
1965年に登場し、「ヨタハチ」の愛称で親しまれたトヨタスポーツ800。日本の自動車史に燦然と輝く軽量スポーツカーの傑作だ。大衆車パブリカのコンポーネンツを流用しながら、飛行機設計のノウハウを活かした超軽量アルミボディと、徹底した空力デザインを採用。わずか45馬力の800cc空冷水平対向エンジンでありながら、最高速度155km/hの俊足を発揮した。モータースポーツシーンでも活躍し、半世紀以上が経った今も、「機能美と走りの楽しさ」を実現した国産スポーツの原点として、いまだに世界中のファンに愛され続けている。
●文:横田晃(月刊自家用車編集部)
パブリカ(初代)
トヨタスポーツ800の源流がこの初代パブリカ(UP10型)。1961年の初期型の最高出力は28馬力、車両重量は奇しくもヨタハチと同じ580㎏ 。
1964年10月の第11回東京モーターショーに展示されたパブリカスポーツ第2次試作車では、ほぼ市販のヨタハチのスタイルとなっていた。ただしエンジンは700㏄ 。このショーで車名の公募も行なわれている。
徹底的なコストダウンの末、誕生したパブリカだったが、あまりにも質素すぎたためユーザーに響くことはなかった
全力で取り組んだ仕事の成果が、思ったように出ないことがある。渾身の新企画が、上司に理解してもらえないことも。やけ酒をあおって「どうしてわかってくれないんだ」と悔し涙を流した経験を持つ人は、少なくないだろう。トヨタで初代パブリカを開発し、のちに世界的ベストセラーとなるカローラを生む長谷川龍雄主査が、パブリカの発売後に味わっていたのもそんな苦境だった。
1955年に明らかになった通産省(現・経済産業省)の国民車構想以前から開発に着手していたパブリカは、当初は500㏄ のエンジンを積み、トヨタ初の前輪駆動方式で開発が進められていた。しかし、市販型の開発責任者に任命された長谷川は、当時建設が始まっていた高速道路を余裕を持って走行するために、空冷水平対向エンジンの排気量を700㏄ に拡大。技術的に未完成だった前輪駆動を諦め、オーソドックスなFR方式として発売にこぎつけた。
それでも、当時考えられる限りの理想を追求し、庶民にも手の届く価格を目指してコストダウンを徹底。1961年6月の発売時点では、大衆車の決定版と喧伝されていた。ところが、残念ながらそれは思ったほど売れなかったのだ。
軽自動車並みの価格を実現するために、モールなどの飾りを最低限に抑えた外観は、庶民のマイカーへの憧れを満たすには質素に過ぎた。必要最低限の装備しかない室内も同様だ。似たような予算なら、パブリカに対抗するために豪華な内外装が与えられた軽自動車の方が、当時の人々には魅力的な選択肢に映ったのである。
その反省から、デラックス仕様やコンバーチブルなどのバリエーションを開発投入する一方、長谷川はより上級のコードネーム179Aと呼ぶ新型車の商品企画を会社に提案する。しかし、それはあっさりと蹴られてしまったのだ。
長谷川の企画した1Lクラスの新型車=カローラは、上級過ぎて既存のコロナと共食いになる。それよりも次期パブリカをもう少し上級移行することを考えよというのが、経営陣からの回答だった。そこで長谷川が腐っていたら、カローラはこの世に誕生していなかった。諦めきれない彼は当時のトヨタ自動車販売の神谷正太郎社長に直談判して、企画を通す。最初の提案が経営会議で蹴られたのが、1964年春。そして大逆転でカローラ専用の高岡工場の建設が決まったのが1965 年春のことだ。そのてんてこ舞いの最中となる1965年4月に発売されたのが、パブリカから生まれたスポーツカー、トヨタスポーツ800だった。
当時のオープンスポーツとしては希有なフレームレスのモノコックボディ。リヤピラーは万一の場合のロールバーとしての機能を担う。重いバッテリーを中心近くに載せるなど、重量バランスも考慮した設計だった。
昭和43年3月のマイナーチェンジ以前のモデル。ボディ塗色はセミノールレッドとアメジストシルバーメタリックの2色。ルーフはともにダークグレー。シルバー色には赤のシートが組み合わされた。発売の翌年には若干の値下げが行なわれ、東京地区価格は59万2000円となった。
スポーツ800は、航空機から応用できそうな技術がふんだんに盛り込まれた
パブリカのバリエーションを増やすことで、販売増を目指すことは全社的な方針だったが、その中に最初からスポーツカーが入っていたわけではない。パブリカのボディ上部を切り落とした形のコンバーチブルはともかく、パブリカとは似ても似つかない造形のスポーツ800は、一から型を起こしたまったくのニューボディだ。
パブリカのテコ入れとカローラの企画の煮詰めを同時に進めていた長谷川には、もう一台のクルマを白紙から開発する暇はまったくなかったし、会社としてもそこまでは求めていない。じつはスポーツ800は、そうした正規の事業計画や業務命令とは違うプロセスから始まった企画だった。
長谷川は、東京帝国大学(現・東京大学)航空学科卒で、戦時中は立川飛行機に在籍。20代の若さで高高度迎撃機キ-94の設計主任を務めた俊英だ。戦後の自動車産業には、彼のように大空を目指しながら、敗戦で翼をもがれた航空機エンジニアが数多くいた。
パブリカの販売不振という鬱屈を抱えながらテコ入れ策に駆け回る中、長谷川はトヨタ車の開発・生産受託などを手がけていた関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)で、同じ航空機エンジニア出身の幹部と意気投合する。
戦争の是非はともかく、軍からの潤沢な予算で理想の航空機開発に邁進できた時代を懐かしく振り返るうちに、航空機技術をクルマにいかに盛り込むかという実験的な挑戦に話が及んだのだ。
