日本が生んだ最高級GTの原点。初代Z10型が放つ圧倒的なオーラ、それは世代を超えて憧れたクルマだった!│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

日本が生んだ最高級GTの原点。初代Z10型が放つ圧倒的なオーラ、それは世代を超えて憧れたクルマだった!

日本が生んだ最高級GTの原点。初代Z10型が放つ圧倒的なオーラ、それは世代を超えて憧れたクルマだった!

排ガス対策に全ての国産車が躍起になっていた頃、未来を見据えて始まった新しいプレミアムカープロジェクト。その中心となった岡田氏(開発主査)が目指したのは、アウトバーンを時速200㎞で悠々と走るメルセデスベンツSLであり、BMW6シリーズだった。クラウンやマークⅡのコンポーネンツを使えば、開発は安く上がるが、それでは彼らの高速巡航性能には追いつけない。そこでサスペンションやブレーキを新たに開発、エンジンも専用の2.8L直6ツインカム搭載を決定。170PSという馬力は今では驚くべくもないが、当時は不文律となっていた145PSの上限を大きく超える衝撃のスペックだったのである。トヨタのフラッグシップモデルとして最先端のカーエレクトロニクスも積極的に導入されたソアラは、「未体験ゾーン」のキャッチコピーどおりの近未来感で、世代を超えた憧れのクルマとなった。

●文:横田 晃(月刊自家用車編集部)

大人の鑑賞に耐える美しさやクオリティを備え、法が許せば200㎞/hでのクルージングも可能な実力を持つ、本物の大人のクーペを目指して企画されたのがソアラだった。

デザイナー出身の主査が手掛けた大人のためのクーペ

世間ではあまりそう思われていないかもしれないが、トヨタは日本のベンチャー企業の草分けにして、未開のジャンルに挑み続けてきたチャレンジャーでもある。織機製造で成功した豊田佐吉の長男である喜一郎が自動車作りを志した時、それが将来日本を背負って立つ産業になると予想していた人は、皆無に近かった。純国産技術にこだわった初代クラウンを世に出した頃でも、日本製の乗用車は海外市場では通用しないという意見が根強かったのだ。

そうした声に抗って、カローラやコロナで日本にモータリゼーションを到来させ、経済性や信頼性を武器に海外市場でも確固たる地位を築いたトヨタが、世界レベルの高級GTを目指したチャレンジの成果が、1981年にデビューした初代ソアラだった。2ドアクーペという車型は、欧州では貴族が自分で操って遠乗りを楽しむ2人乗りの馬車に由来する、由緒正しい大人の乗り物だ。

1967年に誕生したトヨタ2000GTもそうした価値観を体現した高級クーペだったが、少量生産のそれはビジネスとしては成立しなかった。

1970年代までの日本では、クーペはもっぱら若者のデートカーという地位だったのだ。実用乗用車のシャシーにスポーティなボディを被せた、フォードマスタングに始まる米国発祥のスペシャリティカーという商品企画が、その源流にある。トヨタでも、その手法で作ったセリカで若者を虜にし、カローラやその下のスターレットにもクーペを用意して若者の関心を惹いた。

一方、上級クラスにおいても、クラウンの2ドアハードトップが用意されたが、高級車といえばフォーマルなセダンが常識の当時にあっては、なかなか主流派にはなれなかった。

そうした中で、大人の鑑賞に耐える美しさやクオリティを備え、法が許せば200㎞/hでのクルージングも可能な実力を持つ、本物の大人のクーペを目指して企画されたのがソアラだった。開発を率いたのは、かつて映画「007は二度死ぬ」(1967年公開)に登場したトヨタ2000GTのオープンカーを手掛けた、デザイナー出身の岡田稔弘主査。技術者ではなく、海外留学の経験もある彼の美意識があってこそ、ソアラという日本では新しいカテゴリーのクーペは誕生した。

その企画を通したトヨタ経営陣の心意気も、讃えられるべきだろう。世界から注目されたものの、ビジネスとしては大赤字だったトヨタ2000GTのリベンジに、彼らは挑んだのだ。

