フェラーリを手掛けた巨匠・ヴィニャーレが手掛けた「優美なフォルムを纏った和製イタリアン・クラシック」は、ダイハツの乗用車1号モデル⁉︎│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

フェラーリを手掛けた巨匠・ヴィニャーレが手掛けた「優美なフォルムを纏った和製イタリアン・クラシック」は、ダイハツの乗用車1号モデル⁉︎

フェラーリを手掛けた巨匠・ヴィニャーレが手掛けた「優美なフォルムを纏った和製イタリアン・クラシック」は、ダイハツの乗用車1号モデル⁉︎

ダイハツ「コンパーノ」は、1963年から1970年に販売された、ダイハツ工業にとって歴史的な意味を持つ小型乗用車である。かつてオート三輪や商用車の分野で不動の地位を築いていたダイハツが、本格的なモータリゼーションの到来を見据え、四輪乗用車市場へ参入した記念すべき第一号車なのだ。大衆車の代名詞であるカローラやサニーなどが誕生する数年前に登場し、当時の人々に自家用車の夢を抱かせたエポックメイキングな存在だった。

●文:月刊自家用車編集部

当時の日本車としては群を抜いて洗練された美しいスタイリングだったコンパーノ。そのデザインはイタリアのカロッツェリア「ヴィニャーレ」が手がけた。

外観はイタリアのカロッツェリア「ヴィニャーレ」が手がけた。ヨーロピアンテイスト溢れる流麗なデザイン

当時の日本車としては群を抜いて洗練された美しいスタイリングだったコンパーノ。その外観はイタリアのカロッツェリア「ヴィニャーレ」が手がけた。ヨーロピアンテイスト溢れる流麗なラインは「シューティング・ライン」と称され、自動車が単なる移動手段から所有する喜びを満たすものへと変わりつつあった時代に見事にマッチしていた。

シャシーは、当時主流になりつつあったモノコックボディではなく、強固なラダーフレームを採用した。これは、当時ダイハツはもともと「ミゼット」に代表されるオート三輪や小型トラックなど、商用車分野で絶対的な強みを持つメーカーだった。乗用車市場への本格参入にあたり、全く新しいモノコックボディを巨額の投資をしてゼロから開発するよりも、自社が商用車で長年培ってきたラダーフレームの技術と既存の生産ラインを活用するほうが、経営的にも技術的にも現実的かつ確実な選択だったのだ。

1963年にダイハツが初めて世に送り出した乗用車第1号モデル「コンパーノ」。クローズドボディは、ベルリーナと呼ばれた2ドアセダン(4ドアセダンは1965 年に追加)。スパイダーは2年後に登場。

ベルリーナ登場から2年後の1965年に登場したスパイダー。幌は後部座席後方に収容されているものの、乗車定員4名を確保した4座オープンカーだった。

主要データ(F40K型コンパーノ・スパイダー・1966年式) 
●全長×全幅×全高:3795㎜×1445㎜×1350㎜●ホイールベース:2220㎜●車両重量:790㎏●エンジン(FE型):水冷直列4気筒OHV958㏄●最高出力65PS/6500rpm●最大トルク:7.8㎏-m/4500rpm●最高速度:145㎞/h●0-400m加速:18.5秒( 2人乗車)●燃料消費率:21.0㎞/L●燃料タンク容量:30L●トランスミッション:4速MT●最小回転半径:4.5m●タイヤサイズ:前後6.00-12-4PR●乗車定員:4名 ◎新車当時価格:69万1000円

木目パネルに丸型メーターが組み込まれる。ボールナット式ステアリングは、ロックtoロック3.2回転。

シートは合成皮革のデラクール素材。幌は後席後ろに格納されていて、カタログには「幌の脱着はワンタッチ、走行中でも女性でも軽くOK 」とある。

需要が確実に見込める商用車から発売を始め、多様な車種展開へ

また、販売戦略も堅実であった。最初から乗用車専用の設計にするのではなく、まずは需要が確実に見込める商用車の「ライトバン」から発売を始めたのだ。そして同じシャシーを使って、セダンを意味する「ベルリーナ」や、オープンカーの「スパイダー」、さらには「トラック」まで車種展開した。一つの骨格からこれほど多様なバリエーションを生み出し、幅広い客層を取り込めたのは、まさにラダーフレームを採用したからこそである。

コンパーノを語る上で欠かせないのが、1965年に追加されたオープンモデル「コンパーノ・スパイダー」だ。ベルリーナの屋根を取り払い、シャシーを補強したこのモデルは、直列4気筒OHV1000ccエンジンにツインキャブレターを搭載。最高出力65馬力、最高時速145kmをマークするなど、当時のファミリースポーツカーとしては高い走行性能を誇った。

水冷直列4気筒OHV958㏄のFE型エンジン。ツインキャブを装着することで、最高出力65psを発揮。デザインばかりではなく、動力性能、燃費性能ともに十分高かった。

先進的な技術が多数盛り込まれたクルマでもあった

技術面でも先進的な試みが多数盛り込まれた。全段フルシンクロメッシュの4速マニュアルトランスミッションをいち早く採用してスムーズな変速操作を実現した。さらに1967年に追加された1200ccモデルでは、日本の市販乗用車としては初めての機械式燃料噴射システム(インジェクション)搭載モデルを追加し、ダイハツの技術力の高さを世に知らしめたのだ。

しかし、スポーティ志向の強いスパイダーでありながら、その性格はカリカリのピュアスポーツではなく、大人4人が乗車できる余裕のある空間と、優雅なイタリアンデザインを楽しみながら風を切って走る「グランドツーリングカー」としての色合いが濃かったため、多くの文化人や車好きの心を掴んでいた。

ヨーロピアンテイスト溢れる流麗なラインは「シューティング・ライン」謳い文句だったコンパーノ。さまざまな車種展開するなかで、オープンモデルのスパイダーは、その優雅さを際立たせていた。

当時、自動車の本場であった英国に、日本車として初めて正規輸出されたのはコンパーノだった

実は、自動車の本場であったイギリスに初めて正規輸出された日本車は、トヨタでも日産でもなく、このダイハツ・コンパーノだったのだ。1964年のロンドン・モーターショーに出品されたコンパーノは、翌1965年からイギリスでの販売を開始する。自動車先進国であり、目の肥えた消費者が多いイギリス市場において、イタリアの著名な工房「ヴィニャーレ」が手がけたヨーロピアンな外観は大きな武器となったのである。加えて、商用車譲りの強固なラダーフレームによる高い耐久性が評価され信頼を得るにいたった。さらに日本と同様、右ハンドル国であるイギリスとの親和性も高く、日本の自動車産業が世界へ羽ばたくための重要な試金石となったクルマでもある。

しかし、先進技術と秀逸なデザインを併せ持ったコンパーノだったが、小型車市場の激しい販売競争の波に揉まれ、後継車種の「コンソルテ」に道を譲る形で1970年に生産を終了することになる。

1964年の東京オリンピック聖火コース走破車としても活躍したコンパーノベルリーナ2ドアセダン。

※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。