コペンが守り続けてきた軽スポーツカーのカテゴリーには、かつては多くの先輩たちがいた。とくにバブルの余韻が残る’90年代に登場したクルマたちは、今も記憶に残る名車だ。
●文:月刊自家用車編集部
バブル生まれの個性派は 華やかな魅力を競った
今でこそ、便利で経済的な日用品として暮らしに溶け込んだ軽自動車だが、モータリゼーション黎明期の日本には、多くの軽スポーツカーの企画があった。高度経済成長によって、“軽自動車なら手が届くかも……”と思えるようになった庶民の期待に応えて、メーカーもさまざまな提案をしていたのだ。
SUZUKIカプチーノ(1991~1998年)
マツダが1960年に初めて作った軽自動車は、のちのコスモスポーツを彷彿とさせるスポーツカーフォルムのR360クーペだったし、ホンダも’62年に4輪製品第一号としてオープン2シーターのS360を発表している(ただし、実際に発売されたのは小型車版のS500。S360用のDOHCエンジンは、同年に登場したトラックのT360に積まれた)。
’70年代になっても、ジウジアーロによる流麗なデザインに高性能2ストロークエンジンを積んだスズキのフロンテクーペや、軽自動車初の本格HTを持つダイハツフェローMAXが登場するなど、小さくても夢のある軽スポーツカーは、多くの日本人にとって身近な存在だったのだ。
HONDAビート(1991~1996年)
マイカー時代が本格的に到来すると、人々の関心が小型車以上に移り、軽自動車は市場そのものが存亡の危機を迎えたこともある。が、さらに豊かになった日本人が当たり前にセカンドカーを持つようになると、そこを狙ってふたたび軽スポーツカーのブームが起きた。1991年から1992年にかけて、ホンダのビート、スズキのカプチーノ、マツダのAZ-1という、今も語り継がれる名車たちが生まれたのだ。
MAZDA AZ-1(1992~1995年)
9000回転まで回るホンダらしいNAスポーツエンジンをリヤミッドに積んだビート、当時軽自動車最強だったアルトワークス用のツインカムターボを、アルミを多用した専用開発のFRシャシーに積んだカプチーノ、同じエンジンをガルウイングドアを持つスーパーカーフォルムにミッドに積んだAZ-1は、いずれもバブル時代にしか生まれ得なかった、華のある、ぜいたくな軽自動車だった。
スポーツカーといっても、軽自動車の最高出力は自主規制による64PSが上限。280PSもある本格スポーツカーでは、一般ドライバーにはそれを使い切ることは不可能だが、軽スポーツカーなら誰でも全開にできた。
日本車のシャシー技術も完成の域に到達しつつあった時代だけに、各車ともにハンドリングも秀逸で、3車3様の個性のある走りが楽しめたのだ。
※本記事は月刊自家用車2014年6月号掲載記事を再構成したものです。
※本記事の内容はオリジナルサイト公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
※特別な表記がないかぎり、価格情報は消費税込みの価格です。
関連する記事
【プロフィール】ベースとなったのはソリオ。レジャーワゴンとしても優秀スズキクロスビー発売日:2017年12月価格:176万5800〜214万5960円(2017年12月当[…]
スポーツカー冬の時代に登場したREロケット1970年代の10年間は、スポーツカーや高性能スポーティカーにとって苦難の時代だった。オイルショックと排ガス規制のダ[…]
【プロフィール】最新メカニズムの積極採用で、1ランク上のプレミアムミニバンへホンダオデッセイ発売日:2013年11月価格:249万〜373万円(2013年11月当時)ワゴ[…]
Audi TT Coupé S line competition plus内外装に人気のアイテムを数多く装備「TTクーペ Sライン コンペティション プラス」は、20[…]
約30kg軽量化、各部のチューニングでさらに野性味を増した「モリゾウエディション」「GRカローラ」は、5ドアハッチバックのカローラスポーツをベースにGRヤリス[…]
最新の記事
- 1
- 2