「59年前に登場、欧州基準の走りを目指したハイオーナーカー」 旧プリンス自動車から継承された『G型エンジン』と『流れるウインカー』…、先進技術を纏った高級車【初代・日産ローレル】│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「59年前に登場、欧州基準の走りを目指したハイオーナーカー」 旧プリンス自動車から継承された『G型エンジン』と『流れるウインカー』…、先進技術を纏った高級車【初代・日産ローレル】

「59年前に登場、欧州基準の走りを目指したハイオーナーカー」 旧プリンス自動車から継承された『G型エンジン』と『流れるウインカー』…、先進技術を纏った高級車【初代・日産ローレル】

1950年代、自動車は豊かさの象徴であり、幌の屋根にペラペラのドアが付いたオート三輪でさえ、羨望の的だった。それから十余年、日本経済は高度成長の波に乗り、一般庶民にもマイカーが普及。1966年に登場した初代カローラは、ライバルよりちょっと豪華で大きいことをアピールし、大ヒット車となる。日本人が上だけを見ていたこの時代、ユーザーは自動車に今まで以上の付加価値を求め始める。英雄や栄光の象徴として与えられる月桂冠、そんなローレル(月桂樹の英名)の名を与えられたC30は、アメリカの基準を満たす高い安全性、510ブルーバードにも取り入れられた先進的スタイルやメカニズムで、ハイオーナーカーという新ジャンルのパイオニアとなった。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

ローレルセダン1800GL(1970年)

前輪ストラット+後輪セミトレーリングの4輪独立懸架の採用はブル510よりローレルの方が先に決定されたという。日産車では初となるラック&ピニオン式のステアリングも採用された。

エンジンはプリンス製だが、他はすべて日産が開発。当時の先進技術を結集

1966年に出た日産サニーとトヨタカローラを起爆剤にして、マイカーはサラリーマン層にも急速に身近になる。一方、翌1967年にホンダが発売したN360は、同社の2輪車譲りの高性能で若者の人気を呼び、軽自動車の販売合戦が激化する。そうして火がついたマイカー市場のさらなる拡大に向けて、各メーカーは多彩な商品企画に知恵を絞った。日本初のハイオーナーカーを名乗って、1968年に登場した日産ローレルもそのひとつだ。

日産には、老舗ブランドのブルーバードがあった。初代は富裕層のマイカーとして高い人気を誇り、当時の日産の社長はブルーバードの中古車こそ庶民のマイカーと言い放って、当初サニーの開発を認めなかったほどだ。

一方、ブルーバードに続いて1960年に生まれたセドリックは、1955年に初代が登場したトヨタのクラウンに対抗する上級セダンであり、マイカーユーザーではなく、主に役員車やタクシーに代表される法人需要向けの商品企画だった。

そこで、ブルーバードより上級でセドリックよりカジュアルな、富裕ファミリー層を狙ったクルマがローレルだ。ちなみにその企画は3代目のブルーバードより先に着手されていたという。

しかし、当時の日産では、1963年に登場した2代目ブルーバードの不振が大問題になっていた。イタリアのカロッツェリア、ピニンファリーナの手になるデザインは今見ると軽快でよくまとまっているが、憧れのマイカーに高いステイタス性を求めた当時の日本人には不評だったのだ。

そこで大看板の立て直しのために、ローレルに搭載される予定だったハイメカニズムを盛り込んだ3代目ブルーバードが先に出ることになった。1967年に登場したそのモデルこそ、名車として今日まで語り継がれる510型のブルだ。OHCのエンジンやセミトレ―リングアーム式のリヤサスなどの先進メカを盛り込んだそれは、「技術の日産」を体現し、国内外でベストセラーとなった。

それと比べると、翌年に出たローレルは大ヒット作とは言いがたい。けれど実用ファミリーカーのブルーバードよりちょっと上級で、なおかつ華のあるパーソナルカーという商品企画の方向性は、けっして間違ってはいなかった。

ローレルセダン1800GL(1970年)

スーパーソニックと表現された510ブルに似たシルエットだが、こちらの方がひと回り大きく、大人しい印象。GLは1970年に追加された上級グレード。警告灯組み込みのオーバーヘッドコンソールやウッドステアリングなど、デラックスBよりさらに豪華な装備内容を誇る。

登場時のグレードはデラックスAとデラックスBの2タイプ。スタンダードの呼び方をさけ、デラックスだけとされたグレード名にも、オーナーの所有欲をくすぐるローレルの戦略が見える。

