「正気の沙汰じゃない! レブリミッター9000回転の咆哮」ホンダが27年前に本気で作った『公道を走るF1』、 S2000のヤバすぎる実力│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「正気の沙汰じゃない! レブリミッター9000回転の咆哮」ホンダが27年前に本気で作った『公道を走るF1』、 S2000のヤバすぎる実力

「正気の沙汰じゃない! レブリミッター9000回転の咆哮」ホンダが27年前に本気で作った『公道を走るF1』、 S2000のヤバすぎる実力

1995年の東京モーターショーに出品されたコンセプトモデル「SSM」(スポーツ・スタディ・モデル)。その反響は大きく、ホンダは1999年、創業50周年を飾る記念モデルとしてピュアスポーツS2000を発売する。クリエイティブムーバー、JムーバーとRV色の濃いクルマが多かったそのころのホンダが、29年ぶりに放ったS500の再来とも言えるFRオープン2シーター。プラットフォームやエンジン、ミッションなど、その多くが専用設計。なんと2.0ℓ直列4気筒DOHCはリッターあたり125PS、レブリミットは9000回転で、F1に迫るピストンスピードを誇っていた。世界最高水準のパフォーマンスを考えると338万円という価格はバーゲンプライスそのものだったが、国内販売台数は10年間で2万1000台あまり(世界累計販売台数は約11万台)。希少性といまなお色あせない完成度の高さで、中古車市場では1000万円を超えるモデルもあるという。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

SSM(1995年東京モーターショー出品車両)

S2000の出発点となったSSM。ヘッドライトは地をはうように低い。ボディはS2000より小さく5ナンバーサイズ枠に収まっていた。

ホンダファンに差し出された究極の挑戦状

数えきれないほどの自動車エンジニアを取材してきて思うのは、幸せそうな仕事だなあということだ。多くはクルマが大好きで自動車メーカーに入社したのだろうから、その時点でやりたい仕事をしているわけだが、巨額の投資を伴う自動車という商品の開発は、大人の事情の塊のようなもの。楽しい事ばかりではないだろう。

それでも、たとえ地味な実用車でも、ジャーナリストに自身の作品の出来栄えを語る開発者たちの表情は、父になりたての若者のような幸せに満ちている。ましてスポーツカーを手掛けられれば本望に違いない。ホンダの上原繁氏は、それを3回も味わった幸せ者だ。

現役時代の彼の代表作は、1989年に発表(発売は1990年)されたNSX、1995年発売のインテグラタイプR、そしてホンダ創立50周年を記念して1998年に発表され、1999年に発売されたS2000。それぞれMR(ミッドシップ)、FF、FRという異なるレイアウトのピュアスポーツカーを世に送り出し、世界から喝采を浴びたのだ。

定年退職後のインタビューで彼は、現役時代を振り返り、「本当に幸せなエンジニア人生でした」と満足そうに微笑んだものだ。

スポーツカーという商品企画は実に難しい。セダンならロングドライブでも快適で疲れないとか、商用バンならしっかり積めて経済的といった、比較的分かりやすい指標がある。しかし、スポーツカーにはそれがないのだ。

高性能に越したことはないが、速さが正義のレーシングカーとは異なる。そもそもスポーツカーの「スポーツ」には、娯楽や気晴らしといった意味がある。すなわちスポーツカーとは、乗り手を楽しませるものなのだ。その価値は速さなどの数値だけでなく、いかに楽しませるかという、数値にならない個性や感覚で表現するしかない。

1971年の入社以来、車両の運動特性の研究をしてきた上原氏は、NSXでは乗り手に我慢を強いない、快適なミッドシップスーパーカーを提案した。インテグラタイプRでは、「FFではピュアスポーツカーは成立しない」という当時のクルマ好きの通説に真っ向から挑み、サーキットでFRスポーツをぶっちぎる走りを見せた。

そしてS2000では、1962年に生まれたホンダ4輪車の原点、S500を現代に蘇らせたようなオープン2シーターに、先行するどのメーカーとも異なるホンダらしさを詰め込んで、口うるさいクルマ好きの前に差し出したのだ。

