「かつて、腕利き職人のみが組み立てることができた特別なメカニズム=DOHC」その緻密なメカニズムを量産化させた日本の生産技術の凄さ│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「かつて、腕利き職人のみが組み立てることができた特別なメカニズム=DOHC」その緻密なメカニズムを量産化させた日本の生産技術の凄さ

高回転まで吹け上がりレースフィールドを席巻するDOHCエンジンは、かつて自動車マニアたちの憧れだった。その精緻なDOHC 技術は、日本メーカーが世界をリードし、今や国産内燃機関車のほぼ全てがDOHCエンジンを搭載している。5バルブや可変バルブ機構を世界で初めて実用化したのも日本メーカー。そんな国産DOHCの進化を遡る。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

DOHCにこだわり続けるイタリアの雄アルファロメオ

1910年、ミラノで創立されたアルファロメオは、レースでの活躍が販売や技術を向上させると考え、創業1年目からレースに参戦。DOHCやツインスパークなど革新的技術をいち早く採用した。1930年代には早くもDOHCエンジンの市販車を発売。その後も数多くのDOHCの名車を送り出している。人物画像は、アルファロメオの前身「ロンバルダ自動車製造株式会社」の創始者である実業家 ニコラ・ロメオ。

アルファロメオ1900(1950年)

戦後間もない1950年に発売された中型セダン。1.9LのDOHCは90馬力を誇り「レースに勝つファミリーカー」と呼ばれた。

アルファロメオ・ジュリエッタ(1954年)

イタリア車史を代表する小型高性能モデル。ジュリエッタ は「滑らかに這う蛇」の意味で、女性の名前にも多く使われる。ベルトーネ製のクーペボディのスプリントが先行デビューし、セダンのベルニーナとオープンのスパイダーが追加された。このジュリエッタは、DOHCを広めたエポックモデルで、1954年式ジュリエッタ に搭載されたのは1290ccの直列4気筒DOHCエンジンだった。

複雑な構造や高い精度が求められるDOHC

手元にある富士重工業(現SUBARU)の古い資料に、戦時中の中島飛行機での戦闘機「隼」のエンジンカウルの作り方が出ている。

道具は大きな砂袋とハンマーだけ。地面に置いた砂袋の上に材料となる鉄板を置き、工員がひたすらハンマーで叩く。すると数時間後には硬い鉄板が、設計図通りに仕上がっていたというのだ。

もちろん、そんな芸当ができるのは熟練の凄腕職人だけだ。しかし、当時の中島飛行機の工場には、そのレベルの職工さんがごろごろいたのだろう。

昔の話だけではない。筆者は大きなバールのような工具を回転する金属板に押し当てて成型する、ヘラ絞りと呼ばれる技法で国産ロケット、H2の先端部のカウルを作った熟練工の美技を、この目で取材したことがある。

ただし、そうした匠の技も、今日の自動車工場では出番は少ない。日本の自動車メーカーは、高度なメカニズムをいかに限られた熟練工に頼らず、なおかつ高品質に量産するかという、生産技術の進化によって今日を築いた。それを象徴しているのが、今や軽自動車をふくむほとんどの日本車に搭載されているDOHCエンジンだ。

今さらながら述べておくと、高性能なエンジンを実現するには、なるべく多くの混合気を効率よくシリンダーに吸わせ、短時間で完全燃焼させる必要がある。

そのためには、吸排気バルブはなるべく大きくする一方、コンパクトな燃焼室の中心に点火プラグを置きたい。さらに高回転まで回すために、バルブ単体は小さくして慣性質量を減らす代わりに数を増やし、エンジン回転に連動する作動カムの動きを正確に伝えたい。そうした課題をすべてクリアできるのが、シリンダーの直上に吸気と排気の独立したカムシャフトを並べ、多くのバルブを直接作動させることができるDOHC、またはツインカムと呼ばれるメカニズムなのだ。

とはいえ、言うまでもなくその構造は複雑になる。超高速で多数のバルブを動かすためには高い精度が必要だし、カムシャフトを駆動するチェーンやギヤの材質や精度も最高レベルが求められる。

ゆえに量産は難しいし、どうしてもコストがかかる。だから1910年代に発明されたDOHCエンジンも、当初はレーシングカーなどの限られたクルマのために腕利きのメカニックが組み上げる、特別なメカニズムだった。

