[懐かし名車旧車] ホンダ シビック:反逆児が信念をかけて生み出した大ヒットモデル

[懐かし名車旧車] ホンダ シビック

1960年代終盤、スポーツバイク譲りの精緻なメカとハイスペックで他社をリードしていたホンダは、H-1300というスーパーセダンと並行し、コンパクトながら十分な実用性を備えた新しいFFの2BOX車を開発していた。折しも1970年、東京・杉並で日本初の光化学スモッグが発生。米国ではマスキー上院議員が実現不可能とも思える厳しい自動車排ガス規制法案を提出した。それまでイケイケで走ってきた自動車産業は、環境問題という新たな課題に直面することになる。自動車に逆風が吹くそんな時代、初代シビックは登場した。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

日本人のマイカー観を大きく変えた2BOX

どの国においても、モータリゼーションの黎明期に誰もが憧れるのは、堂々としたステイタスを表現できるセダン。日本においても、初代サニーやカローラを筆頭とするマイカー時代の牽引車たちは、独立したトランクを持つ3BOXのフォルムが与えられていた。それが、より豊かな明日を夢見る庶民の期待に応えていたのだ。

ただ、コンパクトなボディに最大限の室内空間を実現させるには、1959年に英国のBMCミニが初めて実現させたFFレイアウトの2BOXのパッケージの方が合理的だ。しかし、黎明期のマイカー市場でそれが受け入れられるにはまだまだ時間がかかる。政治/経済/文化のすべてでアメリカを手本とし、カーライフにおいてもアメリカのきらびやかな大排気量セダンを夢見ていた1960年代の日本人の目には、無駄を省いた合理的設計の2BOXのクルマは格下の自動車と映っていた。

そんな意識を変えたのが、最後発自動車メーカーのホンダだった。

彼らが1967年にFF/2BOXパッケージで送り出した軽自動車「N360」は、2輪車譲りの高性能と巧みなパッケージングによる広さを武器に、若者たちを中心に圧倒的な支持を得る。続いて1972年に投入したシビックで、2BOX車はセダンとは異なる個性を持つ合理的かつ魅力的なマイカーであることを、日本人に印象づけたのだ。

ただし、シビックの誕生はけっして安産ではなかった。ホンダがN360に続いて、1969年に初の小型乗用車として登場させたのは、1300セダンとそのクーペだった。

小型車と言えども日本ではセダンが本流という判断はホンダとしては保守的だが、搭載されるエンジンは、本田宗一郎氏の肝煎りによる独創的な“強制空冷”というもの。しかし、このメカニズムには膨大なコストがかかるうえに、水冷以上に重くヒーターが利きにくいなど、商品としての重大な欠点もあり、大失敗に終わってしまう。

1300の挫折はホンダの経営をも傾かせ、一時は4輪からの撤退まで噂された。そんな中で、ホンダの第1期F1活動の総監督を務め、強制空冷の採用に反対して宗一郎氏と真っ向から対立していた中村良夫氏が、世界に通用する小型車として企画したのが、FF/2BOXの革新的な小型車・シビックだった。

1970年代に入り環境問題や省エネが大きくクローズアップされ始めると、そんな時代も味方に付けてシビックは大ヒット。ホンダは一気に世界へ躍り出ることになった。

シビック2ドアDX(1972年)

シビック2ドアDX(1972年)

北米での成功を皮切りに、ワールドカーとして成長

今でこそ日本車は世界の市場を席巻しているが、1950年代は「安かろう悪かろう」を地で行くクルマと見なされていた。事実、1957年に初めて北米に輸出された初代クラウンは、性能/品質ともに酷評されて早々に撤退を余儀なくされているし、続いて海を渡った日産のダットサンは「ブリキのオモチャのほうがマシ」とまで言われている。

1960年代になると日本車の品質も大きく向上して、コロナやカローラなどが売れるようになり、1969〜1970年に登場したセリカやフェアレディZも話題になった。しかし、それらはアメリカ車の企画を日本流にアレンジしたもので、メカニズムにも新鮮味はなかった。

