
日産のブランドスローガン「技術の日産」を象徴する一台である「シルビア」。その歴代モデルの変遷を辿ると、常に時代の要請に応え、技術の粋を集めてきた開発陣の情熱が浮かび上がる1965年に登場した初代シルビアは、欧州的な価値観を持つ職人仕立ての高級クーペだったが、1975年以降は北米市場を見据えた大衆的なスペシャリティクーペへと舵を切ることになった。その頂点となったのが、1980年代の「901活動」から生まれた5代目(S13型)だ。ライバル・プレリュードの牙城を崩すべく、流麗なデザインに最新のマルチリンク式サスペンションを採用。当時の若者による「デートカー」需要と、走りを愛する層の支持を同時に獲得し、社会現象を巻き起こしたクルマである。
●文:横田晃(月刊自家用車編集部)
5代目シルビアは、トランプの絵札をモチーフにしたグレード名を採用、K’sはインタークーラー付きターボエンジンを積むシリーズのトップモデル。またSパッケージはプロジェクターヘッドランプや電動格納ミラーなどのセットオプションで、その装着率は70%を超えた。
欧州市場の拡大を目指した901活動で生まれ変わった、日産伝統のFRクーペ
日産のCMに使われている「技術の日産」というキャッチフレーズは、けっして伊達ではない。経営環境の変化の波に揉まれることもあったが、日産の開発陣はいつも誠実に技術の進化に取り組み、1960年代から使われてきた伝統ある謳い文句に恥じない成果を残してきた。
なかでもこだわり続けてきたのは、走りの技術。その進化は凝ったメカニズムや電子制御といった、ハードウエアのみによってもたらされたものではない。「しなやかな走りとはいかなる状態なのか」「日産らしい走りは、どのようにして表現されるべきか」といった正解のないテーマに挑み、新しい走りの理論や評価方法を編み出してきた実験部隊のセンスや腕も、技術には含まれる。
その実力がもっとも威力を発揮したのが、1980年代に日産が取り組んだ「901活動」だ。
その名は「1990年代に走りで世界一になる」という目標に由来する。1960年代のフェアレディZやブルーバードで北米に認められ、1970年代の排ガス対策成功をテコに1980年代に北米で販売を拡大した日産は、次の目標としてより速度域の高い欧州でも通用する、世界一の走りを目指して技術の進化に取り組んだのだ。
それまでは狭い日本国内のテストコース中心で新型車の走りの味付けをしていた日産のテストドライバーたちは、この時代から世界に飛び出し、各地の公道やサーキットを走り込んで、未知の路面/交通環境/自動車文化を学んだ。そうして視野を広げ、達成すべき走りのレベルを一段高めて開発されたパワートレーンやシャーシは、期限とした1990年代を待たずに大きな成果を生んでいる。1988年に誕生したS13型5代目シルビアは、その代表例といえる1台だ。
当時の日本の自動車市場では、20〜30代の若者たちの動向が成否を左右した。自動車だけではない。イベントも観光地も飲食店も「若者に人気」とマスコミに書かれて初めて成功という時代だ。そのため新型車もスポーティーなクーペが話題の中心で、現代では人気者のミニバンやSUVは特殊車両扱いだったのだ。
そんな1980年代のクーペ市場で売れていたのは、低く優雅なシルエットのホンダ プレリュードだった。S13型シルビアはそのライバルに真正面から挑み、勝利する。武器となったのは美しいデザインと高性能、そして901活動から生まれたマルチリンクリヤサスを備えた、意のままに操れるFR駆動というレイアウト。バブル景気の最高潮に向けて日本中が浮かれる時代にふさわしい、派手な話題性を満載していた。
【日産シルビア1.8Q’s(1988)】S13型シルビアは、バブル景気に向かって突き進む好景気の中で発売され、シリーズ最高の販売台数を記録した。グッドデザイン賞を受賞した「アートフォース」というキャッチコピーにふさわしい美しさと、マルチリンクリヤサスを備えたFRらしい素性のいいハンドリングなど、すべてにバランスのいい仕上がりで、幅広いユーザーのニーズを満たしていた。
アルミホイールやABSは、この時代でもまだ最上級グレードに至るまでオプションだった。ハイマウントストップランプ付きのリヤスポイラーも同様。ラジオもロッドアンテナだった。
外観と同じくすべてが柔らかな曲線と曲面で構成される室内。「サラウンドインテリア」と名付けられたこの内装は、ソフトでやさしい手触りにもこだわっていて、上級のQ’sとK’sのドアトリムやグローブボックス表面は布貼りを採用している。
表皮一体発泡成形のため、表面にしわや縫い目がないフロントシート。デザインはいうに及ばず、サポート性も優れているが、ちょっとした身動きさえ嫌うタイプで、デートカーとして考えるなら、いささか窮屈ともいえた。後期型はヘッドレスト分離タイプに変更されている。
