
「スーパーチャージャー+ターボ」という過激な思想を市販車にぶち込んだ日産・マーチスーパーターボ。1リッター未満の小さな心臓から110PSを絞り出し、700kg台という軽量ボディを猛烈な勢いで引っ張るその姿は、まさに狂気そのものだった。現代のエコカーでは絶対に味わえない、ステアリングを持っていかれるほどの野性味あふれるドライブフィール。ラリーのために生まれた過激なハッチバックは、“じゃじゃ馬”そのものであった。
●文:横田晃(月刊自家用車編集部)
マーチR
マーチRは、マーチスーパーターボが発売される約半年前の1988年に登場した。「スーパーターボの原点」モデルで、勝つためだけに作られた純度100%のモータースポーツ・ベース車両である。トランスミッションはクロスミッションが標準装備され、機械式LSDもオプションで設定されていた。もちろんエアコンやパワーステアリング、オーディオ類は装着されていなかった。
- 1 当時の日本は、アメリカに憧れ、クルマに対するステータス意識が非常に高かった
- 2 階級社会だった欧州では、庶民には分相応の小型車がもてはやされ、高性能化していった。
- 3 徐々に、日本でも変化していった小型車に対する価値観の広がり。そして欧州的なコンパクトカーへの開眼
- 4 バブル景気真っ只中、もっと刺激的なスポーツグレードが求められるようになる
- 5 最初の試作車は、限界領域で旋回中の不用意なアクセルオフで、前転しそうなほど姿勢を崩してしまうぐらい、バランスが悪かった
- 6 高性能タイヤが次々と登場したが、シャシーがその性能域に達していなかった
- 7 今の時代では考えられないその過激さは、勢いがあった当時の日本車の象徴でもあった
当時の日本は、アメリカに憧れ、クルマに対するステータス意識が非常に高かった
誰もが軽自動車を始めとする小さなクルマを、胸を張って乗り回す今の日本しか知らない若者には信じられないかもしれないが、マイカーが普及し始めた1960~70年代には、排気量やサイズによるヒエラルキー(階級意識)や偏見が根強かった。
当時の多くの日本人にとって、本当に乗りたいクルマは大きなセダンであり、コンパクトカーや軽自動車は、貧乏人が仕方なく乗るクルマという空気がマジであったのだ。
それはおそらく日本のモータリゼーションが、大型車中心のアメリカを手本にして始まったことに起因している。1960年代といえば、アメリカ車が最も大きかった時代。6L、7Lクラスのエンジンを積み、全長5mをゆうに超える、フルサイズカーと呼ばれた巨大なセダンがアメリカの中流家庭のファミリーカーだった。
当時の日本でよく放映されていた「パパは何でも知っている」とか「奥様は魔女」といったアメリカのホームドラマにも登場するそれは、大型冷蔵庫や洗濯機といった家電製品とともに、庶民の憧れになったのだった。
階級社会だった欧州では、庶民には分相応の小型車がもてはやされ、高性能化していった。
一方、欧州では、1959年デビューのご存じミニや、1957年のフィアット500といったコンパクトカーが早くから庶民にも普及していた。欧州の古い街では道が狭くて大型車は使いにくいということもあるし、貴族を頂点とする階級社会が今なお息づく欧州では、大きなクルマは上流階級の乗り物という不文律が生きていて、庶民は分相応の小型車に乗るのが当たり前だったこともある。
スポーツカーも同様に、欧州では長く貴族の乗り物だったが、マイカーが普及するにつれて、ミニを高性能化したクーパーや、実用コンパクトカーに高性能エンジンを積んだVWゴルフGTIなどのスポーティな小型車が登場して、若者を中心に支持されるようになった。
丸穴が空いた特徴的なフロントグリルを採用。ボンネットには、大型エアインテークが設けられていた。
大型リアスポイラーが標準装備されていた。
ボディ側面のには専用のサイドマッドガードが装着され、車高を低く、よりスポーティに見せる視覚的効果を狙っている。
徐々に、日本でも変化していった小型車に対する価値観の広がり。そして欧州的なコンパクトカーへの開眼
日本でも、大人たちがフォーマルな大型セダンに憧れるのを尻目に、1967年に登場したホンダの軽自動車、N360が2輪用を下敷きにした高性能エンジンを積むスポーティな2BOXカーとして大ヒットし、大型セダンとは異なる価値観の選択肢が拡大していったのだ。
1982年に誕生した日産の2BOXカー、マーチに1989年に加わったスーパーターボも、そうした価値観の変化を体現した高性能コンパクトカーだった。
日産の公式サイトによれば、そもそも初代マーチは本場欧州の小型車のトレンドを学ぼうと、たまたま売り込みのあった世界的デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロに試しにデザインを依頼したことから始まったプロジェクトという。
当初は発売予定はなかったが、メカニズムのパッケージも含めて、完璧な仕上がりのデザインを見た経営陣が市販化を決意して、世に出たのだ。
