【伝説のスポーツカーたち】 トヨタ初代MR2 あの頃は手頃だったミッドシップスポーツ

●文:月刊自家用車編集部

手軽に安価にミッドシップの走りを楽しめるトヨタが本気で育てたコンパクトスポーツ

1980年代に入ると、日本は円高とともに好景気に沸き返る。国内自動車メーカーは、商売になるクルマだけでなく、未来への投資として冒険的なクルマの開発も許されるようになっていった。

トヨタも当時の豊田英二社長の「常識では考えられないひと味違ったクルマがあってもいいのではないか」という檄のもと、日本初の量産ミッドシップスポーツカーの開発に着手。

[写真タップで拡大]

1983年東京モーターショーに「SV-3」という試作車を出展、翌1984年に初代MR2がデビューする。限界点は高いが破綻すると技術が要求されたスリリングなハンドリング、上級カローラ並みの手頃な価格など、2シーター車としては異例の販売台数を記録した。

[写真タップで拡大]

本格ミッドシップスポーツ。エンジンを前車軸と後ろ車軸の内部に搭載する方式をそういう。それは高性能車のもの、外国の高価なスポーツカーだけに許されたレイアウトだと長い間思われてきた。しかしトヨタがそれを開発しているらしいと噂が流れ、やがてそれは現実のものとなる。1984年、MR2の名前で市販が開始された。

国産初のミッドシップエンジン車として登場。スポーツエンジンとして定評のあった4A-GE型をドライバーズシートの後ろに横置き。適度なパワーと軽快なハンドリングによってファン・トゥ・ドライブを実現した。 [写真タップで拡大]

前後ストラットサスペンション、後部に直列4気筒エンジンを横置きし、直線を基調にしたスポーティなクルマの多くのコンポーネントは、カローラから流用したものだった。

メーターパネルの左にワイパー、右にライトのスイッチを配置。またインパネの両端にオーディオのスピーカーが付く独特のレイアウト。 [写真タップで拡大]

7ウェイのスポーツシートはリクライニングも可能。荷室が限られる分、トレイやポケットを可能な限り配置している。 [写真タップで拡大]

この頃から、新しいボディに自社の持つ最良のパーツを組み合わせるという生産手法が多く取られていくようになった。開発費を抑え、車両価格に反映させるにはこの手法がもっとも適していたからだ。

車両価格は139.5万円から。マニア垂涎の的だったミッドシップ車がカローラの上級車とそれほど変わらない価格で手に入るようになったのも、このような開発手法の恩恵によるものだった。

エンジンは、前年に発表されたレビン/トレノに搭載された1.6L直列4気筒DOHC(1.5L SOHCもラインナップ)。ミッドシップのセオリーに則ったハンドリングは、まさにオン・ザ・レール。ドライビングハイをオーナーにプレゼントしてくれた。

■初代MR2の変遷

1984年(昭和59年)6月日本初のミッドシップエンジン車として初代MR2発売開始。車名の由来は ミッドシップ・ランナバウト・2シーター。 ’84-’85年の日本カー・オブ・ザ・イヤーに選出。
1986年(昭和61年) マイナーチェンジ。Tバールーフ、 スーパーチャージャー(44A-GZE型エンジン)追加。
1989年(平成元年) フルモデルチェンジで2代目へ。

■主要諸元(1600Gリミテッド・1984年)
●全長×全幅×全高:3950㎜×1665㎜×1250㎜ ●ホイールベース:2320㎜ ●車両重量:1060㎏ ●エンジン(4A-GE型):水冷直列4気筒DOHC1587㏄ ●最高出力:130PS/6600rpm ●最大トルク:15.2㎏・m/5500rpm ●10モード燃費:10.6㎞/ℓ ●トランスミッション:4速AT ●最小回転半径:4.8m ●乗車定員:2名 ●価格:200万7000円(東京地区・1984年当時)

※本記事は月刊自家用車2019年10月臨時増刊号「時代を駆け抜けた伝説のスポーツカーたち」に掲載された記事を再構成したものです。
※本記事の内容はオリジナルサイト公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
※特別な表記がないかぎり、価格情報は消費税込みの価格です。

最新の記事

月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報