ソアラの開発を率いたのは、映画「007は二度死ぬ」で使用された2000GTのオープンカーを手掛けた、デザイナー出身の岡田稔弘主査であった。

人気は大人から若者へハイソカーの主役として国内市場を席巻したZ
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そもそも日本は、大人の粋な遊びを育んできた国だ。京都を始めとする古い街には、必ず名のある料亭やお茶屋などの社交場があり、企業経営者や商店主などの旦那衆が、お座敷遊びを嗜んでいた。

初代ソアラが誕生した1981年ごろは、そんな人々の元にもモータリゼーションが行き渡り、色気のある高級パーソナルカーが求められていた。それはちょうど、1979年に47万円で売り出されたスズキアルトが、女性の自分専用車という市場を開拓したのと対をなす出来事だったかもしれない。

世界に通用する高級GTを目指したソアラの出来栄えは、高度経済成長で世界の本物を手にするようになっていた当時の大人たちの期待に応えるものだった。

ロングノーズのクーペとはいえ、フォーマル感も感じさせる3ボックスの端正なプロポーション。関西ペイントの提案から巨額の設備投資を経て実現された、それまでの白とは一線を画する鮮烈なスーパーホワイトや、シックなマルーン2トーンの斬新なカラー。インテリアにも、デザイナー出身の岡田主査らしいこだわりが貫かれた。上質なタッチのシートを始めとする内外装のすべてをブラウンでコーディネートした仕様では、デザイナーの狙い通りのブロンズガラスが当時の日本のガラスメーカーには作れず、わざわざフランスから輸入したという。

さらに指針の一切ない、日本初のエレクトロニックディスプレイメーターには、液晶によるデジタル表示の速度計とバーグラフ式の回転計が色鮮やかに光った。現代のフル液晶モニターと比べれば見劣りするものの、それはたしかに、1982年にヒットしたSF映画「ブレードランナー」の世界を彷彿させる、未来の予感に満ちていたのだ。

もちろん、動力性能も世界水準だった。トップグレードに搭載されたエンジンは、2.8Lの5M型直列6気筒をDOHC化した、専用開発の5M-G型。当時としては群を抜く170PSの高性能は、CD値0.36という優れた空力性能と相まって、目標とした200㎞/hでのクルージングを可能としていた。

電子制御エアサスを始めとする足回りにも、その性能に見合ったチューニングが施されたソアラは、クラウンをしのぐ値付けにもかかわらず、月販3000台という当初の販売目標を大きく上回るヒットとなった。中小企業の社長などの大人から火がついた人気は、やがて2L車を中心とした中古車を求める若者へと広がり、いわゆるハイソカーブームの主役を務める存在になっていったのだ。

流麗なフォルムに、リアルウッドパネルなどの貴族的な内装を備え、エンジンも足回りも、グランドツーリングへとオーナーを誘う出来栄えだった。

最上級の2.8Lのほかに、5ナンバー規格の2L車も用意。その最上級車となるターボも人気を呼んだ。当時は3ナンバー車の税金は非常に高額だったのだ。

1983年式GT-リミテッド。デジタルメーターのデザインは手探りだったデビュー時に比べ、よりスマートに変わった。デビュー時はインパネ右下位置にあったオートドライブのスイッチは、ステアリングコラム内に移動。またトリップメーターもデジタル式になっている。リミテッドのオーディオはテクニクス製で、番組予約機能付きAM/FM電子チューナー&録音機能付きのカセットステレオ+4スピーカー

左はデビュー時のエレクトロニックディスプレイメーター。右は同じくデビュー当時VⅠとVⅡだけに採用された、Z10型ではとても稀少なアナログメーター。

ドアトリムなどにもふんだんに本革を使用し、室内は格調高い仕上がり。運転席のシートには空気が心地良い圧力を与えるエア式ランバーサポートを採用。

2.8Lモデルに搭載されたのは170 馬力を発生するDOHC6気筒エンジン。発売当初はほかに2.0L6気筒SOHC(125馬力)がラインナップ。

主要諸元  2.8GT (1983年) 
●全長×全幅×全高:4675㎜ ×1695㎜ ×1360㎜●ホイールベース:2660㎜●車両重量:1315㎏●エンジン(5M-GEU型):水冷直列6気筒12バルブDOHC2759㏄ ●最高出力(グロス):170PS/5600rpm●最大トルク(グロス):24.0kg-m/4400rpm●最小回転半径:5.5m●燃料タンク容量:61L(レギュラー)●サスペンション(前/後):ストラット式独立/セミトレーリングアーム式独立●ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ベンチレーテッドディスク●トランスミッション:前進5段・後進1段●タイヤサイズ(前・後):205/60R15 89H●乗車定員:5名 ◎新車当時価格(東京地区):291万1000円

