今日の日本の道路は、地方の山間部に至るまで舗装が行き届き、高速道路や幹線国道の路面は、まるで鏡の表面を走っているかのように滑らかだ。しかし、それが実現されたのは比較的近年のこと。クルマの進化と同様に、日本ならではの努力と工夫から生まれた高い技術が息づく舗装の歴史を振り返ってみよう。
●文:横田晃(月刊自家用車編集部)
舗装のいろいろ
■石畳/ブロック/レンガ
早くから車輪を使った交通手段が使われていた欧米で、最初に普及した舗装は石畳。重交通には向かないが、景観に優れることもあり、ブロックやレンガなどに素材を変えて、今も適材適所で使われている。
■土系舗装
土むき出しの路面は、乾けば埃、降ればぬかるむ未整備道路の象徴だったが、近年では、バインダーで固めた土系の舗装が歩行者に優しい舗装として旧街道などに使われている。写真は旧日光街道の杉並木。
■アスファルト
石油の副産物であるアスファルトは、施工や補修がしやすいことから舗装の主役となった。骨材と呼ばれる砕石との組み合わせや施工技術のほか、アスファルト自体の改良も日進月歩で進む。
■コンクリート
コンクリート舗装はアスファルトより傷みにくく、凍結にも強いが、施工に手間と時間がかかる。最近ではアスファルトのようにローラで踏み固める工法など、新しい技術も開発されている。
戦後日本の躍進とともに日本の舗装も急成長した
車輪を使った馬車による交通が古くから発達していた欧米で、いち早く道路の舗装が進められたのは当然のこと。今もパリなどの古都に残る石畳の舗装は、15世紀ごろには誕生していた。
より施工しやすく、滑らかな路面が得られるアスファルト舗装が登場するのは19世紀末のこと。当初は地層に石油成分が染み込んだ天然のロックアスファルトが使われ、のちに石油精製の副産物として人工アスファルトが工業的に量産されるようになると、世界に普及していく。
日本でも、秋田県で産出したロックアスファルトに始まり、大正時代には石油アスファルトの生産が始まるが、政府の道路整備への関心は低く、舗装の普及は遅かった。東京中心部こそ、関東大震災を契機に幹線道路が整備されたものの、地方はまったくの手つかず。第二次大戦後にやってきた連合国政府(GHQ)が、その未整備ぶりにあきれるほどだったのだ。
しかし、他の産業と同様に、戦後日本の道路舗装の進化は目ざましかった。経済成長と歩調を合わせて舗装距離は飛躍的に伸び、名神高速を皮切りに、高速道路網の建設も進んだ。
かくして、1950年代には海外の視察団から世界最悪と評された日本の道路は、自動車生産台数が世界一となった1980年代には、質量ともに世界レベルに到達した。素材や施工の技術に加えて、メンテナンス技術も今や最先端。安全、快適で環境にも優しい道路を実現しているのだ。
技術立国日本の実力が滑らかな路面に息づく
アスファルトは、原油を精製してガソリンなどを取り出した最後に残る副産物。加熱すると流動性があり、冷えると固まる性質を活かし、骨材と呼ばれる砕石と混ぜて敷き固めることで、平滑な路面を得ることができる。ただし、原油から取り出したままのストレートアスファルトは、温度による粘度の変化が大きい。昔の舗装路面が暑い夏の日にベタついたのはこのためだ。そこで1970年代から、さまざまな添加剤を加えた改質アスファルトが開発された。
そうした添加剤の開発は、日本の得意分野。高温でも性状が安定していて耐久性に優れ、水にも強い改質アスファルトが誕生したことで、骨材の間に雨水を流す透水性舗装や排水性舗装も生まれ、今では高速道路や幹線道路では標準化されている。
骨材にゴムを配合して路面の氷雪を砕いたり、赤外線を反射して路面温度を抑えるなど、さまざまな機能を持つ舗装も増えている。日頃なにげなく走っている道路にも、世界に誇れる日本の最先端技術が息づいているというわけだ。
(2016年旧車FAN Vol.4より)
舗装の日本史
【1870年ごろ】長崎グラバー邸内に、日本最古の舗装路誕生
日本最古の舗装路誕生。ただし、アスファルトではなく、グラバーが経営していた炭鉱で出たコールタールを使ったものと思われる。
