「日本車のサスペンションは海外では通用しない!」かつて欧米でボロ負けした日本車の足回りが、“世界基準”を掴み取るまでの軌跡│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「日本車のサスペンションは海外では通用しない!」かつて欧米でボロ負けした日本車の足回りが、“世界基準”を掴み取るまでの軌跡

「日本車のサスペンションは海外では通用しない!」かつて欧米でボロ負けした日本車の足回りが、“世界基準”を掴み取るまでの軌跡

パワーや燃費の優劣は、数値で明確に判断することができる。ところが乗り心地や操縦性といった足の優劣は、数値での判断がなかなか難しい。長年ニッポン車は、エンジンは一流だが、足は二流と言われてきた。人の感性や経験に負うところが大きい足の熟成。国内市場からグローバル市場へと主軸が移っていった1980年代以降、ニッポン車はようやく世界の足に挑戦を始めた。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

【プロローグ】サスペンションの種類

車体と車輪をつなげるアームの形状などによって、サスペンションはいくつかの形式に分類される。現在の乗用車の主流は四輪独立懸架で、小型FF車がストラット+トレーリングアーム、高性能車がマルチリンクやダブルウィッシュボーンを多く採用している。とはいえその構成部品や点数は各車で様々、車ごとに味付けも違う。

リジットアクスル

左右の車輪が車軸でつながっているのが車軸固定式(リジッドアクスル)。片方の車輪が押し上げられると、反対側は押し下げられるため
起伏の激しい荒地での走行に強い。一方独立懸架は乗り心地や操安性に優れる。

トーションビーム式トレーリングアーム

剛性を高めるため左右のトレーリングアームをビーム(梁)で連結。一般的にはリジッドアクスルだが、ビームは入力によって捻れ、半独立式的な性格を持つ。ヤリスやフィットなど小型FF車の多くに採用している。

マクファーソンストラット

ショックアブソーバーを車軸の位置決めのための支柱(ストラット)として使う構造。部品点数が少なく、ストロークも多くとれるため、FF、FRを問わず多くの車に採用されている。発案者の名からマクファーソン・ストラットとも呼ばれる。

ダブルウィッシュボーン

上下2つのアームでナックルを支え、ショックアブソーバーが構造の一部になっていない方式。部品点数は多くなるがショックが滑らかに動き、設計自由度が高い。鳥の胸骨に似ていることから命名されている。

マルチリンク

基本はハイマウントアッパーアーム式のダブルウィッシュボーン。車軸を複数のリンクで位置決めすることで車体がロールしても常にタイヤを直立させるなど、乗り心地と操安を高いレベルで両立させることが可能。

国産車のサスペンション開発は、劣悪な道路環境のハンデを追ってスタートラインに立っていた。

自動車の入門書の多くは、サスペンションについて「路面からの衝撃を緩衝して、乗り心地をよくする装置」と説明している。しかし、現代の乗用車のサスペンションの役割としては、それだけでは足らない。

路面状況や速度にかかわらず、すべてのタイヤを路面に正しく接地させて、制駆動力や旋回力を最大限に引き出すとともに、車体の姿勢を適切に制御して操縦安定性を高めるためにも、サスペンションは重要な役割を担う。

ただし、日本車のサスペンション技術は、欧米車とは比較にならない劣悪な環境のハンデを負ってスタートラインに立った。国防のためにあえて橋を架けず、車両の通行に適さない細い街道を放置した江戸幕府の姿勢を受け継いだわけではなかろうが、明治以降も日本政府は道路の整備を怠った。

そのひどさは1956年にアメリカから来日したワトキンス調査団が、「日本の道路は信じがたいほど悪い。工業国にしてこれほど完全に道路網を無視してきた国は、日本をおいてほかにない」とリポートに記しているほどだ。

世界最初のガソリン車の足は、ベンツ ・モトールヴァーゲン(1886)

リーフスプリングは上下2つを組み合わせたパンタグラフのような形状。これを後輪軸に前後方向に装着した。最高速が低いこの時代は、操安を追求するレベルになく、サスペンションはもっぱら乗り心地を向上させるものだった。

世界初の四輪独立懸架、メルセデスベンツ170(1931)

ダイムラー・ベンツ初の小型車で、1.7L の6気筒サイドバルブエンジンを搭載。乗り心地向上のため量産乗用車としては世界初の四輪独立懸架を採用。フロントは上下のリーフスプリングを横に置きそれをアームとして位置付けたダブルウィッシュボーン、リヤはスウイングアクスル。

ヨーロッパのレースを席巻、メルセデスベンツW25(1934)

エンジンと同じようにサスペンションの進化を加速したのもレースフィールドだった。四輪独立懸架の足を持ち、3.36ℓ エンジン(最高出力354PS)を積み「シルバーアロー」と呼ばれたW25は、1930年代のヨーロッパのレースで圧倒的な速さを誇った。

