「赤字覚悟」で世界初の技術を大衆車に搭載。初代プリウスは、なぜ破格の215万円で売ることができたのか?│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「赤字覚悟」で世界初の技術を大衆車に搭載。初代プリウスは、なぜ破格の215万円で売ることができたのか?

「赤字覚悟」で世界初の技術を大衆車に搭載。初代プリウスは、なぜ破格の215万円で売ることができたのか?

トヨタの「プリウス」といえば、世界的に見ても最もポピュラーな車種のひとつとして認知されている存在です。街を走っていてその姿を見掛けない日は無いといっても過言ではないほど普及していますが、その初代の姿を思い浮かべられる人はどれくらいいるでしょう? ここでは、ハイブリッド・システムを世界で初めて実用車として実現した、初代「プリウス」について、掘り下げて考えていきたいと思います。

●文:月刊自家用車編集部(往機人)

“燃費の大幅な向上”を至上命題として開発

初代「プリウス(NHW1系)」が発売されたのは1997年です。発売当初のキャッチコピーは「21世紀に間に合いました」という言葉で、大きな話題を集めたことを覚えています。

その開発の発端は1993年に遡ります。

時はまさに“バブルが弾けた”直後で、それまでは「お金が湯水のように湧いているかのようだ」と揶揄されたほど市場がうかれムードでしたが、そこから急転直下、経済が破綻してイケイケだった企業が経営不振におちいって、倒産が相次ぐ状況となっていた時期です。

1990年代初頭のバブル絶頂期に開発された車種は、トヨタでいうと「クラウン・マジェスタ」に代表されるように“より高級な”方向のものが目立っていましたが、バブル崩壊後はその傾向も一転して、ワゴンやRVなどの“個人的な楽しみ”を追求する方向にシフトしました。

また性能面では、華やかな高出力志向のクルマが市場をリードする一方で、世界的に深刻さを増してきた“環境問題”への対応を求める風潮が強まってきた事への対策も重視されるようになっていました。

そんな暗雲が立ちこめる状況のなか、トヨタでは21世紀を走るのにふさわしいクルマづくりを実現するための「G21プロジェクト」を立ち上げます。

経済はいずれ回復するときが来るでしょうが、環境問題に関しては、社会全体としても、クルマ産業としてもこれから真剣に取り組んでいかねばならない問題ととらえて、プロジェクトの方針の中心に“燃費の大幅な向上”を掲げました。

具体的には、次期モデルでその当時の低燃費エンジンの値を2倍にするという目標値が設定されました。

この当時のトヨタのエンジンで燃費性能が良いとされていたエンジンで14km/L(定地)ほどだったので、目標値は28km/Lという、この当時はおおよそ実現が不可能と思われるものでした。

実際に既存のエンジンの技術を総動員した場合の試算では、とうてい達成ができないという結果が出たため、既存の技術の枠を取っ払い、電気(モーター)を活用するという方向にシフトします。
この転換点が、今のプリウスにつながるきっかけとなりました。

セダンを基本としつつ、空力性能を意識したなだらかなワンモーションフォルムが特徴。ボディカラーは淡いメタリック系が多く、プレーンな印象ながらも未来感を演出していた。

エンジン効率の追求に加え、走行抵抗となる空気抵抗を徹底的に低減するためのデザインも採用。Cd値(空気抵抗係数)も当時としてはとても優秀。0.30という数値を達成している。

なぜ「EV」や「水素」を選ばなかったのか?

この時代のモーターショーでは、経済の低迷や環境問題の深刻化による暗いムードを払いたいという気持ちが表れているかのように、新時代を象徴する「EV」や「燃料電池」、「水素エンジン」などの華やかな方向に目が向けられていた印象があります。

ユーザーの視点でもCO2の排出がゼロになるという触れ込みの「EV」に多くの興味が向けられていましたが、このときトヨタが目標の実現方法として選択したのは、「EV」と「内燃機」の中間的な「ハイブリッド」でした。

1995年の「東京モーターショー」で、その「ハイブリッド」のコンセプトを実装した“プロトタイプ”が発表されました。

新技術を搭載した近未来的な姿のコンセプトカーが並ぶなかで、このプロトタイプはファミリーカー的な地味な雰囲気で、聞き慣れない「ハイブリッド」という方式を採用するという、あまり存在感を感じられないクルマでした。

このときの発表を受けたカーメディアや市場の反応は賛否両論で、一般の人からは「よくわからない」、「(EVに比べて)どっち付かず」、「パッとしない」などの批判的な意見が多い印象でしたが、識者からは「まだ技術的な問題を多く抱えていてまだまだ実現の目処が立たないEVに注力するより、しっかり近い時期の販売を視野に入れたハイブリッドを選んだのは英断だ」という意見もあって、当時の筆者は、なるほど確かにそうだなと感心したのを覚えています。

世間的に「中途半端」という意見が多く感じられる状況ではありましたが、開発の様子を当時の雑誌などで知るにつけて、この「プリウス」の開発陣は相当に困難な技術のハードルをいくつも越えたのだということが判明しました。

「EV」はこの当時でも“未来の方式”という印象がありましたが、モーターで自動車を動かすという試みは実は1930年代からおこなわれていて、印象ほど新しいものではありませんし、電車など他の分野ではとっくに実用化されています。

その昔から量産車としての「EV」の実現を難しくしていたのはバッテリーでした。

「G21プロジェクト」でも「EV」の選択肢は当初からありましたが、「EV」として実用化するにはバッテリーの性能がまるで足りないことが分かっていたために項目から外されていました。