主要諸元 :セダン1800GL(1970年式) 
●全長×全幅×全高:4305㎜ ×1605㎜ ×1405㎜ ●ホイールベース:2620㎜●車両重量:1010㎏●乗車定員:5名●エンジン(G18型):直列4気筒OHC1815㏄●最高出力:100PS/5600rpm●最大トルク:15.0kg-m/3600rpm●最高速度:165㎞ /h●最小回転半径:4.9m●燃料タンク容量:61L●トランスミッション:前進4段、後進1段フロアシフト●サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式独立懸架/セミトレーリングアーム式独立懸架●タイヤ(前/後):6.45-14-4PR ○価格(東京地区):83万円

三角窓を廃止したため、フレッシュエアシステムと呼ぶ強制ベンチレーションを採用した車内。インパネ左右には大きな通風口がある。写真はデラックスBの車内。ウッドステアリングを採用、丸型の4連メーターは左からアナログ時計、180㎞ /hスケールの速度計、水温計/燃料計のコンビメーター、オイルやハンドブレーキなど3つの警告灯となっている。

当初は日産製のL16型エンジンの搭載が検討されていたが、プリンスとの合併で村山工場での生産が決定、エンジンも開発されたばかりのプリンス製G18型となる。

少年用サイクリング車にも人気が飛び火していった光が流れるウインカー

1970年代に少年時代を過ごした人なら、「流れるウインカー」を備えた自転車に憧れた経験があるだろう。現在ではよく見られるようになった、内から外へと流れるように点灯する方向指示器。あれを日本で最初に装備したのは初代ローレルだ。

1970年のマイナーチェンジで、スタイリッシュな2ドアHTとともにデビューし、少年向けのサイクリング車にまで大流行を巻き起こしたギミックだった。

電子制御のLEDで美しく発光する現代のそれと比べると、リレーでカチカチと作動させる電球式のメカニズムは原始的。だが、大衆車のサニーには求められない、法人向けのセドリックには似つかわしくないそれは、上級パーソナルカーというローレルの個性をよく表したディテールではあった。

初代ローレルは日産の技術陣によって企画・開発されていたが、それが世に出る2年前の1966年に日産とプリンスが合併し、生産は東京・武蔵村山市にある旧プリンス自動車の村山工場が担うことになった。そんな経緯もあってかエンジンは当初予定された日産の開発によるL型ではなく、同工場で生産されるプリンスのG型を積んだ。

ちなみにこのG型エンジン、バルブをV型に配置、吸排気ポートはクロスフロー式、アルミ合金を使ったシリンダーヘッドを採用するなど当時としては先進的なもので、開発初期にはDOHC化も検討されていたというが、コストの関係で実現はされなかった。

ローレルと同じ1968年に出たハコスカこと3代目スカイラインも同じ村山工場で作られたが、こちらはプリンス技術陣の開発による車体に、日産系のL型エンジンを積む逆パターンだった。

1966年の両社の合併は形の上では対等だったが、実態としては日産が傾いたプリンスを救ったもの。企業規模的にも日産によるプリンスの吸収合併だった。しかし当時を知る開発者によれば、旧中島飛行機と旧立川飛行機をルーツとし、誇り高き航空機エンジニア出身者もまだ多かったプリンス自動車の開発現場では、旧日産の開発したクルマを下に見る意識が強く、合併後もそれは根強かったという。

走行性能ひとつを取っても、当時の日産の追浜工場のテストコースは古くて狭く、新しくて広大な村山工場のテストコースで開発されたモデルと比べると、高速走行安定性は実際にプリンス系モデルのほうが上だったのだ。

ローレルを任された旧プリンスの技術陣は「追浜製のクルマはこんなもんだね」と言いながら改良・進化させていく。しかし、その前途は平坦ではなかった。

2ドアハードトップ2000GX (1970年)

ハコスカより早く、日産初のピラーレスハードトップを採用したローレル。2000GXは125PSの2.0Lツインキャブエンジンにウッドステアリングやタコメーター、パワーウインドウなどの上級装備を備えるシリーズのフラッグシップモデル。

主要諸元 :ハードトップ2000GX(1970年式)
●全長×全幅×全高:4330㎜ ×1605㎜ ×1380㎜ ●ホイールベース:2620㎜ ●車両重量:1020㎏ ●乗車定員:5名●エンジン(G20型):直列4気筒OHC1990㏄ ツインキャブ●最高出力:125PS/5800rpm●最大トルク:17.5㎏ ・m/3600rpm●最高速度:180㎞ /h●最小回転半径:4.9m●燃料タンク容量:51L●トランスミッション:前進4段、後進1段フロアシフト●サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式独立懸架/セミトレーリングアーム式独立懸架●タイヤ(前/後):6.45S-14-4PR ○価格(東京地区):90万5000円