対してシビックは、当時の北米市場では新鮮なFFの2BOX車。しかも、ホンダにはそれを注目させるだけの大きな武器もあった。

世界初の低公害エンジン、CVCCがそれだった。

1970年に成立した大気浄化法案・通称マスキー法は、1976年までに排ガス中の有害物質を1970年モデルの10分の1にまで抑えることを求めていた。GM/フォード/クライスラーのビッグ3が実現は不可能と主張する中で、4輪では新参のホンダがそれを達成し、キュートな2BOXのシビックに搭載して販売した。フロンティアスピリットに喝采を惜しまないアメリカが、それを歓迎しないはずはなかった。

さらにEPA(アメリカ合衆国環境保護庁)による燃費テストで、4年連続第1位になるなど、シビックは環境性能だけでなく省エネ性能の高さも際立っていた。

当初、国内販売が主流だったシビックは、やがて国内より海外での販売が多い、真のワールドカーとなっていった。F1で世界を転戦し、ミニ/フィアット/ルノーなどの成功を見て、2BOX車の可能性を確信していた中村氏は、F1のエンジンにまで空冷を採用させ、シビックの前身となる企画も最初は蹴った本田氏に、一度は辞表を叩きつけながらも、諦めることなくその実現に尽力した。

同様に、空冷では低公害エンジンの実現は到底不可能と予見した本田氏の部下たちは、なかば隠れるようにして研究開発を続け、独創的なCVCCエンジンの完成にこぎ着けたのだ。

本田宗一郎氏は、1300の失敗とCVCCエンジンの開発成功を見て、自身の時代が終わったことを自覚し、1973年に潔く経営から退く。トップに逆らってまで信念を貫き、成功を掴んだ部下たちの姿勢こそ、彼の愛したホンダイズムそのものだったに違いない。

【CVCCエンジン】主燃焼室の左上に小さな副燃焼室が見える。副燃焼室で濃い混合気に点火、それを薄い混合気の主燃焼室に伝播させることで完全燃焼を促進する。薄い混合気は酸素が多いわけで、燃焼室を出た後の排ガスの酸化反応にも有利。CO/HC/NOxを同時に減らすことに成功した。

時代の波に揉まれながらたくましく育ったシビックは、世界の道を走り続ける

「シビック」という車名は、“市民”を意味する“CIVIL”に由来する造語だ。CVCCエンジンでいち早く厳しい排ガス規制をクリアし、続くオイルショックで低燃費性能も注目されたシビックは、その名の通り理想の市民車として日米を皮切りに大ヒットする。シビックの後を追う形で1974年に登場した初代VWゴルフとともに、FF駆動の2BOX車はたちまち世界のコンパクトカーのスタンダードとなった。

キープコンセプトで登場した2代目では、ワゴン「カントリー」も登場。独創的なフォルムで自動車としては初のグッドデザイン大賞も受賞した3代目は、ホンダ車としては初めて日本カー オブ ザ イヤーを受賞している。

ワゴンのシャトルに加えて小粋なスポーツクーペのCR-Xを派生させるなど、シビックファミリーはホンダの屋台骨を支えるモデルへと育っていった。バブル真っ盛りに登場した4〜5代目ともなると、走りも使い勝手も装備も完成の域に達した。しかし、日本市場でのシビックの立ち位置が、微妙に変化し始めたのもこの頃からだった。

日本の5ナンバー規格が必ずしも世界の小型車のスタンダードではなくなり、海外のライバルが3ナンバー車幅を続々と採用する一方で、日本市場では5ナンバー規格に対するこだわりが強い。

2000年に登場した7代目では、5ナンバー規格を守りながらも居住性を追求した結果、歴代シビックが備えていたスポーツ性は薄れた。さらに、2001年に投入した身内のフィットに、国内ではコンパクト2BOXの主役の座も奪われてしまった。そうして、2005年に登場した8代目では、国内向けは3ナンバー車幅のセダンのみとなる。それでも凋落は止まらず、9代目は英国からの限定逆輸入車となるタイプRを除いて、ついに国内市場から落ちてしまうのだ。

海外においては、それぞれの市場に合わせて進化を遂げたシビックシリーズは今なお根強い人気を誇る。現行世代となる11代目は、高性能モデルタイプRに加えて6速MTのみというRSが投入されるなど、積極的なアプローチを仕かけている。ホンダの礎を築いた名車の挑戦は、まだ終わっていない。

