
「R」の称号が与えられた孤高のスパルタンモデルは、日産に吸収合併されたプリンス自動車の技術者たちが遺した“忘れ形見”だった。日本のライトウェイトスポーツカーの元祖として、今なお語り継がれる伝説の名車を振り返る。
●文:月刊自家用車編集部
技術の日産としての礎を築いた名車、チェリーの誕生
日産・チェリーは、1966年に日産自動車へと吸収合併された旧プリンス自動車の優秀な技術者たちが中心となり、その情熱と先進技術を注ぎ込んで開発された歴史的なモデルです。日産にとっては初の量産型FF(前輪駆動)方式を採用した記念碑的な車であり、エンジンを横置きに配置し、その直下にトランスミッションを滑り込ませるという極めて独創的なレイアウトを特徴としていました。
特にそのライフ後半に登場した「クーペ」モデルは、それまでの国産車の常識を覆す大胆かつ前衛的なスタイリングで大きな評判を呼び、当時の自動車トレンドに敏感だった若者たちから熱狂的な支持を集めました。
その中でも、初代チェリー(E10型)の本格的なスポーティグレードとして1971年に登場したのが「チェリークーペ X-1」です。走りのパフォーマンスを徹底的に追求したこのグレードは、標準モデルを遥かに凌駕するパワフルなエンジンと、そのハイパワーを路面に伝えるために鍛え上げられた専用の足回りを備えていました。そして1973年、このX-1をベースにさらなる過激なチューンアップを施し、サーキットのDNAを色濃く反映させた究極のスパルタンモデル「X-1・R」が追加されることになるのです。
日産 初代チェリークーペX-1
初代チェリー(E10型)のスポーティグレードとして、1971年に登場。スポーティな走りを追求したグレードで、標準モデルよりもパワフルなエンジンと、それに合わせた足回りが特徴。1973年に追加された「X-1・R」は、このX-1をベースにさらなるチューンアップを施した、よりスパルタンなモデルとなる。
日産 チェリークーペ X-1 E10型(1971年)
王道のFRサニーに対抗すべく、日産初のFF方式を引っ提げて鮮烈デビュー
1970年代という新たな時代の幕開けを前に、世界の自動車界にはヨーロッパを発信源とする前輪駆動(FF)方式の大きな技術革新の波が押し寄せていました。この次世代の潮流をどこよりも敏感に察知し、日産が満を持して市場に送り出した革新児こそが「チェリー」でした。車名は、日本の美を象徴する国花である「桜(チェリー)」に由来しています。
当時の日産のラインナップにおいて、チェリーはベストセラーカーであった小型車「サニー」の下位クラスを担う存在として位置づけられ、主に時代の最先端を行く若年層や、軽自動車からのステップアップを狙うファミリー層をメインターゲットに据えていました。
しかし、ここで一つの課題がありました。当時の日産には、すでにコンパクトカークラスの絶対的王者として、オーソドックスなFR(後輪駆動)方式を採用した「サニー1200」が君臨していたのです。同じ社内でシェアを食い合うことなく、明確な商品性の違いやキャラクターの差別化を打ち出すためにも、チェリーには全く新しいアプローチである「FF方式」の採用が絶対命題となったのです。
1970年代を牽引する理想的な「シビルカー(市民の車)」を目指して開発されたチェリーは、設計コンセプトだけでなく、そのデザインにおいても既成概念にとらわれない大胆さが際立っていました。最大のトピックは、やはりその独創的なFFパッケージングです。エンジンを横置きにマウントし、その真下にトランスミッションを配置するこの構造は、名車ミニなどで知られる「イシゴニス式」と呼ばれるレイアウトを独自に発展させたものでした。これにより、当時の同クラスの車としては驚異的とも言える圧倒的に広いキャビン空間(居住スペース)を確保することに成功したのです。
日産 初代チェリー 4ドアセダン1000GL(1970年)
例えば、1970年に登場した「4ドアセダン 1000GL」を例に挙げると、ホイールベースは2,335mmに達していました。これは格上であるはずの初代サニーの2,280mmよりも55mm以上も長く、トレッド(左右の車輪間の距離)もワイドに設計されていました。その結果、特にリヤシートの居住性はサニーを大きく上回る快適性を実現。さらに、このロングホイールベース化は、コンパクトカーの弱点であったピッチング(前後の揺れ)を抑え、高速走行時の乗り心地の向上にも大きく寄与することとなりました。
初代サニーの2280㎜より50㎜ 以上長い2335㎜のホイールベース。トレッドも広く、リヤシートの居住性はサニーを大きく上回った。ロングホイールベースは乗り心地の向上にも寄与。
日産 初代チェリー 2ドアセダン1000GL(1970年)
また、同時にラインナップされた「2ドアセダン 1000GL」は、4ドアモデルよりも軽量に仕上げられており、よりスポーティなキャラクターが与えられていました。フロントドアは後席への乗り降りのしやすさを徹底的に考慮し、4ドアよりも大幅に大型化された専用設計となっています。一見すると現代のハッチバックのようにも見える個性的なシルエットですが、構造としては4ドア同様に独立したトランクスペースを持つ、こだわりの3ボックススタイルでした。
4ドアよりも軽量でスポーティな立ち位置。フロントドアは後席の乗り降りのしやすさを考え、4ドアのそれに比べて大型化されている。ハッチバック風にも見えるが4ドア同様独立トランクだ。
「カプセルシェイプ」がもたらしたキュートかつ前衛的なエクステリア