【日産シルビア1.8K’s(1988)】1.8LのDOHCターボを搭載したスポーツグレード「K’s」。後期型は排気量が2Lにアップされ、ターボ仕様のK’sは205psを発揮。●全長×全幅×全高:4470×1690×1290mm ●ホイールベース:2475mm ●車両重量:1140kg ●乗車定員:4名 ●エンジン(CA18DET型):直列4気筒DOHC1809cc+インタークーラー付きターボ ●最高出力:175ps/6400rpm ●最大トルク:23.0kg-m/4000rpm ●最小回転半径:4.7m ●燃料タンク容量:60L ●トランスミッション:前進5段後進1段 ●サスペンション:(F)ストラット式独立懸架 (R)マルチリンク式独立懸架 ●タイヤ:(F/R)195/60R15 86H ◎新車当時車両価格(東京地区):214万円
前期が1.8LのCA18型。写真のDOHCターボは175psを発揮した。後期は2LのSR20型で、ターボは205ps。ともにターボはハイオク指定だった。
腕次第のハンドリングは、ドリフトマシンとして高く評価。走り屋たちからも歓迎された
あらゆる商品の企画は、時代背景やターゲットユーザーの嗜好などの市場調査はもちろん、売れているライバルを徹底的に研究して進められる。一般のユーザーには「2ドアのクーペ」とひとつに括られるカテゴリーでも、開発者たちはライバルを参考にしながらも、明確に異なる個性/機能/見どころを盛り込んで、唯一無二の商品を目指す。
シルビアに先行したプレリュードは、かつて見たこともないほど低いボンネットを持ち、そのために開発した独自のダブルウィッシュボーンサスペンションによって、ロールを感じさせずにキビキビと曲がるFF車らしからぬハンドリングも実現させていた。当時はまだ、走りならFFよりFRという風潮が強かったが、プレリュードの成功は、若者たちがそうしたマニアックなスペックばかりにこだわるのではなく、デザインや個性を重んじ、何よりも異性とのデートカーとしてのムードを求めていることを物語っていた。
対して日産には、プレリュードの対抗馬となりえるFFのプラットフォームはまだない。そこで使い慣れた縦置き4気筒エンジンのFRシャーシをベースに、かねてより開発してきたマルチリンクリヤサスを装備し、HICASと呼ぶ後輪操舵を油圧でアクティブ化した最新システム「HICASII」も設定。新世代のCA18型DOHCエンジンを得意のターボで武装して、腕次第で振り回せる痛快なハンドリングを与えた。
ボンネットは巧みな造形で、プレリュードに負けない流麗さを実現。CMに使われた「ARTFORCE」のコピーに恥じない美しいフォルムは、グッドデザイン大賞も受賞し、走りもイケるデートカーとして、狙い通りプレリュードの牙城を切り崩したのである。
一方、ハッチゲートを持つファストバックフォルムの兄弟車、180SXは本来、日産の最重要市場である北米に向けたモデルだ。彼の地では、クルマに意外と実用性を求める。若者がファーストカーとして乗る2ドアのクーペでも、遊び道具などをピックアップトラックの荷台よろしく放り込めるハッチバックが好まれるのだ。
さらにシルビアの低く、小径のヘッドライトは、当時の北米の安全基準に合致しなかった。180SXのリトラクタブルヘッドライトは、実はそれをクリアするための必然でもあったのだ。
走りに利くボディ剛性の点では開口部の小さいシルビアのほうが有利だったが、両車は数少なくなったFRスポーツモデルとして、走り屋達にも人気を呼んだ。
【日産シルビアコンバーチブル(1988)】オーテックジャパンが開発し、高田工業が製造したコンバーチブル。1台ずつの手造りのため、月30台の受注生産。電動で開閉するドイツ製の幌は、表面が耐候性のある塩化ビニール製、裏面が上級感のある布製の二重構造。幌はスチール製のカバー下に格納される設計。
主に北米の女性や若者向けの気軽でしゃれたクルマとして発展してきたシルビアの歴史
S13型シルビアは日米の若者を狙って企画され、バブル景気にも乗って、期待以上の成功を日産にもたらした。しかし、それから遡ることほんの20年余り前、1965年に誕生した初代シルビアは、5代目となるS13型とはまったく異なる、高級クーペというキャラクターのモデルだった。
日本にモータリゼーションが到来する前の当時、日本メーカーが開発の手本としていたのは欧州車だ。当時の日本人の憧れは、戦前には日本に工場があったシボレーやフォードなどのアメリカ車だったが、それらはコンパクトクラスでも当時の日本では3ナンバーの高級車となり、国内向けの商品企画としては現実的ではなかった。日本の道路事情や経済事情には、狭い路地も多い欧州で生まれた小型車のほうが向いていたのだ。日産も1950年代に英国のオースチンのノックダウン生産で乗用車作りを学び、それを下敷きに自力で開発したダットサンが、のちのブルーバードやフェアレディのベースとなった。