世界のGTに肩を並べるも日本市場では低迷したZ30とZ40のジレンマ

世界レベルの高級GTという目標とは裏腹に、初代と2代目のソアラは日本国内専用車だった。大きな理由は、排気量こそ2.8Lまで拡大されていたが、ボディサイズが従来の日本国内市場を意識して小さめだったことにある。ベンチマークとしたメルセデスベンツSLクラスやBMW6シリーズと直接比べられる海外市場で、大人の高級GTとしてマーケティングするには、サイズ的に見劣りすることが避けられなかったのだ。

一方、当時の日本車の主な輸出先である北米市場では、まだこのクラスのスペシャリティクーペは若者から求められていた。そこで主なコンポーネントを初代ソアラと共有するスポーツクーペとして生まれたスープラ(日本国内では2代目セリカXX)が輸出され、期待通りの成功を収めた。

そうして純日本人向けの高級パーソナルクーペとして、1986年登場の2代目までキープコンセプトで進化したソアラは、1980年代後半にかけてのバブル景気と相まって売れまくった。ちょうどその頃、中古車雑誌の編集部に在籍していた筆者は、ソアラの特集ばかりを繰り返していたものだ。誌面で取り上げると読者が飛びつく鉄板の人気モデルは、スーパーホワイトの2L車。それまでのクーペとは違って、若者からもAT車が圧倒的な人気だったのも、ソアラからの現象だった。

かくして国内はソアラ、海外ではスープラで稼ぐというトヨタの両面作戦は、見事に成功したのだ。2世代に渡るソアラの成功で自信をつけたトヨタは、3代目でいよいよ名実ともに高級GTとして海外市場で通用するモデルを目指す。時代はバブル真っ盛り。北米市場では、高級ブランドのレクサスのローンチが予定されており、日本ではセルシオとして発売されるフラッグシップセダン、LSの開発が先に進められていた。

となれば、3代目ソアラがレクサスブランドとなるのも当然のこと。デザインもカリフォルニアスタジオでなされた初代レクサスSCこと3代目ソアラは、LS譲りのV8の4Lも積む、堂々たる体躯の高級GTとして世に出た。

ただし、北米での成功とは裏腹に、それは国内では不発に終わった。電動格納式のルーフを備えて2001年に登場した4代目も同様。世界有数の経済大国になった1980年代の日本だが、広大な大陸で長らく自動車を使いこなし、桁違いの成功者や貴族を擁する欧米で育まれた高級GTという価値観は理解されなかった。以後、レクサスのクーペはソアラとは、まったく異なる地平を目指すこととなった。

2代目(Z20型)

キープコンセプトながら、より上品なフォルムで昭和61年に登場した2代目。エンジンはトップグレードが230馬力の3.0L直6となり、2.0L はDOHCターボ(185馬力)とDOHC(140馬力)、SOHC(105馬力)の3タイプ。4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを新採用した。

3代目(Z30型)

Z20までのボクシーなデザインから曲線主体のスタイルに変身。ボディサイズは北米市場を考えて大幅に大きくなった。V 型8 気筒4.0ℓエンジンやピエゾ素子を内蔵した電子制御ダンパーなどレクサスLS(セルシオ)との共通メカニズムも多い。足回りは新設計の4輪ダブルウ
ィッシュボーン。上級モデルは電子制御エアサスペンションを標準装備した。

4代目(Z40型)

北米デザインスタジオが手がけたZ30から、Z40は欧デザインスタジオが担当。歴代ソアラで最も短い全長と最も幅広なボディををもつエレガントなコンバーチブルクーペとなる。エンジンは4.3LのV8のみ。オールアルミ製ルーフはスイッチ一つでラゲッジに格納。後席はあくまでプラス2 。ソアラ販売終了後もSC430として2010年まで継続販売された。

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