赤と白は緊急車両の専用色だった?「お上の言うことは聞かん!」政府を動かした本田宗一郎のと一手「赤いスポーツカーを作れ…」

今でこそ、赤や白のボディカラーの車は街でよく見かけるほどの定番色になっているが、実は、かつて日本では、赤や白は緊急車両専用のカラーとされていた。では、どのような経緯で赤や白のボディカラーが認可されるようになったのか? そのストーリーを紹介しよう。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

国産車黎明期は、「赤」と「白」はパトカーなどの専用色だった

ボディカラーにこだわってクルマを選ぶ人は、珍しくないでしょう。とくに女性には、購入の動機に色が気に入ったからと答えるユーザーは多く、それに応えるために自動車メーカーでも、内外装のカラーコーディネートに女性のデザイナーがたくさん活躍しています。

もちろん、フェラーリの鮮やかな赤のように、男性をしびれさせるボディカラーも数ありますが、国産車の黎明期には、選択肢は今ほどありませんでした。なにしろ1950年代までの日本では、白や赤はパトカーや救急車、消防車の専用色とされていて、赤いクルマは運輸省(現・国土交通省)が認可せず、マイカーにできなかったのです。1980年代初頭まで車検証に車体色の記入欄があったのも、その名残と思われます。

それに反旗を翻したのが、かの本田宗一郎氏でした。1958年に誕生したスーパーカブの世界的ヒットなどで2輪車メーカーとしての地歩を固めたホンダですが、4輪車は研究こそ進めていたものの、当初は参入を急いではいませんでした。

本田宗一郎の猛ゲキで、赤いクルマが解禁

ところが、当時の通産省(現・経済産業省)が、外国車の輸入自由化に備えて国内の自動車産業を政府主導で再編しようとしたのです。具体的には、既存の乗用車メーカーを普通乗用車、軽自動車&小型車、スポーツカーなどの特殊車を作る3社程度に集約し、新規メーカーの参入は認めないという方針を、法制化しようとしました。

1961年5月にこの方針が発表されると、本田氏は「新規参入を認めんとは何事だ。役所にそんな権限はない」と猛然と反発します。それまで、4輪事業参入のために社内で研究していたのは実用的な軽自動車でしたが、本田氏は「真っ赤なスポーツカーを作れ」と指示。

その一方で新聞や雑誌、テレビなどのインタビューに応えては「株主の言うことなら聞くが、お上の言うことは聞かない」と啖呵を切り、「デザインの基本になる赤を政府が規制している先進国がどこにあるか」と吠えました。

かくして、1962年秋の第九回全日本自動車ショーに、ホンダは真っ赤なオープンスポーツカーのS500を展示して話題を呼び、発売後には白も加えて、日本のマイカーのボディカラーを自由化したのでした。

ホンダ・S600。

ホンダ・S800。

ホンダ・S600クーペ。

ホンダ・S500。赤内装が選べたのはS600の初期モデルまでになる。

日本人が大好きな「白」のクルマが、ここまで普及したのはトヨタのおかげ

もっとも、当時の庶民には赤でも白でも、2人乗りのスポーツカーなど夢のまた夢だったのも事実でした。自家用車を持つよりも、会社で出世して黒塗りの大型セダンの後席で移動する身分になることが憧れだった時代です。

1955年に初代が誕生して国産上級セダンの草分けとなったトヨタ・クラウンも、1960年にその後を追った日産・セドリックも、売れ筋はフォーマルな黒。当時は個人より、タクシーやハイヤー、おかかえ運転手が操る企業の役員車といった法人ユースがメインでした。

そうした中で、トヨタは1967年に誕生した3代目クラウンで、業界で初めて色を前面に出したマーケティングに挑みます。高級セダンは黒塗りが常識の時代に、ホワイトのボディカラーを設定、「白いクラウン」のキャッチフレーズで、マイカーとしてのクラウンを大々的に売り込んだのです。ボディタイプも定番の4ドアセダンに加えて、クラス初となるスポーティな2ドアHTを投入し、高級パーソナルカーという市場に挑みました。

当初はそれほど大きな反響はありませんでしたが、トヨタは以後のモデルでも赤や白、2トーンなどの挑戦的なボディカラーや2/4ドアハードトップをクラウンに設定し続けて、黒いセダンは法人車、白いハードトップは高級パーソナルカーというイメージを定着させました。

さらに1980年代には、生産設備に大金をかけて実現させた鮮やかな白=スーパーホワイトが大ヒット。各社が追随して、バブル景気に沸く日本の路上を白く染め上げたのです。

1967年に発売された3代目クラウンの2ドアハードトップモデル。

1983年にデビューした7代目クラウン。スーパーホワイトは当時のハイソカーブームもあって、爆発的な人気を集めた。

「白」のクルマは、世界レベルでも定番人気へ

日本でのこのホワイトの人気は、当時日本市場を重視していた欧州車メーカーにも飛び火しました。じつは1980年代まで、海外市場では白はさほど人気はなく、とくに高級車では設定がないモデルも多かったのです。高級ブランドの代表格、メルセデスベンツもそうでした。

ところが、日本からの催促で1990年代に白が選べるモデルを設定するようになると、たちまち人気となり、各社が競って白い高級車をラインナップするようになりました。今や白は黒と並ぶ高級輸入車の定番色の感があります。

一方、小型車や軽自動車では、かつてはありえなかったピンクの2トーンカラーも違和感なく日本の路上を走っています。クルマの色ひとつを取っても、人々の意識や時代の変化に応じた“民主化”ともいえる歴史を辿ってきたというわけです。

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