それは穏やかな彼の物腰とは裏腹な、過激な挑戦状でもあった。

S2000は当初、NSX生産で知られる栃木県・高根沢工場の熟練工によって作られていたが、輸出モデル生産開始などの理由で、わずか1か月で鈴鹿工場に移管された。高根沢モデルは約200台と希少なのだ。

ハイXボーンフレーム構造

S2000開発の第一目標がクローズドボディ同等の剛性と衝突安全性。フロアトンネルをメインフレームに、その高さにサイドメンバーをX状に連結したハイXボーンフレーム構造により、かなり重量は重くなったが、ハンドリングと安全性はオープンカーの水準を超えている。

前後重量配分50:50

フロントミッドシップを売り物にするクルマは多いが、エンジンがまるまる前軸の後ろなのはS2000くらい。燃料タンクやスペアタイヤも後軸より前に設置。

他社のオープンカーにはない超高回転エンジンなど最先端の走りのテクノロジー

自動車の開発では、市場のライバルや過去の類似モデルをベンチマーク(比較対象)として、どこを直し、伸ばし、捨てるのかを考えていくのが定石だ。

正解のないスポーツカーの企画でもそれは同じ。もはや消滅したと言われていたライト級オープン2シーターの市場を復活させたユーノスロードスターも、ロータスエランなどの過去の類似企画を意識しながら開発されている。

その後を追ったメルセデス・ベンツSLKやBMW Z3も同様だが、高級ブランドたる彼らには、自社の統一された味付けという財産があった。長い歴史で確立された、日本車とは異なるエンジンや足回りの味わい自体が、彼らの「スポーツ」の原点だ。

その点、S2000が表現すべきホンダのスポーツカーの原点も明確だった。最先端のモータースポーツで磨き上げた技術と味を、市販車で再現すればいい。

2輪車メーカーとしてよちよち歩きを始めてまもなく英国のマン島TTTレースに挑み、4輪車への進出を宣言するや、世界最高峰のF1に挑んだ。その歴史を走りに凝縮すれば、すなわちホンダのスポーツカーになったのだ。

S2000の4気筒2Lエンジンは、まさしくレーシングカーのようにカーンと9000回転まで快音を発して回った。それは、レーシングエンジン直系のニードルベアリングなどの技術を奢って、海外では「時計のように精密」と評されたS500にも通じる。

エンジンを完全に前車軸後方に積み、50:50の理想的な重量配分を実現させたFRシャシーの味付けも、MRとFFで世界最高峰のハンドリングを実現させた上原氏には得意分野。オープンでも高いボディ剛性と衝突安全性能を両立させる独自の車体構造も、創意工夫を伝統とするホンダイズムのショーケースとなった。

先行するユーノスロードスター、SLKやZ3は、古き良き時代のオープン2シーターを意識したテイストが与えられていたが、常に最新、最先端を目指してきたホンダはその逆のテイストで勝負した。

乗員の肩が出る低いウエストラインで、ヒジをドアに載せるのが似合うユーノスロードスターに対して、S2000は低い着座位置と高めのウエストラインで乗員を包み込む、フォーミュラカーを思わせるポジションを取る。

一部からは味気ないと不評だったデジタルメーターも、当時はフルワークス体制による3期目の参戦を目指していた最新ホンダF1マシン譲りの、正当なるアイデンティティだったのである。

モノグレードで始まったS2000 。当初はボディカラーも6色、シートもブラックとオプションのレッド(本革)の2色のみだった。

主要諸元 S2000(1999年式) 
●全長×全幅×全高:4135㎜ ×1750㎜ ×1285㎜ ●ホイールベース:2400㎜ ●車両重量:1240㎏ ●乗車定員:2名●エンジン(F20C型):直列4気筒DOHC1997㏄チェーン駆動16バルブ●最高出力:250PS/8300rpm●最大トルク:22.2㎏ ・m/7500rpm●使用燃料:無鉛プレミアム ●10・15モード燃費:12.0㎞ /L●最小回転半径:5.4m●燃料タンク容量:50L●トランスミッション:6速マニュアル●サスペンション(前・後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架●タイヤ(前・後):205/55R 89V・225/50R16 92V  ○価格(東京地区):338万円

