
今では世界の路上を席巻するホンダの四輪車ですが、その誕生の裏には、国家の規制に真っ向から挑んだ創業者・本田宗一郎の壮絶な戦いがありました。1960年代、通産省(現・経済産業省)は自由化の波を前に、国内メーカーの統合・再編を狙う「特振法」による新規参入の制限を画策します。この巨大な壁に対し、本田宗一郎は「自由な競争こそが産業を育てる」と猛反発。法案成立前の実績作りを急ぎ、異例のスピードで四輪事業参入を果たしました。また、当時は認められていなかった「赤いボディカラー」の解禁を勝ち取った逸話は、彼の不屈の精神を象徴しています。
●文:横田 晃
これまで特殊車両以外のクルマに赤いボディカラーは承認されなかった。本田宗一郎のクルマ造りに対するこだわりと情熱が、そんな規制をも覆し、ついに一般の乗用車のボディカラーにも「赤色」が認められるようになった。※画像はホンダS600
本田宗一郎が勝ち取った赤いボディ
高性能とともに、1960年代の若者に人気だったのが赤いボディカラー。じつはそれを実現させたのは、本田宗一郎でした。1950年代のクルマは、運輸省(現国土交通省)の認可条件の中に車体の色があり、車検証にも1980年代まで車体色の記載欄がありました。1963年にホンダS500が赤いボディをまとってデビューするまで、日本の路上では白はパトカーや救急車と、赤は消防車と紛らわしいという理由で、認められていなかったのです。
4輪事業参入に向けてその壁にぶつかった本田宗一郎は、「赤はデザインの基本になるものだ。世界の一流国で国家が色を独占している例など聞いたことがない」とマスコミのインタビューなどで放言し、S500の開発中にも担当者になんとしても赤を認めさせろと厳命しました。巻き込まれることを恐れて他のメーカーが沈黙を守る中、ついにホンダは赤を認めさせて、発売に漕ぎつけたのです。
ホンダが世に送り出したはじめての4輪車となったT360。
特振法がホンダの4輪参入を急がせた
じつは、そもそもこの時期にホンダが4輪事業に参入した理由も、国に対抗する必要からでした。敗戦当初は復興のためにさまざまな分野で保護貿易が認められていた日本も、経済成長が進むにつれてそれが許されなくなりました。自動車に関しても1960年当時は台数と外貨(ドル)の割り当て規制で、事実上の輸入制限がかけられていましたが、アメリカをはじめとする海外から市場開放が強く求められるようになっていました。
そして1961年4月に、まずバス・トラックの輸入が自由化されます。しかし、乗用車の輸入も自由化されると安い外国車に日本の市場が席巻され、日本の自動車産業は立ち行かなくなると危惧した通産省(現経済産業省)は、国の主導による業界の再編を目指したのです。
1961年5月に、まず自動車行政の基本方針と称する構想が示され、1963年3月には「特定産業振興臨時措置法案」、略して特振法として国会に上程されます。この法案では、自動車(乗用車と自動車用タイヤ)、特殊鋼、石油化学の三分野を特定産業に指定し、合併や整理統合によって国際競争力をつけることを目指すとされていました。
具体的には、自動車産業は量産車グループ、高級車・スポーツカーなどの特殊車グループ、軽自動車グループの3グループに集約した上で、新規参入は通産省の許可制とするという内容でした。
この法案が通ってしまったあとでは、新たに乗用車メーカーを興すことは事実上、不可能になります。そこで本田宗一郎は「新規参入を認めないとは何事だ。そんな権限は役所にはない。合併させたければ株主になって株主総会で言え」と例によってマスコミなどで盛大に吠える一方で、4輪車の開発を急がせました。そして、1962年6月にS360の鈴鹿サーキットでのデモンストレーションに漕ぎつけ、同年秋のモーターショーにはS500と軽トラックのT360を展示して話題を呼び、抵抗の意志を示したのです。
ホンダではそれ以前から4輪車の研究には着手していて、1959年に最初の試作車も完成していました。しかし本田宗一郎は当初は2輪で世界を制してから、満を持して4輪に進出することを考えていたのです。ところが、特振法が成立する前に実績を作るために、計画を前倒しする必要に迫られたのでした。
結局、特振法は3度国会に提出されながら、産業界の抵抗もあって審議未了で廃案となりました。外国製乗用車の輸入は1965年に自由化されましたが、国内自動車メーカー各社が値下げや魅力的な新型車の投入などの努力をした結果、自由化後も外国車の輸入台数は大きく増えませんでした。
ホンダを世界的企業に育て上げた立役者とも言われる藤澤武夫(写真右)と本田宗一郎(写真左)の出会いは1949年8月。ドリームD型発売直後のことだった。
持ち前のエネルギーで、独自に成長を続けたホンダ
連続高速走行チャレンジに成功したコロナの例のように、このころには国産車もちゃんと使える実用品と人々に認められるようになる一方、巨大なアメリカ車や高性能な欧州車などの輸入車は、趣味の乗り物やステイタスシンボルとして、国産車にはない個性や魅力で支持されるようになりました。輸入車がより身近になった今日ではあまり使われなくなった〝外車〟という表現は、この時代に特別なクルマというニュアンスで使われるようになったのです。
国内産業を守り、育成するために、政府が主導して業界を指導するという、いわゆる「護送船団方式」は、当時は日本のさまざまな産業分野で採られていたやり方でした。牛肉やオレンジ、グレープフルーツなどの農産物の輸入自由化でも、国内農業を守るためとして行政はいろいろな規制を編み出したし、今でもコメは輸入が自由化されておらず、アメリカなどから指弾されています。
国と戦って見事4輪事業への新規参入を果たしたホンダは、その後も持ち前のエネルギーで、他とは違うやり方で成長を続け、今では世界で売れる人気ブランドになりました。もしもあの時、特振法が成立してホンダの4輪事業への新規参入が阻止されていたら、どうなっていたでしょうか。
日本が貧しかった時代には、強大な海外のライバルから国内産業を守る必要もあったのでしょう。しかし、本当に力のある企業や産業は、政府が不公平な保護政策で守らなくても自力で生き残っていけることを、この一件は示しています。
(横田 晃著「教養としてのニッポン自動車産業史」 内外出版社刊)より
「教養としてのニッポン自動車産業史」 横田 晃(著)内外出版社刊
教養としてのニッポン自動車産業史
内外出版社刊
総ページ:288ページ 1,760円(税込)
自動車社会は100年に1度の大変革期にあると言われています。報道では、日本の自動車産業が変革に乗り遅れたと、危機を煽る論調の報道も少なくありません。しかし、戦後わずか80年で世界一の自動車大国に上り詰めた日本の本領発揮は、まだまだこれから、というのが本書の趣旨です。
80年前まで、日本の自動車産業はほとんど「存在しない」に等しい状態でした。そこから世界をリードする産業へ発展するまでには、数え切れないほどの挑戦と試行錯誤のドラマがあります。世界一のメーカーとなったトヨタですら倒産の危機に直面したし、夢破れて舞台を去った起業家や技術者も数多くいます。今ではどの自動車メーカーも大企業ですが、最初から順風満帆だった会社などひとつもありません。
本書では、自動車雑誌の編集に40年以上関わってきた著者が、自動車ゼロの戦前~販売台数過去最高を記録した1990年代までの歩みを解説。主には自動車産業に起った出来事、自動車メーカーの成長と育まれていく個性、活躍した人物、時代を象徴する名車について紹介します。
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