そのためハイブリッドに方向を定めた後も、当初はモーターだけで走行するモードは無く、あくまでも内燃機を補助する位置づけでした。

しかし、よりエネルギーの効率を高めるシステムを追求していく中で、「EV」の大きなメリットのひとつである「回生ブレーキ」を活用するなら、「EVモード」を組み込むのがベストだと判断されたようです。

速度計などの主要な情報が運転席正面ではなく、ダッシュボード中央上部に配置されたセンターメーター(デジタル表示)となるなど、当時としては革新的な配置とデザインを採用したインパネも話題を集めていた。

環境性能だけでなく、日常の実用性(キャビン効率)も重視して設計。ハイブリッドシステムを搭載しながらも、当時の同クラスのセダンとして十分な居住空間を確保されている。

一丸となって「ハイブリッド」実現を成し遂げた技術陣

この当時のトヨタは内燃機の設計や制御はかなり熟成が進んでいて、他メーカーより技術的に1歩進んだ「D-4」という直噴・希薄燃焼ユニットがありましたが、この「THS(トヨタ・ハイブリッド・システム)」にはモーターとの相性とコスト面の関係で、新たに開発された「1NZ-FXE型」エンジンが採用されました。

この「1NZ-FXE型」はトヨタで初めてとなる“アトキンソンサイクル”タイプの低燃費エンジンで、圧縮行程を短く、膨張行程を長くとることで“高膨張比サイクル”を実現するため、油圧式VVT(可変バルブタイミング)機構を備えています。

これによって、モーターに動力を振っている際はエンジンを止めることができるようになり、燃費に貢献しています。

一方のモーターは「1CM型」の永久磁石式交流同期モーターで、最高出力41psを発生。エンジンが58psなので、合計101psと、当時の1.5〜1.6Lエンジン相当ですが、特筆すべきは最大トルクで、モーター31.1kgf·m+エンジン10.4kgf·mで合計40.5kgf·mと、3.0Lツインターボの「2JZ-GTE型」エンジンに迫る力を発揮していました。

さてこの“ハイブリッド・システム”を実現させるための最大の問題はシステム全体の“制御”でした。

エンジンとモーターの動力を、それぞれの“おいしい”ところだけを使って、あらゆる走行シーンにフィットした配分で振り分けなければなりません。しかもそこに“回生ブレーキ”までも加わります。

その制御はシロウト目にも想像を越える複雑なものだということは分かります。しかも前例が無いシステムのため、制御のアルゴリズムもイチから組み立てなければならなかったでしょう。

さらには、エンジン、モーター、バッテリー、インバーター、トランスミッション、ブレーキなど、それぞれが並行して開発しているため、性能達成目標値との摺り合わせにも相当の労力を要したのではないでしょうか。

これを効率よく進めるため、システム制御や電動ユニットなどの各開発部署を一元化した「BR(Business Reform)」組織としてまとめたそうですが、それでもこの複雑極まりないシステムをたった2年で実現したトヨタは、率直にすごいと讃えたいです。

エンジンとモーターの動力を遊星歯車で自在に制御するTHS(スプリット方式)を世界で初めて実用化。EV走行と回生ブレーキで燃費を劇的に改善し、不可能と言われた目標を達成した。初代プリウスは、車格が近いカローラと比べると60万円ほど高い215万円という価格で販売が始まったが、当時からTHSシステムや駆動用バッテリーのコストを考えれば、原価割れしているのでは?という声も多かった。

5.8インチのワイドディスプレイには、エンジン・モーター・バッテリー・タイヤ間のエネルギーの流れをリアルタイムで表示するエネルギーモニターが表示。

初代の価格は、カローラ+60万円強でスタート

この初代「プリウス」は、その複雑なメカニズムと類を見ない性能に対して215万円というバーゲンプライスと言ってもいいくらいの価格でリリースされました。これは同時期の「カローラ」よりおおよそ60万円ほど高いだけの価格です。

ちなみに2代目にフルモデルチェンジされた2003年までの累計販売台数は12.3万台(日本国内6.5万台)と、100万台を超えるヒット商品となる2代目以降のモデルに比べると少ない成績でした。

これは発売当初、量産体制が整っていない時期があって、十分に初期の熱狂的な受注に応えることができなかったことや、もう少し予算を割くとワンクラス以上も上のモデルが狙えたことが大きいとされています。

当時から「赤字」なのでは?と囁かれていましたが、これはたぶん本当だと思います。かの有名な「21世紀に間に合いました」というキャッチコピーからも、さらなる改良進化でコストを下げるよりも、未来を見据えた最新技術を早く世に送り出したいという意気込みを感じられますし、この時期にこれだけ複雑なシステムを実用化したトヨタの技術力と取り組みの本気度は、他メーカーよりも2歩、3歩先を行っていたという印象です。

ちなみに「プリウス」発売から2年後の1999年に「ホンダ・インサイト」が発売されて35km/Lという驚異の燃費性能で話題になりましたが、インサイトは2人乗りでラゲッジスペースは最低限、空力優先のボディ形状、アルミを多用したぜいたくな作り、そしてモーターは補助的な“パラレル方式”という、低燃費を実現するための実験車的な存在でした。

実用車として「プリウス」のライバルとなる車種の登場まではさらに数年を要していることからも、初代「プリウス」がどれだけ進んでいたかが分かるでしょう。

そんな近未来の内容を秘めた初代「プリウス」ですが、さすがに今見ると古くささは否めませんし、バッテリーやモーターなどの機構的な劣化の問題から、維持する難易度も高く、実用車として気軽に乗り回せるクルマではなくなってしまっています。でも、それでも所有し続けているユーザーは、本当に惚れ込んでいる方が多いそうです。いつまでも大切に乗って欲しいと思います。

全長☓全幅☓全高:4275☓1695☓1490mmのコンパクトなボディにTHSを始めとした最新技術を搭載した初代プリウス。

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