ハードトップにもレザートップ仕様をラインナップ。色はホワイトとブラック。さらに4種のアクセントストライプをチョイスすることもできた。

スカイラインと基本設計を共有、次第に影が薄くなっていった元祖ハイオーナーカー

日本の自動車ユーザーの嗜好は多様化の一途をたどり、その後のローレルの商品企画は迷いの時期を迎えることになる。原因のひとつとなったのは、2代目以降のローレルが、同じ工場で生産される大ヒット車のスカイラインと基本設計を共用したことだろう。

ケンメリのニックネームで知られるC110型スカイランと兄弟になる1972年の2代目ローレルは、若々しいスカイラインとは異なる、大人のスポーツ性をうまく盛り込んでヒットした。

1977年に出た3代目も、2ドアHTがメインモデルとなるスカイラインには設定のない4ドアHTを前面に押し出し、ゆとりある大人の愛車感を表現して成功する。当時の日本車のデザインは、戦後のお手本であり続けたアメリカ車指向。スカイラインはダッジチャレンジャーなどのスペシャリティクーペ路線、ローレルはキャデラックなどのフルサイズラグジュアリーカー路線で棲み分けた。

ところが’80年代になると、日本人の目が高性能な欧州車を指向するようになる。お手本となるのはドイツ車。櫻井眞一郎が担当した4代目ローレルも「アウトバーンの旋風」をキャッチコピーに欧州指向の走りを謳うが、DOHC4バルブエンジンを積むRSを擁するスカイラインと比べると、がぜん影は薄くなってしまった。

しかも、ライバルであるトヨタのマークⅡが、同時期に誕生した4代目で洗練されたヨーロピアンスポーツ路線を確立したのと比べると、ローレルは旧来の重厚な高級車路線から脱せていなかった。

その反省から、5代目はふたたびアメリカンに回帰する。同時期の7代目スカイラインが高級スポーティサルーンを掲げたのに対して、キャッチフレーズも「ビバリーヒルズの共感ローレル」とアメリカナイズを公言。

しかし、その両車の個性を巧みに併せ持つようなスポーティかつゴージャスなライバルに、ローレルは吹き飛ばされた。マークⅡ、チェイサー、クレスタという生産効率のいい三兄弟を揃えて、社会現象にまでなった「スーパーホワイトのハイソカー」軍団は、若者のスカイライン、大人のローレルという棲み分けに固執した日産の商品企画を粉砕したのだ。

その後は、ローレルが生み出したハイオーナーカーというカテゴリー自体が縮小に向かった。マイカーが当たり前の存在になった日本人は、そこにステイタスを見出す必要がないまでに成熟したのだ。大人の男が平然と軽自動車を乗り回す現代の日本は、ある意味でとても健全なのだとも思う。

2代目ローレル(C130型)

キャッチコピーは「ゆっくり走ろう」。車体は大きくなり、旧プリンスの開発陣が手がけるスカイラインと基本設計を共有化。日産製直列6気筒のL20型エンジンも搭載された。ケンメリスカイラインを彷彿させる2ドアハードトップは、その特徴的なリヤビューから「ブタケツ」の愛称で人気となった。マイナーチェンジで2.6ℓ(後に2.8ℓ)エンジンを積むローレル初の3ナンバー車も誕生した。

主要諸元:ハードトップ2000SGX(1972年式) 
●全長×全幅×全高:4500㎜ ×1680㎜ ×1405㎜ ●ホイールベース:2670㎜ ●車両重量:1205㎏ ●乗車定員:5名●エンジン(L20型):直列6気筒OHC1998㏄ ツインキャブ●最高出力:125PS/6000rpm●最大トルク:17.0kg-m/4400rpm●最高速度:175㎞ /h●最小回転半径:5.3m●燃料タンク容量:60L●トランスミッション:前進4段、後進1段フロアシフト ●サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式独立懸架/セミトレーリングアーム式独立懸架●タイヤ(前/後):6.45S-14-4PR ○価格(東京地区):103万円

全車に衝撃吸収タイプのステアリングを導入。なお先代のラック&ピニオン式から切れの軽いリサーキュレーティング・ボール式へと変更された。

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