【名車探訪】SUZUKI 初代ジムニー 世界中で愛され続ける唯一無二の軽量オフローダー 前編

LJ20型

新型ジムニーを見て「カッコイイ」と興味を持つ人も多いだろう。でもそんな生半可な気持ちで購入すると後悔するくらい、ジムニーは本格オフローダーなのだ。最新タウンカーに比べるとずいぶん乗り心地は悪いし、お世辞にも静かとは言えない。それでもジムニーはその圧倒的な悪路走破性と存在感で、世界中で愛され続ける。初代発売からもうすぐ半世紀。ジムニー誕生とその進化を辿る。

●文:月刊自家用車編集部 ●写真:スズキ株式会社

反対を押し切って始まったジムニー開発計画

LJ20型 エンジンを水冷化したことにより中低速が増強され乗りやすくなったが、最大の恩恵はヒーター性能の向上。またフロントグリルは横から縦に変更された。 [写真タップで拡大]

オーストリアの軍用車ハフリンガーを研究するなど、新ジャンルの4×4軽自動車開発を模索していたスズキ。ホープスターONの製造権を買い取り、その開発は一気にスピードアップしていった。

クルマの開発には大金がかかる。たった一枚のドアを開発するだけで、そのコストは億単位になるという。いかに自動車メーカーが大企業でも、「売れなかったね」では済まされないのは当然だ。

そこで開発者たちは、入念な市場調査をもとに、想定購買層にぴたりと合わせたクルマを造る。結果、大外れもない代わりに、誰もがあっと驚くような斬新な企画は、通りにくいのも事実。「最近のクルマはつまらない」と吐き捨てるのは簡単だが、そこには深い大人の事情が横たわっているわけだ。

ところが、日本にモータリゼーションがようやく到来した1960年代後半には、そんな精度の高い市場調査はなく、小さなメーカーでは、鶴の一声で新型車の開発が決まった例もあった。おかげでまったく売れずに消えたモデルやメーカーがある一方で、世界を驚かせる企画も世に出ることができた。’70年に初代が登場し、先日20年ぶりに四代目がデビューした世界最小の本格クロスカントリー4WD車、ジムニーもそうした背景から生まれた一台だ。

LJ10型 [写真タップで拡大]

最初期のLJ10型は幌モデルのみの設定。それまでこの手の4×4は土木事業所や警察、営林署など公的機関がメインユーザーだったが、ジムニーは手頃な価格で一般ユーザーにも広く愛された。発売の翌年には早くもマイナーチェンジが実施され、エンジンは27PS/3.7kg・mにパワーアップ。燃焼式ヒーターやボンネットロック機構なども採用される。LJ10型はドアも幌。ジッパーによる開閉で、テントのような感覚だった。 [写真タップで拡大]

ジムニーの原型は、’50年代に軽三輪トラックなどを開発販売していたホープ自動車が、’68年に発売したホープスターON360というクルマだった。ホープ自動車の創業者である小野定良は、自動車修理業からメーカーを志した、本田宗一郎にも通じる経歴の人物。ただし、エンジンの開発から始まったホンダに対して、ホープ自動車はフレームとボディこそ自社開発するものの、他の多くの部品は市販品を組み合わせるという、中小企業らしい手法をとった。

むき出しの鉄板に計器が埋め込まれたLJ10型のインパネ。計器は左が120km/hリミットの速度計、右が燃料計と各種警告灯。 [写真タップで拡大]

LJ10型は荷室に簡易タイプの折りたたみ式シートがひとつ用意され、最大3人乗車ができた。荷室の積載量は最大で250kg。 [写真タップで拡大]

マツダやダイハツなどの大メーカーが同じ軽三輪という市場で本格的に攻勢をかけてくると、とても勝負にならず、’65年に一度は自動車メーカーとしての活動を終え、遊園地の乗り物などのメーカーへと転じる。しかし、諦めきれない小野は、大メーカーが手を出さない企画として軽自動車規格の4WD車を造り、捲土重来を期したのだ。

