日本初のフルモノコック構造を採用した革新的なクルマでありながら「幻」となった名車。その実績はは、後に国民的名車を生み出す原点となった。│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

日本初のフルモノコック構造を採用した革新的なクルマでありながら「幻」となった名車。その実績はは、後に国民的名車を生み出す原点となった。

日本初のフルモノコック構造を採用した革新的なクルマでありながら「幻」となった名車。その実績はは、後に国民的名車を生み出す原点となった。

1950年代初頭、航空機製造を禁じられた技術者たちが「日本人のための真の乗用車」を目指し、その持てる技術のすべてを注ぎ込んだ車があった。それがスバル1500、開発コード「P-1」。日本初のフルモノコック構造が生んだ圧倒的な走行性能は、当時のプロドライバーたちを驚嘆させながらも、資金の壁に阻まれ市販化は露と消えてしまった非運の車であった。しかし、この「幻」に終わった挫折こそが、後のスバル360へと繋がる独自のクルマづくりの原点となったのだ

●文:月刊自家用車編集部

P-1(すばる1500)

国産初のフルモノコックボディを採用するなど当時としては先進の技術に多くトライしたクルマだった。また、国産車らしからぬ垢抜けたデザインが特徴的であった。

現在の社名の原点ともなった幻の名車

P-1の制作は1951年頃、中島飛行機を母体とする富士精密工業の直4エンジンを搭載した乗用車を、富士自動車工業をはじめとする複数の会社の合同で始まった。とはいっても、開発に携わる技術者はいずれも自動車制作経験のないゼロからのスタート。紆余曲折を経て、航空機譲りのフルモノコックボディに1500㏄エンジンのFRで6人乗りの4ドアセダンという骨格が固まり、計画が進められる中、なんとエンジン供給メーカーであった富士精密がプリンス自動車と合併してしまったのだ。

これにより搭載するはずだったエンジンが使えなくなった。にもかかわらず、計画はとん挫することなく、グループの大宮富士工業の主導で独自エンジンを新開発する方向に転換。そして、1955年、参加6社の合併で富士重工業が誕生する直前に、新開発エンジンを搭載した試作車も完成したのだった。

P-1はこうした入り組んだ開発の経緯から、二種類のエンジンを搭載した試作車が10台以上存在し、中にはモニターを兼ねてタクシー会社や自家用車として供用される車両もあったという。前輪にダブルウィッシュボーン式の独立懸架を採用。当時の競合車(トヨペット・スーパーなど)がリーフリジッド(板バネ)だったのに対し、圧倒的な走行安定性とソフトな乗り心地を実現し、実際、タクシー会社での実用テストでも「雲の上の乗り心地」「外車並みの乗り心地」と絶賛されたのだ。

富士重工業に開発が引き継がれたP-1は、この6車合併を象徴して「すばる」と命名され、自動車技術会による性能調査でも高い評価を得るなど、量産市販が期待されたが、生産設備や販売網作りに莫大な資金を要することから、最終的に経営判断で市販はおろか計画そのものが見送られることになった。

ただ、日本で初めて採用されたフルモノコックボディをはじめとする当時の先進技術へのトライや開発プロセスで培われたその技術とスタッフの自信は、後にスバル360という形で結実することとなる。P-1=スバル1500が幻の名車と言われる所以である。

試作車とは言いながら実際に登録されて公道を走った個体もあるモデルだけに細部まで完成度は高い。

【主要諸元】
●全長:4235mm ●全幅:1670mm ●全高:1520mm ●エンジン種類:直列4気筒OHV ●総排気量:1485cc ●最高出力&最大トルク:55PS/11.0kg-m

インパネ周りは、すっきりとしたデザインとなり、大型車並みの大径ステアリングを採用した。

中央に配されたスピードメーターは120㎞/hまで刻まれる。

FRなのでフロアトンネルの張り出しはあるものの、前3名+後3名の6人乗車というシート設定。

ボンネットは凝った構造のヒンジで開閉し、固定用のスタンドは別体の太いパイプを用いる。エンジンは、大宮富士工業が独自に開発したL4-1型4気筒OHVエンジンが搭載された。

トランク内に設置された予備タイヤのホイールにも同色のカラーリングが施された。

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