初代シビックの変遷

1972年(昭和47年)
7月:2ドアが先行デビュー
9月:3ドアハッチバックと上級モデルの「GL」を追加
10月:CVCCエンジン発表
11月:シビック1200をアメリカ/香港に輸出開始(順次、欧州/オーストラリア/アジアに輸出を拡大)
12月:トヨタ自動車とCVCCエンジンの技術供与契約を締結
1973年(昭和48年)
2月:米国環境保護庁はCVCCエンジン搭載車が世界で初めてマスキー法75年度規制をクリアしたと発表
5月:スターレンジ(無段変速)のホンダマチック追加
7月:フォードとCVCCエンジンの技術供与契約を締結
9月:クライスラーおよびいすゞ自動車とCVCCエンジンの技術供与契約を締結
12月:シビックCVCCおよびシビック4ドア発売
1974年(昭和49年)
10月:スポーツモデル「1200RS」発売
11月:シビックバン追加
1975年(昭和50年)
8月:全車にCVCCエンジンを搭載
1976年(昭和51年)
5月:1200CVCC4ドアを追加
7月:生産累計100万台を達成
10月:1500CVCCの性能向上/GF-5追加
1977年(昭和52年)
9月:1500CVCCが53年排ガス規制に適合、5ドアハッチバック車追加
1978年(昭和53年)
6月:1200シリーズを1.3Lに拡大し53年排ガス規制に適合
1979年(昭和54年)
7月:2代目シビック(スーパーシビック)デビュー(初代生産は6月で終了)

歴代シビックラインナップ

初代シビック

【ホンダ 初代シビック(1972-1979年)】軽自動車の人気に陰りが見え始めたこの時代、ホンダの4輪事業生き残りをかけた1台。2ドアが先行販売されるが、当時欧州でブームの兆しがあったハッチバックも開発段階から存在していた。

2代目シビック(スーパーシビック)

【ホンダ 2代目シビック(スーパーシビック)(1979-1983)】1979年に登場した2代目シビックは、初代からのキープコンセプトながら各部を洗練。より上質な走りと居住性を実現した。初代ではRSを名乗ったスポーツグレードはCXと名を変えたほか、ステーションワゴンの「カントリー」を追加した。1.3Lと1.5LのエンジンはすべてCVCC。

3代目シビック(ワンダーシビック)

【ホンダ 3代目シビック(ワンダーシビック)(1983-1987年)】ロングルーフの個性的なフォルムの3代目は、自動車としては初めてのグッドデザイン大賞を受賞。ホンダ初のCOTYにも輝いた。CVCCエンジンに加えて、1.6Lの16バルブDOHCを積むスポーツモデル・Siも設定。ワゴンはシャトルと名付けられた。

4代目シビック(グランドシビック)

【ホンダ 4代目シビック(グランドシビック)(1987-1991年)】4代目は低くスポーティーなフォルムで登場。技術の進化でCVCCエンジンは廃止され、Siにはネット160psの高性能1.6L DOHCエンジンも搭載。4WDも設定された。

5代目シビック(スポーツシビック)

【ホンダ 5代目シビック(スポーツシビック)(1991-1995年)】1.6Lから170psを絞り出す16バルブDOHCも積まれた5代目は、堂々とスポーツを名乗る。ダブルウィッシュボーンの足まわりの完成度も高く、走り屋にも人気を得る。

6代目シビック(ミラクルシビック)

【ホンダ 6代目シビック(ミラクルシビック)(1995-2000年)】ボディを拡大して居住性向上を図った6代目は、顔だちから「目玉」の愛称もいただく。185psを発生するタイプRも設定される一方、CVTの採用などで環境性能も高めた。

7代目シビック(スマートシビック)

【ホンダ 7代目シビック(スマートシビック)(2000-2005年)】インパネシフトやウォークスルーで広さを訴求。セダンにはハイブリッドも設定する一方、タイプRは英国からの逆輸入車となった。

8代目シビック

【ホンダ 8代目シビック(2005年-)】日本国内では3ナンバー車幅のセダンのみとなったのが8代目。エンジンは1.8Lと2Lで、初のセダンボディのタイプRも設定。

9代目シビック

【ホンダ 9代目シビック(2011年-)】海外専用車となった9代目は、北米がセダンとクーペ、欧州はハッチバックがメイン。北米向けセダンは後期でスポーティーに進化。

10代目シビック

【ホンダ 10代目シビック(2015年-)】

11代目シビック

【ホンダ 11代目シビック(2021年-)】

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