幌モデルだけだったジムニーだが、1972年のエンジン水冷化(LJ20型)とともに初めてバンモデルが追加になる。また幌には荷室左右に2脚の4人乗りが追加される。 [写真タップで拡大]

今回もエンジンやトランスミッションは三菱、ブレーキはダイハツなどの寄せ集め部品による構成だったが、その走破性は高く、プロモーション用に作られた8㎜フィルムには、富士山の八合目まで駆け登る様子が記録されていた。

LJ20型4人乗り幌タイプの透視図。水冷エンジンを積んだ同モデルはその耐久性をテストするため、当時世界最大のオフロードレースだったメキシカン1000(現在のバハ1000)に参戦。クラス7位で完走を果たしている。 [写真タップで拡大]

しかし、小メーカーの悲しさ。ON360は、国内で15台程度、東南アジアでも30台ほどが売れたにすぎなかった。ついにギブアップした小野が、泣く泣く手放したその夢の製造権を買い、社内の反対の声を押し切って発売にこぎつけたのが、当時東京駐在常務だった鈴木修・現相談役だった。

■主要諸元 LJ10型(’70年式)
●全長×全幅×全高:2995mm×1295mm×1670mm ●ホイールベース:1930mm  ●トレッド(前/後):1090mm/1100mm  ●車両重量:600kg  ●乗車定員:2(3)名 ●最大積載量:250kg ●エンジン(FB型):空冷直列2気筒2サイクル359cc  ●最高出力:25PS/6000rpm ●最大トルク:3.4kg・m/5000rpm ●最小回転半径:4.4m ●トランスミッション:前進4段、後進1段  2段副変速機 ●タイヤ:6.00-16 4P  ●価格(東京地区):48万2000円(1970年当時)

■主要諸元 LJ20型(’72年式)
●全長×全幅×全高:2995mm×1295mm×1670mm ●ホイールベース:1930mm ●トレッド(前/後):1090mm/1100mm ●車両重量:625kg  ●乗車定員:2(3)名 ●最大積載量:250kg ●エンジン(L50型):水冷直列2気筒2サイクル359cc ●最高出力:28PS/5500rpm ●最大トルク:3.8kg・m/5000rpm ●最小回転半径:4.4m ●トランスミッション:前進4段、後進1段  2段副変速機 ○タイヤ:6.00-16 4PR ●価格(東京地区):48万9000円(1972年当時)

■初代ジムニーの歴史

1967年(昭和42年)  ホープスターON360試作車完成。
1968年(昭和43年)  ホープスターON360の製造権を取得。
1970年(昭和45年) 4月 初代ジムニー(LJ10-1型)発売。
1971年(昭和46年) 1月 マイナーチェンジ(LJ10-2型)。乗降口がカーテン幌式からスチール枠付き幌ドアに変更、エンジン改良など。
1972年(昭和47年) 5月 水冷エンジンを積む(LJ20-1型)に変更。バンタイプ追加。
1973年(昭和48年) 11月 マイナーチェンジ(LJ20-2型)。保安基準改正に伴い、ウインカーの2灯化など。
1975年(昭和50年) 2月 マイナーチェンジ。4人乗り追加。居住空間向上のためスペアタイヤを車外に移動。 12月 マイナーチェンジ。(LJ20-3型)50年排ガス規制に適合。最高出力が28PSから26PSにダウン。
1976年(昭和51年) 5月 軽自動車の規格変更を受け排気量を550ccに拡大(SJ10-1型)。
1977年(昭和52年) 6月 マイナーチェンジ(SJ10-2型)。トレッド拡大など。9月 ジムニー8(エイト)発売。
1978年(昭和53年) 10月 マイナーチェンジ(SJ10-3型)。幌タイプにメタルドア追加など。
1979年(昭和54年) 10月 マイナーチェンジ(SJ10-4型)。幌のサイドウインドウの大型化など。
1981年(昭和56年) 5月 フルモデルチェンジで2代目(SJ30型)に移行。

※本記事は月刊自家用車2018年9月臨時増刊号ザ・ジムニー・プロジェクトに掲載した記事を再構成したものです。
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