それは戦後に見よう見まねで乗用車作りを始めたばかりの日本の自動車メーカーには、おいそれと手が出せる技術ではなかったのだ。

メグロ RZレーサー

国産で初めてのDOHC搭載車となった2輪レーサー。498cc単気筒SOHCをDOHC化。重心は高く、さらに重くなったが32PSのハイパワーでレースを制した。

ホンダT360

ホンダ初の四輪車はスポーツモデルS360を計画していたが、市場を鑑み軽トラックに変わった。エンジンはそのままスポーツカー用4気筒DOHCが積まれた。

ホンダドリームCB450

ホンダ初の市販DOHCバイク。並列2気筒DOHCは45PSを発生。あまりの高性能ゆえカタログには「初心者にはお勧めできません」と書かれていた。

DOHC量産を実現した名機2T -Gエンジン

そもそも1960年代までの国産実用車においては、DOHCでなければ実現できないような高性能は求められてはいなかった。

なにしろ国土の大動脈である国道一号線の、東京‐大阪間の全線舗装完了が1962年のこと。それ以外の道路の舗装状況は推して知るべしだ。高性能である前に壊れないことが、国産車に求められる最大の性能要件だったのだ。

そんな状況だった1963年に国産車初のDOHCエンジン搭載車となったのが、ホンダの4輪車第一号となるトラックのT360とスポーツカーのS500だった。

2輪での国際レース参戦で小排気量DOHCエンジンの開発製造経験があるホンダだからこそできた仕事だったが、レーシングエンジンでもそうはお目にかかれない、フルニードルベアリングなどの高度なメカニズムを多用した設計は、海外では「時計のように精密」とたたえられた。

事実、当時の日本はセイコーの時計やニコンのカメラなどの精密機械製品が海外市場で認められて、高度経済成長の原動力になっていた。ホンダのDOHCエンジンも、それに連なる日本らしい商品として認知されたのだ。

しかし、さしものホンダでも、その量産は難しかったはずだ。おそらく生産ラインには、限られた熟練工しか立てなかっただろう。

それは、レーシングエンジンをベースに開発された初代日産スカイラインGT-RのS20型や、いすゞがベレットや117クーペに積んだG161W型も同じこと。希少な熟練職人頼りの特別なDOHCエンジンであり、だからこそ神話的な憧れの対象になった。

それを大きく変えたのが、トヨタとヤマハのタッグだった。1967年に誕生したトヨタ2000GTのエンジンで、ヤマハは実用車のクラウンに積まれていた直列6気筒SOHCのM型エンジンのヘッドを、最小限の設計変更で手際よくDOHC化し、生産も完璧にやってのけた。

その関係はOHVの4R型エンジンをDOHC化したトヨタ1600GTや、同じくOHVの8R型をベースとした1969年のコロナマークⅡ1900GSSの10R型(後に8R-G型に改称)を経て、世界でも稀なDOHCエンジンの量産技術を確立。そして1970年にセリカ用としてデビューした名機、2T-G型に繋がる。

2T-G型のベースとなったT型はOHVながら、カムシャフトを比較的高い位置に置き、巧みな設計でセンタープラグを実現するなど、最初からDOHC化を睨んで開発されていたのだった。

トヨタ・2T-G型(1970年)

数多くの人気モデルに積まれ、レースでも称賛された2T-GはまさにDOHCを広く知らしめた神エンジン。セリカのほか、レビン /トレノやカリーナなどにも積まれ、改良を加えながら1983年まで長きにわたって生産された。ツインカムのトヨタを決定付けた存在だった。

ニッサン・S20型(1969年)

プリンスR380のGR8型エンジンを市販用に再設計したエンジン。市販車として国産初の4バルブDOHCで、容易にパワーアップできるポテンシャルを秘めていた。スカイラインやZ432に積まれたが、昭和48年の排ガス規制に適合できず、1973年3月で製造終了。以後日産は1981年のFJ20E型まで約8年間DOHCを造らなかった。

イスズ・G161W型(1968年)

アルファロメオの直4DOHCをお手本に作られたと言われる国産DOHC黎明期の名機。ベレットにも積まれ、スカイラインGT登場まで、国内GTレースの主役として君臨した。後に電子制御燃料噴射ECGI仕様(130PS)も生まれている。

ミツビシ・4G32型(1970年)