現在もグラバー邸内には「日本最古のアスファルト道路」として遺されている。
【1878年】日本初のアスファルト舗装
神田昌平橋の橋面が、日本で初めてアスファルトで舗装される。秋田産の土瀝青と呼ばれる天然アスファルトを使用。初代東京府知事由利公正が岩倉遣外使節団の一員として欧米を視察し、アスファルト舗装に着目した。由利は1876年には銀座通りのレンガ舗装も実現していた。
秋葉原近くに地名の残る昌平橋ではなく、現在の万世橋の場所にあった。(版画は天野屋所蔵)
【1907年】日本初のアスファルト会社設立
秋田産の天然アスファルトを採掘する中外アスファルト(株)が設立され、日本橋通りが公道として初めて天然アスファルトで舗装される。
石油分をふくむため農耕には向かなかった土壌から、天然アスファルトを採掘、生産する工場が建設された。
【1908年】日本初の石油アスファルトが製造される。
アメリカから輸入した原油が原料だった。
【1909年】内務省に道路協議会設置
【1911年】中外アスファルトが英国製スチームローラを輸入
東京市内の試験舗装に取り組む。
【1913年】国産石油アスファルトの生産開始
中外アスファルト㈱が秋田県にて油田開発に成功し、国産石油アスファルトの生産を開始。この年の東京市内の自動車登録台数279台。
【1918年】アメリカの経済視察団が日本の道路を酷評
当時の日本の道路について「とても道路と言えるものではない」「東京市内の道路は、雨が降ったら田んぼそのもの」とリポート。
【1919年】道路法制定
国の方針として道路舗装が推進される。国産ロードローラ誕生。
【1923年】関東大震災発生
復興事業として、昭和通り、靖国通り、京浜国道などの道路整備が進む。ただし、幹線以外では施工が容易で安価なアスファルト乳剤を使った表面のみの簡易舗装が中心。
震災を機に都市計画が進められたことで、昭和通りや靖国通りなどは現在のような十分な幅員を確保することができた。写真は当時の京浜国道。
【1924年】現存する日本最古のアスファルト道路竣工
中外アスファルト㈱を合併した宝田石油㈱と日本石油㈱が合併した会社の舗装事業部、日本石油(株)道路部が、自動車交通に適したアメリカの特許工法「ワービット工法」の施工権を取得。同年に施工した明治神宮外苑道路の一部は、現存する日本最古のアスファルト道路として、2004年度に土木学会の土木遺産に推奨されている。同工法で阪神国道や皇居前道路なども舗装された。同事業部は1934年に日本鋪道㈱として独立。
イチョウ並木で有名な神宮外苑道路は交通量も多く、ほとんどが近年の舗装だが、絵画館前などの一部には、当時の舗装がそのまま残されている。
【1945年】日本道路建設業協会設立
同年末の調査では、一般府県道以上の道路延長12.4万kmのうち、舗装区間は4.6%、全体の44%が自動車通行不能と判定され、進駐軍が道路整備を政府に要求。それに応えるために協会が設立された。
国道でもほとんど舗装されておらず、晴天時は埃がもうもうと舞い、雨が降ればぬかるんでクルマがスタックする最悪の状況だった。
【1953年】日本鋪道(株)が米国から日本初のアスファルトフィニッシャを輸入
日本初のアスファルトフィニッシャを使った国道41号線を皮切りに、舗装の機械化が始まる。アスファルトスプレッダも自社開発し、北海道の千歳弾丸道路(国道36号)を短期間で完成。今日の自動車道路の指針となる。同年、日本初のTV放送開始。
人力に頼っていた舗装作業が、大型機械によって大幅にスピードアップ。幹線道路の舗装が進む。
【1954年】第一次道路整備五カ年計画策定
日本鋪道(株)が急勾配、急カーブの続く日光いろは坂の舗装工事に成功。山岳路の舗装工事技術を確立。道路整備特別措置法に基づく最初の有料道路となる。同年に日本の自動車保有台数は100万台を突破したが、1956年にアメリカから来日したワトキンス調査団は「日本の道路は信じがたいほど悪い。工業国にしてこれほど完全に道路網を無視してきた国は、日本をおいて他にない」とリポート。