フォーミュラカーや戦闘機のように、運転に必要な機能のすべてがドライバーを包み込むように配置されており、助手席側にはスイッチ類が一切ないストイックなレイアウトが特徴

標準仕様の合成皮革/ファブリックのコンビシート。オプションの本革と形状の違いはない

ダッシュボードを低く抑える目的もあって採用されたというデジタルメーター。写真は初期モデルのもの。2003年10月以降は水温計と燃料計が半円形になるなどデザインが変更された。

エンジンONは、イグニッションをひねり、かつインパネ右下のスタートボタンを押す2段階式。またクラッチを踏まないとエンジンがかからない安全機能も備えている。

エンジンヘッドの改良やカムチェーン駆動の採用により、従来のVTECエンジンより小型化に成功。また超高回転技術導入で、5850 ~ 9000rpmという広い回転域がハイバルブタイミング域となった。

BEVやFCVになった未来のホンダ車にも愉しい乗り物でいてほしい

そうして最新のホンダらしさを満載したS2000は、当然の結果としてややマニアックなクルマになった。ATで海辺を流すデートカーとしても人気を呼んだユーノスロードスターに対して、形状とタッチにとことんこだわったアルミ削り出しのシフトノブを持つ6速MTしか用意されない時点で、それは誰にでも分かっただろう。

2LのNAから250PSを絞り出すエンジン特性も、MTを的確に操り、高回転を維持して初めて本来の魅力を味わえる。4000回転も回せば踏んだ気になる街乗りドライバーには、猫に小判の諺そのものだったのだ。

それでも、腕に覚えのある走り好きにとって、S2000は最高の相棒と言える一台だった。とくに2005年のマイナーで排気量を2.2Lに拡大し、低回転域での扱いやすさを高めてからのモデルは、公道ではまさにベストスポーツカーと言えた。

中でも北海道の鷹栖テストコースでワインディングの走りを鍛え上げ、2007年に加えられた「鷹栖スペシャル」ことTypeSの出来栄えは素晴らしかった。出来のいいVSA(横滑り制御システム)と相まって、FRスポーツらしい機敏で自在なハンドリングと、固めながら決して不快ではない、懐の深いスポーツカーの乗り味が、見事に両立されていた。

誰にでも分かりやすく、たくさん売れるマスプロダクション商品としては、S2000は失敗作だったのかもしれない。しかし、作り手の想いが余すところなく表現された、乗り手との幸せな関係が築けるコレクターズアイテムとしては、これ以上の作品はない。上原さんに脱帽だ。

ホンダの創立50周年を記念したS2000は、たしかにS500に始まるホンダスポーツのDNAを受け継ぐモデルだった。もっと言えば、それはN360やシティにビート、さらにS660にも連なる、ファンが愛するヤンチャなホンダらしさの集大成だった。

クルマは工業製品だが、それはメーカーの歴史と文化の上に、人の手で創り出されるからこそ、愛でるべき個性が生まれる。だから3種類ものスポーツカーを生み出した上原氏は、世界中に存在するそれらのファンクラブの催しに呼ばれて駆け回る、幸せなリタイヤ後の人生を楽しんでいた。

願わくば、未来のホンダ車がエンジンを持たないBEVやFCVになっても、人間味溢れる乗り物であり続けて欲しいと思う。デザインや走りや乗り味やたたずまいに、作り手の想いを感じ取れる「最高のオモチャ」であって欲しい。

オープンカーはボディ剛性が低くなりがちというのが一般的な認識。S2000は爽快なオープンエア走行が楽しめる数少ないリアルスポーツカーだ。

ソフトトップはイタリアのピニンファリーナの協力で開発された。ルーフ左右にあるロックを外し、ハザードスイッチ横のボタンを押せば6秒でフルオープンへ。リヤウインドウは透明樹脂(2001年モデル以降はガラス製に格上げ)。

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