1969年に誕生したOHCエンジンは、かつての三菱の航空機エンジン「火星」や「金星」にならいサターンエンジンと呼ばれた。1970年、これをベースにDOHC化された4G32は当時クラス最強スペックを誇った。

クリーンかつ高性能、日本の進化系DOHC

2T-G型は2バルブながら優れた素性を持ち、チューニングにも耐える頑健さも備えていた。おかげで2Lへの排気量アップなど、多くのチューニングメニューが生まれ、より軽量なカローラ系のボディに積んだレビン/トレノはレースやラリーでも無敵を誇った。本来は1.6Lの2T-G型をボアアップした2Lは、後から出た2L DOHCの18R-G型よりシャープに吹け、レースでの信頼耐久性も上と言われたのだ。

その素性の良さは、18R-G型が厳しい昭和53年排ガス規制適合に苦戦して消滅の危機に立ったのに対して、2T-G型は燃料噴射化で比較的容易にクリアしたことからもうかがえる。

じつはこの排ガス規制への挑戦を通して、日本メーカーDOHCエンジンのもうひとつの価値を見つけることになる。高性能を求めて高効率を追求したDOHCというメカニズムは、排ガス浄化のために重要な、完全燃焼を実現する武器にもなったのだ。

1980年代になると、電子技術の進展によって精密な燃料噴射が可能になった。各社が量産に成功した、より高効率な4バルブDOHCや急激に進化した触媒技術と相まって、日本車はいち早くクリーンな排ガスと高性能を両立できるようになった。

R30型スカイラインRSに積まれたFJ20型のような高性能志向のエンジンはもちろん、カムシャフトを効率の高いシザースギヤで駆動するトヨタのハイメカツインカムのような、実用域でのメリットを狙うDOHCも登場した。

1984年には、ヤマハが世界初のDOHC5バルブエンジンを発表。F2用レーシングエンジンに続いて2輪車にも搭載され、のちにはトヨタの4A-G型にも実装されることになる。

さらに1980年代には、低速域での粘り強さと、高速域でのシャープな吹けという異なる特性を両立させる可変バルブタイミング機構や可変バルブリフト機構も誕生。ホンダのVTECや三菱のMIVEC、トヨタのVVTは、クリーンでありながら高性能な日本車を象徴する名称になっていく。

吸排気バルブを精密に制御できるDOHCエンジンの量産に成功した日本は、それをレース用の特別な技術ではなく、誰もが使う日常の技術にしたのだ。

ちなみに、冒頭で触れた凄腕職人たちは、今日でも自動車メーカーの試作部など、特殊な部門で美技を奮っている。これからも、日本のものづくりの強さの根底を支えるのは、彼らのような市井の達人たちに違いない。

トヨタ・4A–GE型(1983年)

2T-Gに代わる新世代の1.6L DOHCユニット。後輪駆動のレビン /トレノのほかミッドシップのMR2や前輪駆動車にも積まれた。当初は1気筒あたり4バルブだったが、後に5バルブへと進化。AE101系カローラ に搭載された20バルブ方式にはメカニカル式可変バルブタイミングのVVTも採用されている。

ニッサン・FJ20E型(1981年)

WRC参戦の次期主力エンジンとして開発された8年ぶりとなる日産DOHC。ポート形状などはS20を彷彿させる設計で、1気筒あたり4バルブも採用され、そのレスポンスはまさしくスポーツDOHCそのものだった。1983年にはターボを装着し史上最強のスカイラインと呼ばれたが、FJ系エンジンはわずか5年で姿を消した。

ホンダ・B16A型(1989年)

2種類のカムを使うことで、バルブの開閉量やタイミングを切り替え、低回転での使いやすさと高回転でのハイパワーを両立させるVTECを初めて採用したエンジン。NAながらリッター当たり100PSを達成したB16Aは1991年のシビック SiR搭載仕様で170PSとなった。

ミツビシ・3G81型(1989年)

四輪量産車としてミニカダンガンZZに初採用された5バルブDOHC。ターボも装着され550ccながら軽自動車の自主規制枠いっぱいの64PSを発生した。

DOHCをスタンダードにした「ハイメカツインカム」

2本のカムシャフトの駆動にシザーズギヤを使い構造をコンパクト化。トヨタの標準車用の狭角4バルブDOHCがハイメカツインカム。スポーツモデルにとどまらず、ほぼ全てのガソリン車をDOHCに変えた革新的メカとなった。

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