頑丈なフレームを持つ初期のそれらは、構造的にはトラックに近い代物だったが、だからこそさまざまなモデルへと発展させることも容易だった。初代シルビアも、1959年に登場した初代ブルーバードのフレームをベースに2人乗りのオープンボディを架装した、1962年の2代目フェアレディ1500、SP310型のフレームに、職人が手叩きで作り上げた美しいクーペボディを載せて誕生している。フェンダーやサイドシルに継ぎ目が全くない、芸術作品を思わせるそのボディは、日本車離れした美しさを見せ、本革シートなどの贅沢な装備を備えていた。商品企画としては、貴族が遊びの足として乗り回す、欧州車の伝統的な価値観を体現した高級車だったのだ。
しかし、高価なそれはまだまだ貧しかった日本の市場では定着せず、わずか554台の生産で終わる。そしてその名は10年後の1975年に、北米市場向けの大衆小型クーペとして復活するのだ。北米市場におけるクーペは、貴族の遊びの足という欧州のクーペ観とは異なり、女性や若者の気軽な足だ。その定型は実用車をベースにスタイリッシュなクーペに仕立てた1964年のフォードマスタングによって確立され、大きな市場へと育った。国内各社も、そこを狙った商品企画に注力し、シルビアを始め多くの手軽なスペシャルティクーペを生み出した。そんな北米でも2ドア車の保険料値上げでクーペの人気は低迷。2002年、シルビアの歴史は幕を閉じた。
日産180SX Type II(1989)
【日産180SX Type II(1989)】
ハッチゲートを持つファストバックフォルムの兄弟車・180SXは、本来は日産の最重要市場である北米に向けたモデル。180SXがかの地に投入された理由としては、2ドアのクーペでも遊び道具などをピックアップトラックの荷台よろしく放り込めるハッチバックが好まれることや、シルビアの低く小径のヘッドライトは当時の北米の安全基準に合致しなかったため。180SXのリトラクタブルヘッドライトは、じつはそれをクリアするための必然でもあったのだ。走りに利くボディ剛性の点では開口部の小さいシルビアのほうが有利だったが、両車は数少なくなったFRスポーツモデルとして、走り屋達から高く評価されたのだ。
●全長×全幅×全高:4540×1690×1290mm ●ホイールベース:2475mm ●車両重量:1170kg ●乗車定員:4名 ●エンジン(CA18DET型):直列4気筒DOHC1809cc+インタークーラー付きターボ ●最高出力:175ps/6400rpm ●最大トルク:23.0kg-m/4000rpm ●最小回転半径:4.7m ●燃料タンク容量:60L ●トランスミッション:前進5段後進1段 ●サスペンション:(F)ストラット式独立懸架 (R)マルチリンク式独立懸架 ●タイヤ:(F/R)195/60R15 86H ◎新車当時格(東京地区):197万円
シルビア(S13)の変遷
| 1988年(昭和63年) |
| (5月) S13発売。J’s/Q’s/K’sの3グレード。オーテックジャパン/高田工業製のコンバーチブルは遅れて7月に発売 (10月) 通産省選定のグッドデザイン大賞受賞 (11月) 一部改良。新色「スーパーブラック」追加、パーソナルオーダーシステムの導入など (12月) 1988-1989年日本カーオブザイヤー受賞 |
| 1989年(平成元年) |
| (2月) 一部改良、ATシフトロックをPレンジ保持機能付きに変更 (3月) 180SX発売 (10月) Q’sにビスカスLSDのオプション設定を追加 |
| 1990年(平成2年) |
| (2月) 充実装備の「ダイヤモンドセレクション」シリーズを追加 |
| 1991年(平成3年) |
| (1月) マイナーチェンジ(エンジンを1.8LのCA系から2.0LのSR系に変更/HAICASIIからスーパーHAICASに変更/6連プロジェクターヘッドランプの採用など) |
| 1992年(平成4年) |
| (1月) お買い得仕様の「クラブセレクション」シリーズと「Q’sSC」を発売 (5月) 日産乗用車生産4000万台突破を記念した「Q’s2(スクエア)」期間限定発売 (12月) J’sベースのお買い得仕様「オールマイティ」発売。代わりにJ’sとQ’sSC廃止 |
| 1993年(平成5年) |
| (10月) S14に移行、S13シルビア販売終了(180SXは継続生産) |
| 1998年(平成10年) |
| (12月) 180SX生産終了 |
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