戦後の道路環境では、乗り心地や操縦性以前に、壊れないことが最重視されたサスペンション

当時は大幹線たる国道一号線にすら未舗装区間が残り、晴れればホコリがもうもうと舞う凸凹路、雨だとタイヤが埋まって大型車がスタックするほどのぬかるみが、日本のどこにでも見られた。そうした環境下でのサスペンションは、乗り心地や操縦性以前に、壊れないことが最重視されたのだ。

1955年に誕生した日本初の本格量産乗用車のクラウンは、前輪にダブルウィッシュボーン式の独立サスペンションを備えていたが、関節の多いそのメカニズムの信頼耐久性を不安視する声は多かった。

開発陣さえ自信が持てず、ヘビーユーザーであるタクシー業界向けには、前後リジッドアスクルのトラック用シャシーにクラウンに似たボディを載せた、クラウンマスターを用意したのだ。

試しにクラウンを導入したタクシー会社によって、耐久性と乗り心地の両立はすぐに実証されたのだが、操縦安定性の研究はまだ宿題。

初代クラウンの開発当時には、日本に自動車のテストコースは存在しなかった。ゆえに舗装路の直進中も小刻みなステアリングの修正が必要なハンドリングしか、実現することはできなかったのだ。

対して、15世紀には石畳の舗道をサスペンション付きの馬車が行き来していた欧米では、1854年にフランス、1969年に英国、1970年にアメリカで、アスファルトの舗装道路が登場している。1986年にドイツで自動車が発明されたときには、すでに走りを追求できる環境が整っていたのである。

ストラット初採用車、 フォード・コンサル(1951)

当時GMに在籍していた自動車技術者マクファーソンが考案。しかしGMでは軽んじられ、彼がフォードに移籍したのち、英国フォードの1.5L級セダン「コンサル」に初めて採用された。コンパクトで安価な同方式は瞬く間に世界中に広まった。

ハイドロニューマチックサスペンション シトロエン・DS19(1955)

1955年のパリモーターショーに出品されたDS。その独創的な窒素ガスを媒介とする油圧サスペンションは、車高の制御も可能。ふわふわとした乗り心地は「魔法の絨毯」とも形容された。2017年のC5生産終了まで同システムは長く愛された。

初代クラウンに採用されたWウイッシュボーンサスは、、極悪路でも壊れないことは確認されたものの、可動部分へのこまめな給脂が不可欠だった

初代クラウンのダブルウィッシュボーンサスペンションは、極悪路でも壊れないことは確認されたものの、可動部分へのこまめな給脂が不可欠だった。当時のサスペンションの関節部分は、今日のようなゴムブッシュによる支持ではなく、トラック譲りの金属製のジョイント。

潤滑油が切れればギシギシと異音を発して、激しくオーナーにグリスアップを促した。1963年に登場した2代目スカイラインは足回りの給脂間隔を3万㎞として、画期的なメンテナンスフリー性と評されたが、まだ今日のような無給脂は不可能。それが実現されるのは、耐久性の高い合成ゴムのブッシュが登場してくる1960年代後半からだ。

戦後しばらくしても自動車産業の主流はトラック。数少ない乗用車にもトラック譲りの頑強で硬い足が流用された。トヨペットSAで国産初の四輪独立懸架を採用したトヨタは、続くクラウンにも乗り心地重視のコイルバネやダブルウィッシュボーン独立懸架を採用。国産車の足は重い荷物から、運転するドライバーや同乗する家族など人を優先するものへと変わっていった。

独立懸架はSAでの経験もあり、信頼性も高かった前輪ダブルウィッシュボーン・コイルスプリング を採用。最前部には横揺れを防ぐためのトーションバー式のスタビライザーが付けられている。

後輪は耐久性のある3枚組みの半楕円リーフスプリング。筒型単筒式のショックアブソーバーは横揺れも防止できるようハの字型に取り付けられた。

高度経済成長とともにタイヤの進化と相まって、快適性と操縦安定性を両立させたサスペンションへと近づいていく

それでも、1960〜1970年代の高度経済成長時代を通して素材も技術も資金力も大きく伸ばした日本車は、タイヤの進化とも相まって、快適性と操縦安定性を両立させたサスペンションの実現に近づいていく。

レーシングカー譲りの4輪ダブルウィッシュボーンを奢ったトヨタ2000GTや、BMWが多くのパテントを持つセミトレーリングアーム式リヤサスに挑んだブルーバードなどの凝ったメカニズムだけでなく、トーションバーを巧みに使ったスバル360や、コンパクトで信頼性も高いマクファーソンストラット式を前輪に初めて採用した初代カローラなど、実用車の足回りにも多くのチャレンジが日々なされていたのだ。とはいえ、この時代の国産車の足回りは、形式にかかわらずまだ完成度は外国車に及ばなかった。

贅を尽くした四輪ダブルウィッシュボーン/トヨタ2000GT

1960年代初頭はスカイラインGTの活躍など、国内レースが大いに盛り上がった頃。必ずしもレース活動に熱心とは言えなかったトヨタが、世界の一流と伍して戦うための国際GTカテゴリーの規定を満たすスポーツカーとして開発したのが2000GT。当時F1参戦に向け動き出したホンダに対し、トヨタの最終目標はル・マンだった。そのため直6DOHCエンジンや4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションなどの贅沢なメカニズムは、計画の初期段階から採用が決定していたという。