現在も観光道路として人気のいろは坂は、曲がりくねった急坂が続く山岳道路。その舗装工事のために開発された独自技術は、以後の日本の山岳路舗装に威力を発揮する。
【1955年】初の国産アスファルトフィニッシャ発売
同年、初の本格国産乗用車、初代クラウンと、初の本格軽自動車、スズライトフロンテ発売。この年の国道の舗装率わずかに15.7%。日本鋪道(株)、木曽川背割堤のテストコースの調査設計を手がける。
【1957年】日本初の民間自動車メーカーのテストコース竣工
日本鋪道(株)が挙母市(現・豊田市)のトヨタ本社テクニカルセンター周回路を施工(コンクリート舗装)。以後、今日まで国内外で160以上のテストコースを建設。
【1958年】道路構造令に初めて舗装の規定が設けられる
日本鋪道(株)が施工した名神高速の試験舗装区間は、アメリカから技術指導のために来日した視察団からも、欧米の高速道路と遜色のない
仕上がりとお墨付きを得た。
【1961年】京葉道路が全国初の自動車専用道路に指定される日本初の高速道路、名神高速の建設が始まる。関門国道トンネル開通。
【1962年】 首都高速京橋~芝浦間開通
都高速京橋~芝浦間開通、同年国道1号線東京~大阪間の全線舗装完了。自動車保有台数500万台突破。日本鋪道(株)、日本初の本格レーシングコースとなる鈴鹿サーキットを施工。
【1966年】 世界初のアスファルト舗装による高速周回路
日本鋪道(株)、トヨタの東富士研究所テストコースで、自社開発のアスファルトフィニッシャを使い、世界初のアスファルトによる最大42度の三次曲面を持つ高速周回路バンクの舗装に成功。海外からも受注を呼ぶ。同年にサニー、カローラが発売されたのをきっかけに、本格的なモータリゼーションが到来。
それまでのバンクは、型枠にコンクリートを流し込む工法で施工されていたが、より公道に近いアスファルト路面を求めたトヨタのオーダーに、日本鋪道は独自技術で応えた。
【1973 年】高速道路に初めてコンクリート舗装が採用される
東北道矢板~白河間に採用。同年、関門橋が開通。建設省(当時)土木研究所舗装研究室が、無人運転車による舗装の耐久性実験場を稼働。
凍結に強く、耐久性が高いなどの理由から、東北道でコンクリート舗装が採用された。
【1987年】 排水性舗装誕生
東京の環状七号線で低騒音排水性舗装を初施工。
左が通常舗装。路面に水が溜まりにくい排水性舗装は安全性が高いだけでなく、騒音も低いことから、都市部を中心に急速に普及する。
【1995年】国道における排水性舗装本格採用
日本鋪道(株)、路面を波形に仕上げることで、制限速度を超過した場合のみ車両に不快な振動を起こすスピードセーブ工法を開発。第二回建設技術開発賞受賞。
路面の形状は、安全運転をしていればサスペンションが自然にいなすよう計算されている。
【1996年】 ゴムロールド舗装誕生
日本鋪道(株)が長野五輪に向けて建設が進む五輪道路志賀ルートで、骨材にゴムを使用し、弾性によって路面の氷雪を除去するゴムロールド舗装を初めて施工。
左が未施工路面。骨材にふくまれるゴムが車両に踏まれた際に歪むことで、路面の雪や氷を砕き、舗装路面が露出した状態に保たれる。
【2002 年】日本鋪道(株)が遮熱性舗装「クールパービアス」販売開始
センターライン付近などの舗装表面に一定間隔で凹型の切削溝をつけることで車線逸脱時に音と振動でドライバーに注意を喚起する「ランブルストリップス」も実用化。
写真のセンターライン左脇に一定間隔で掘られた凹溝がランブルストリップス。踏むと音と振動を発して車線逸脱をドライバーに知らせ、居眠り運転の防止などにも効果を発揮する。
【2004年】景観法制定
カラー舗装などの景観性の高い舗装のニーズが高まる。
写真は津和野殿町通り。景観に配慮したさまざまなカラー舗装が普及しつつある。
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