燃費と運動性能を両立させるための空力特性の追求。軽く、丈夫な機体を造るための構造や素材。欧米と比べるとまだまだよちよち歩きだった当時の日本のクルマ造りには、航空機から応用できそうな技術がたくさんあった。
そうした技術の実験台として、彼はパブリカのメカニズムを使ったスポーツカーの企画を思いつき、それを関東自動車工業が中心となって開発・試作するプランを会社に認めさせたのだ。もちろん、長谷川は仕事の合間を縫っては開発現場に顔を出し、さまざまなアイデアを出しながら、小さなスポーツカーの開発を楽しんだ。
そうして完成した、航空機のようなキャノピーを備えた試作車をパブリカスポーツの名で1962年の全日本自動車ショーに出品すると、大きな反響を呼んだ。当初は純粋に実験車だったが、営業サイドからの要望もあり、その市販化はとんとん拍子に決まる。ただし、長谷川はパブリカの名を冠することはせず、トヨタスポーツ800の名で、1965年4月に発売されたのだった。
前期型スポーツ800(1965年)
メタル調のパネルに丸型の計器類が埋め込まれたレーシーなインパネ。空冷エンジンのため水温計はない。
車高はホンダSに比べて低く、着座は地上のすぐ上といった感じだった。大きく開くドアのためトップをつけた状態でも乗降性は悪くはなかった。
基本的にはパブリカ用をツインキャブ化したエンジンでホンダのように凝ったものではない。車高の低さはこの水平対向エンジンも一役買っている。
エンジンはパブリカのU型水平対向2気筒697㏄ エンジンをボアアップし、ツインキャブを装着した2U型790㏄ を搭載。最高出力はわずか45馬力。大パワーをウリにするそれまでのスポーツカーとは違い、その燃費の良さも自慢とした。ちなみにトヨタスポーツ800は3131台が生産され、そのうち428台が沖縄(当時は米国)などに輸出されているが、エンジンは2U型のままである。
後期型スポーツ800(1968年)
後期型に追加されたジルコン・ブルーメタリックの塗色。グリルデザインの変更のほか、ターンシグナルランプはホワイトからイエローへ、またスイッチ類を絵入りのものにするなどの変更が施された。
パブリカスポーツ(開発コード145A)
トヨタスポーツ800の出発点となったパブリカスポーツ(開発コード145A=開発初期の関東自工での名称)は、大衆車パブリカの部品を使って、いかにして最大限の性能を発揮できるかをテーマとした壮大なる実験車両だった。開発主査の長谷川龍雄氏は、その航空機技術者としての経験から、徹底した軽量化と空気抵抗の低減に取り組み、1962年の全日本自動車ショーに同車を参考出品させる。フロアパネルを2重にしたサンドウィッチ構造、丸みを帯びた曲面ボディは複数のデザインスケッチの中から、戦闘機さながらのスライドキャノピー案が採用された。ちなみに長谷川氏はパブリカスポーツ以前、1957年にもFRPボディで飛行機のようなデザインの2人乗りスポーツカー「23A」という研究実験車を手がけている。
レースシーンで証明された「トヨタスポーツ800の機敏なハンドリングと驚くべき低燃費」
パブリカ用の空冷水平対向2気筒エンジンを800㏄ まで拡大し、ツインキャブを与えたエンジンは、当時のグロス表示で45PS。DOHC4気筒という当時としては驚異的なハイメカニズムを誇ったライバル、ホンダS600の57PSや、その後継モデルとなるS800の70PSと比べると、大人と子供ほども違うスペックだ。
しかし、長谷川が持てる航空機技術を駆使して作り上げたわずか580㎏ という軽量コンパクトな空力ボディは、トヨタスポーツ800に機敏なハンドリングと驚くべき低燃費を与えていた。それを証明して見せたのが、1965年7月に船橋サーキットで開催され第一回全日本自動車クラブ選手権レースでの初優勝だ。トータルで1時間足らずのこのレースで、トヨタの準ワークスチームと言えるTMSC(トヨタ・モータースポーツクラブ)から参戦した浮谷東次郎選手の駆るスポーツ800は、6週目に生沢徹選手のS600との接触でピットイン。最後尾に沈みながら、タイトコーナーの続く船橋のコースで目の覚めるような走りを見せ、25周目にトップへと返り咲くと、そのままチェッカーを受けたのだ。
残念ながら浮谷東次郎選手はそのわずか1か月後に、鈴鹿での練習中に無念の死を遂げている。しかし、スポーツ800のレースでの快進撃はその後も続いた。翌1966年1月に開催された日本初の耐久レース、鈴鹿500㎞ には、スポーツ800は特製の69Lガソリンタンクを搭載して出走。ライバルのホンダSが給油やエンジントラブルでもたつくのを尻目に、無給油、ノートラブルで4時間11分45秒7でを走り抜き、総合で1-2位を占めた。排気量やパワーでははるかに格上のスカイライン2000GTやロータス・エラン、フェアレディなどを退けての完全優勝だ。しかも、燃料タンクにはまだ10L近いガソリンが残っていたという。ノーマルでは最高155㎞/hという性能とはいえ、専用セッティングを施したレースでの全開走行でも、リッター10㎞ 近い燃費を叩き出して500㎞ を走り抜いたのだ。
ちなみに、この時優勝したカーナンバー2番のスポーツ800のドライバー細谷四方洋選手は、当時まさに開発が進められていた、かのトヨタ2000GTの開発ドライバーも務めた人物だ。
スポーツカーの価値は、最高出力や最高速では決まらない。スポーツ800で長谷川が示したその真実は、それから半世紀を経た現代でも、トヨタ86やマツダロードスターに受け継がれている。
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