4輪にダブルウィッシュボーン・コイルスプリングの独立懸架を採用。コーナリング性能を上げるためにリヤにもスタビライザーを装備した。

得意の電子制御により、メカニズム的には世界と肩を並べたが、まだまだ経験値が不足していた

日本の悪路がワトキンス調査団に指弾されていたころ、すでに欧米では高速道路網が着々と整備され、アウトバーンでは老若男女が全開走行をしていたのだ。開発側、ユーザー側双方の経験値の不足はいかんともしがたい差だった。

高速安定性を高めればハンドルが重いとクレームが付き、乗り心地に振れば曲がらないと怒られる。メーカーの開発者も、直進性とハンドリングを両立させるアライメントの適値すら掴めていないのだから、それも当然だった。

まして1970年代から本格的な開発と普及が始まった前輪駆動車のサスペンションに至っては、基礎的な運動特性のデータすら白紙から取らねばならなかった。

コーナリング中のアクセルオンでアンダーステアが強まるのも、アクセルオフによる荷重移動で急激な姿勢変化のタックインが起きるのも初体験だ。高性能と未熟なサスペンションは最凶タッグ。それに起因する事故が多発したホンダN360が、欠陥車呼ばわりされたのも致し方なかった。

時には痛い思いをしながらも、持ち前の勤勉さでデータを積み重ねた日本車のサスペンションは、得意の電子制御も取り入れて、1980年代前半にはメカニズム的には世界と肩を並べた。しかしそれを使いこなし、世界に通用する走りに昇華させるために必要だったのは、やはり経験値だった。

1970年代には各メーカーが自前のテストコースを完備していたが、オーバルコースと定常円旋回場程度しかないそこでできる走りは、パターン化されたものでしかない。

世界を出し抜いたエレクトロニクスの足回り/ソアラ(初代)

欧米車に負けない大人のための国産GTカーとして登場したソアラ。その大きな特徴がカーエレクトロニクスの積極採用で、デジタルメーターやタッチパネル式のオートエアコンのほか世界初の電子制御式サスペンション(ダンパーの減衰力を2段階3モードに制御)も採用された。

よいサスペンションの決め手はメカニズムだけではなく、どんな走りの味を目指すのかという、開発者のセンスと経験だった

モータースポーツのフィードバックもあったが、サーキットを速く走れる足が、市販車でもベストなわけではないのは当然だ。ところが、当時の自動車雑誌は新車のカタログに並ぶ数値性能が高いほど持て囃し、スポーティなモデルと見ればサーキットに持ち込んでラップタイムで優劣をつけるような記事で、ユーザーをミスリードしていたのだった。

しかし、1980年代も後半になると、メーカーは世界を知ることの重要性に気づく。それまでは海外向けのモデルも国内でセッティングしていたが、バブル景気に向かって潤沢な資金を得たこの時期には、テストドライバーや技術者を海外に派遣して開発したり、現地に駐在させて市場が求める走りを研究するといった、“人への投資”が盛んに行われるようになったのだ。

当時のスカイラインGT-RやNSXといった高性能車がドイツのニュルブルクリンクサーキットで足を仕上げたことはよく知られているが、それ以上に、たとえ実用車であっても、世界では走りの質、ひいてはサスペンションの味付けに個性が求められていることを開発陣が肌で知ったことが、市販車の進化を促したのだった。

コーナリングの敵と見なされていたロールも、きちんと制御すれば旋回力を引き出したり、車両の姿勢をドライバーに適切に伝えて安心感のある走りとするために有用であること。料理の味付けに甘い、辛いでは語れない旨味が存在するように、足回りにも硬い、柔らかいの次元とは異なる、心地いい味わいが存在すること。

そうした世界の“走りの文化”を作り手が知り、ユーザーやジャーナリストにも海外経験者が増えて、日本の市場全体の目が肥えたことで、ユーノスロードスターのような速さではなく、味わいを武器とするスポーツカーも生まれる土壌がやっと出来上がったのだ。

よいサスペンションの決め手は凝った構造や、高度な電子制御だけではない。どんな走りの味を目指すのかという、開発者のセンスと経験だったのである。

世界一を目指した操縦性と高速安定性/スカイラインR32

「1990年までに技術で世界一を目指す」そんな日産901運動の成果のひとつが四輪マルチリンクサスペンション。スカイラインは当初前輪ストラットで開発が進んでいたが、901運動の最重要車ということでマルチリンクに変更。復活したGT-Rはそんな世界最高水準の足にも支えられ、国内ツーリングカーレースで無敵の活躍を繰り広げた。

R3 2の前輪サスペンション。アッパーリンクとロアリンクに第3のリンクを加えマルチリンクとすることで、直進性と限界コーナーの安定性を両立させた。

R32の後輪マルチリンクサスペンション。アッパーアームはIアームで分割され、コーナリング中でもタイヤが直立するように工夫されている。

※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。