コンパクトなサイズに大人がゆったり乗れる室内空間を確保したうえで、シンプルだが上質な面で構成されたジウジアーロのデザインは今見ても古びないが、そこに命を吹き込んだ日産のエンジニアリングも上々だった。
マーチのために新開発された4気筒1Lエンジンは必要十分な性能と扱いやすさ、高い経済性を持ち、足回りも当時のFF車としては高い走行安定性と快適な乗り心地を両立していた。
バブル景気真っ只中、もっと刺激的なスポーツグレードが求められるようになる
ただし、80年代も後半はイケイケのバブル景気に向かって一直線の時代。穏やかで扱いやすいファミリーコンパクトカーとして好評を博したマーチにも、もっと刺激的なスポーツグレードが求められるようになる。
それに応えて1985年にターボが誕生するが、時代はそれだけでは満足しなかった。1988年にはラリーなどの競技向けのベース車として、ターボとスーパーチャージャーをダブルで備えるマーチRが誕生。翌年に、それを一般向けスポーツグレードとしたスーパーターボが登場したのだ。
低中速域ではレスポンスに優れるスーパーチャージャーで、全開領域ではターボチャージャーで過給するスーパーターボは、都会派のマーチを獰猛な野獣に大変身させていた。ビスカス式LSDを標準装備してもなお、全開加速ではステアリングをしっかりと抑え込まないと激しいキックバックで直進もおぼつかないようなじゃじゃ馬だったのだ。
スーパーターボのインパネは、ベースグレードとは一線を画すスポーティなデザインとなっている。中央に鎮座する速度計とその右側にある燃料計、水温計はゼロ時水平指針。対して、速度計左に位置するタコメーターはゼロ時垂直指針となっているのが特徴。またセンターコンソールには、時計・電圧計・ブースト圧計が装備されている。
フロントシートには、ホールド性を高めた専用スポーツバケットシートを採用。サイドサポートが大きく張り出しており、ドライバーをしっかりホールドしてくれた。
最初の試作車は、限界領域で旋回中の不用意なアクセルオフで、前転しそうなほど姿勢を崩してしまうぐらい、バランスが悪かった
じつは筆者は、このクルマを開発した元日産のテストドライバーを、長く取材していた。彼によれば、ノーマルのマーチは足回りの素性もよく、開発中のセッティングも比較的スムーズに進んだが、スーパーターボは危ないクルマにならないように躾けるだけで大変だったという。最初の試作車は、限界領域で旋回中の不用意なアクセルオフで、前転しそうなほど姿勢を崩してしまうぐらい、バランスが悪かったそうだ。
そもそも、前輪が操舵と駆動の両方を担うFF車は、高性能化が難しい。重量配分が前方に片寄り、後輪のグリップが抜けやすい上に、高性能エンジンの大きなトルク変動が加わると、サスペンションの動き、ひいてはタイヤのグリップがそれを受け止められずに、急激な姿勢変化を呼びがちなのだ。
高性能タイヤが次々と登場したが、シャシーがその性能域に達していなかった
日産にはそれでも、1970年の初代チェリーに始まるFF車の開発で蓄積したノウハウがある程度あったが、先に述べたN360の時代には、開発陣もそうした素性を解析しきれておらず、事故が多発した結果、市民団体から欠陥車として告発される憂き目にあっている。
1980年代は日本が世界一の経済大国の地位を固め、多くの技術や製品が世に出た時代だ。ブリヂストンのポテンザやヨコハマゴムのアドバンといった高性能スポーツタイヤもこのころに誕生したが、まだそれを履くシャシーの方が完成の域に達しておらず、組み合わせを誤ると、危険なじゃじゃ馬になることもあった。
MA09ERT型直4SOHCスーパーチャジャー+ターボチャージャーエンジン。排気量は、当時のレースのレギュレーションに合せるため、930ccにボアダウンされていた。最高出力110psを発生。
今の時代では考えられないその過激さは、勢いがあった当時の日本車の象徴でもあった
マーチの高性能スポーツグレードは、初代のスーパーターボだけで終わってしまったが、以後の日産の、そして日本のFF車の走りの解析は着々と進み、今日では堅固な剛性のボディに良く動く足、高出力と扱いやすさを併せ持つパワートレーンを組み合わせた、ノーマルグレードでも十分にスポーティなモデルが選べるようになった。
それは、一歩間違えれば蛮勇とでも評されそうなチャレンジを、この時代に思いきりできたおかげだ。当時の開発エンジニアの多くが1980年代後半を、「あの時代は面白かったなあ」と振り返る。その勢いがマーチスーパーターボのような暴れん坊を生み、それが今日の糧になっているのだ。
主要諸元:マーチスーパーターボ(1989年式)
●全長×全幅×全高:3735㎜×1590㎜×1395㎜●ホイールベース:2300㎜●車両重量:770㎏●エンジン(MA09ERT型):水冷直列4気筒SOHCスーパーチャジャー&ターボチャージャー 930㏄●最高出力110PS/6400rpm ●最大トルク:13.3㎏-m/4800rpm●トランスミッション:5速MT●タイヤサイズ:175/65R13
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