チェリーが世に放たれた際のキャッチフレーズは、時代の最先端を行く車にふさわしい「超えてるクルマ」という刺激的なものでした。その言葉通り、スタイリングには「カプセルシェイプ」と名付けられた、丸みを帯びた近未来的なフォルムが採用されました。特にサイドウインドウの後端が、Cピラーに向かって大胆に跳ね上がるように切れ込んだ「アイライン・ウインドウ」は、街中での視線を釘付けにするほどの強烈なインパクトを放ち、デザイン界でも大きな注目を集めました。
デビュー当初のボディバリエーションは、2ドアセダン、4ドアセダン、そして商用も兼ねたバンの3タイプ。そこに搭載されたパワーユニットは、サニーでその優れた基本性能と信頼性が実証されていた直列4気筒OHVの「A10型(988cc)」と「A12型(1,171cc)」の2機種でした。チェリーへの搭載にあたっては、本来はFR用であったこれらのエンジンを大胆にも横置きレイアウトへとコンバートし、その下にトランスミッションを吊り下げるという執念のエンジニアリングが施されています。
A10型。988 ㏄ のシングルキャブ。本来FRのサニーに積まれたこのエンジンをチェリーは横置きに積んでいる。
そして、チェリーの躍進を牽引するイメージリーダーとして君臨したのが、1,171ccのA12型エンジンにSUツインキャブレターを贅沢に装着したスポーツグレード「X-1」でした。このモデルには、スポーティな走りをダイレクトに楽しめるフロアシフトの4速マニュアルトランスミッションが組み合わされ、最高出力80馬力というクラス最高峰のハイパワーを発揮。この軽量かつ高回転型のツインキャブエンジンは、その優れたポテンシャルから、当時のモータースポーツシーンにおける小排気量クラスのレース用ベースエンジンとしても重宝され、数々の栄光を築くことになります。
A12型ツインキャブエンジンは80馬力のハイパワーを発揮。このクラスのレースモデルのベースエンジンとしても使われている。
“R”の称号を戴く「クーペ X-1・R」は、走りを極めた硬派なライトウェイト
チェリーのメカニズムを語る上で外せないのが、フロントにマクファーソンストラット、リヤにセミトレーリングアームを採用した「4輪独立懸架サスペンション」です。当時のFF車特有の強烈なトルクステアやアンダーステアなど、操縦性には独特の「クセ」がありましたが、ひとたびその特性を理解し、手懐けることができれば、ライバルを置き去りにする圧倒的なコーナリングスピードを誇る一線級の速さを持っていました。
日産はチェリーのデビューから約1年が経過した1971年9月、さらなるキャラクターの強化を図るため、プレーンバック・スタイルと呼ばれる非常に個性的なファストバック形状を持つ「3ドアクーペ」を追加投入します。このクーペのボディサイドには、当時の絶対的カリスマであった「スカイライン」のサーフィンラインを彷彿とさせる、力強い「マッハライン」が一閃するように刻まれており、若者たちの心を掴みました。さらに、後席のシートバックを前方に倒すことで、広大なラゲッジスペースが出現するという、高い実用性も兼備していました。
日産 初代チェリー 3ドアクーペGL(1971年)
デビューから約1年後に追加された3ドアクーペ。サーフィンラインのスカイラインと同じように、ボディサイドには力強いマッハラインが一閃。後席シートバックは前方に倒せ、広い荷室を実現した。
そして1973年3月、チェリーの歴史における文字通りの“真打ち”としてベールを脱いだのが、伝説の「クーペ 1200X-1・R」です。
この時代の日産車において、リベット留めされた武骨なオーバーフェンダーと、誇らしげな「R」のエンブレムを奢ることを許されていたのは、最高峰のGT-R(スカイライン)と、このチェリーX-1・Rの2台だけでした。その「R(レーシング/ラリー)」の名が示す通り、このモデルはモータースポーツでの勝利と活躍だけを見据えて開発された、極めてストイックなスパルタンモデルだったのです。
外観上の最大の特徴は、やはり前後のフェンダーに奢られたFRP製のオーバーフェンダーであり、これがコンパクトなボディに凄まじいワイド&ローの迫力を与えていました。ちなみに、市販モデルに設定されたボディカラーは、レーシングスピリットを象徴する「白」のみという、徹底して硬派な割り切りがなされていました。車重はわずか645kgと超軽量で、80馬力のパワーユニットとの組み合わせは、まさに牙を剥くライトウェイトスポーツそのもの。プリンス自動車の技術者たちが、モータースポーツへの情熱を凝縮して造り上げたチェリークーペX-1・Rは、日本の自動車史に今も燦然と輝く、孤高の名車なのです。
日産 初代チェリー クーペ1200 X-1・R(1973年)
クーペX-1をベースに、1973年にラインナップされたスパルタンモデル。「R」の称号が示す通り、モータースポーツでの活躍を視野に入れて開発。リベット留めされたFRP製のオーバーフェンダーを纏って迫力あるスタイルも特徴のひとつ。ちなみに設定されたボディカラーは白のみだった。
【1973年式 チェリークーペ1200 X-1・R 主要諸元】
- 全長×全幅×全高:3690㎜ ×1550 ㎜ ×1310 ㎜
- ホイールベース:2335 ㎜
- トレッド(前/後):1270㎜ /1235㎜
- 車両重量:645㎏
- 乗車定員:5名
- エンジン(A12型):直列4気筒OHVツインキャブ1171㏄
- 最高出力:80PS/6400rpm
- 最大トルク:9.8㎏-m/4400rpm
- 最高速度:160㎞ /h
- 最小回転半径:4.6m
- トランスミッション:4MT
- サスペンション(前/後):マクファーソンストラット独立/トレーリングアーム独立
- ブレーキ(前/後):ディスク/ドラム
- タイヤ:165/70HR13
- 新車当時価格(東京地区):65.0万円
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