示す設計部を説得し、サイドウインドウを下ろせばピラーもサッシュもない、開放的なハードトップを実現。そのボディにDOHCエンジンを積む1600GTも誕生させることになる。

そうした斬新な商品企画が成立したのは、3代目コロナの開発を率いた田島敦主査が、世界に通用するクルマを目指したからだ。事実、このモデルは北米市場で初めて成功したトヨタの乗用車となり、1957年に初めて海を渡りながら、酷評されて撤退した初代クラウンの敵を討ったのだった。

1600GT・5段ミッション(1967年式)

コロナのハードトップ(前期型)をベースに、150馬力のDOHCエンジンを搭載したレーシングカー「トヨタRTX」が1966年に造られ、多くのレースで活躍する。その市販型として1967年にデビューしたのがトヨタ1600GTだ。同年に発売されたトヨタ2000GT の弟分という位置づけから、コロナの名は冠されなかった。

【主要諸元 1600GT・5段ミッション(1967年式)】
●全長×全幅×全高:4110mm×1550mm×1420mm●ホイールベース:2420mm●トレッド(前/後):1290mm/1270mm●車両重量:1035kg ●乗車定員:4名●エンジン(9R型):直列4気筒DOHC1587cc●最高出力:110PS/6200rpm●最大トルク:14.0kg・m/5000rpm ○燃料タンク容量:45ℓ○最高速度:175km/h●最小回転半径:4.95m●トランスミッション:前進5段フルシンクロ、後進1段 ●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/半楕円リーフリジッド●タイヤ:6.45S14 4PR  ◎新車当時価格(東京地区):100万円

スポーティな3本スポークステアリングを採用。スピードメーターとタコメーターを真ん中に配置した5連メーターとなる。

最高出力110ps、9R型直4DOHCエンジン。2000GT同様ヤマハの手でDOHC化されたエンジンは高い信頼性と110馬力の高性能を誇り、レビンやセリカなど後のトヨタの量産DOHCスポーツへ受け継がれていく。

ライバルとの激しい競争で今日の国産車の礎を築いたもっとも普通の中型セダン

名神高速での10万km連続走行成功の〝快挙〟は、コロナの販売に大きく貢献した。それまで長年、宿敵ブルーバードの後塵を拝していた販売台数は、ゴール翌月の12月に肩を並べ、明けて1965年の1月には、初めて逆転している。

そもそも、1955年に誕生した初代クラウンに次ぐモデルとして1957年に初代コロナが誕生したのは、ブルーバードの前身となるダットサンに対抗するためだった。マイカー需要がほとんど見込めなかった当時、乗用車の主要ユーザーはタクシー業界。トヨタはクラウンで中型タクシーの市場は制したものの、小型タクシーとなると、1955年に登場したダットサン110型と、その後継車である1957年の210型に先行を許していた。オースチンからクルマ造りを学んだダットサンの信頼性や性能は、同じく海外メーカーに学んだ日野ルノーとともに、タクシーとしての酷使によく耐え、大きなシェアを獲得していたのだ。

一方、トヨタはクラウンと同様に自前の技術にこだわり、初代コロナに同社初のモノコックボディを採用してダットサンに挑んだ。しかし、肝心のメカニズムは古く、性能も快適性もダットサンにかなわない。しかも、タクシー業界を意識した保守的なデザインは、富裕層が中心の当時のマイカー族の眼鏡に適うものではなかった。

そこでトヨタは1960年に送り出した2代目コロナに垢抜けたデザインを与え、凝った足回りやこのクラスには珍しかったATも設定する。が、悪路も多い当時の環境とタクシーの荒っぽい使い方では、トラブルが続出してしまう。

1959年に登場したダットサンの後継となる初代ブルーバードが好調な販売実績をあげる一方で、「コロナは弱い」という烙印を押されて、販売が低迷してしまうのだ。

そんな苦難を経て、満を持して登場した3代目コロナが信頼耐久性の高さを何よりも重視したのは当然のことだった。その後もコロナはブルーバードと激しい販売合戦を繰り広げ、マスコミにBC戦争と書き立てられながら代を重ねた。ただし、その栄華は1980年代までだった。

1996年に登場した11代目では、プレミオのサブネームが付き、2001年にはついに伝統のコロナの名が外れる。2007年にデビューしたプレミオは、官公庁の公用車や営業車などとして、細々と命脈を保っていたが、2021年に生産が終了。幅広い用途に合う中型セダンというコロナの汎用性は、人々が個性や遊び心を求める豊かさの中に、いつしか埋もれてしまったのだ。

3代目コロナ アーカイブ

1964年(昭和39年)
9月 3代目コロナ(4ドアセダン)/コロナライン(2ドアバン/シングルキャブピックアップ/ダブルキャブピックアップ)発売。
1965年(昭和40年)
1月 月販台数で初めてブルーバードを上回る。
4月 スポーツモデルの「1600S」追加。
7月 国産初の2ドアピラーレスハードトップを追加。
11月 国産初の5ドアハッチバックセダンを追加。
1966年(昭和41年)
6月 マイナーチェンジ(格子から横線基調へ、フロントグリルデザインの変更など)。
8月 1600Sマイナーチェンジ。
1967年(昭和42年)
6月 マイナーチェンジ(格子から横線基調にフロントグリルデザインを変更、リヤランプ形状変更など)。 
8月 コロナ2ドアハードトップにDOHCエンジンを積んだ派生モデル「1600GT」発売。
1968年(昭和43年)
4月 1.6ℓのSOHCエンジンを搭載するゴールデンシリーズ追加。
9月 コロナの上級シリーズ「コロナマークⅡ」発売(4ドアセダン/2ドアハードトップ/4ドアワゴン/4ドアバン/シングルキャブピックアップ/ダブルキャブピックアップ)。コロナはバリエーションを大幅縮小、1500セダンとバンのみに。
1970年(昭和45年)
2月 4代目に移行。

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