「ずっと眺めていたい…」クラシカルで美しいデザインを持つ64年前の日産の名車。見た目は優雅だが走りは硬派なスポーツカー[ダットサン・フェアレディ1500]│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「ずっと眺めていたい…」クラシカルで美しいデザインを持つ64年前の日産の名車。見た目は優雅だが走りは硬派なスポーツカー[ダットサン・フェアレディ1500]

「ずっと眺めていたい…」クラシカルで美しいデザインを持つ64年前の日産の名車。見た目は優雅だが走りは硬派なスポーツカー[ダットサン・フェアレディ1500]

丸みを帯びたヘッドライトに、クロームメッキが輝くフロントマスク。まるで英国製のクラシックスポーツカーを思わせる美しいスタイリングが魅力の「ダットサン・フェアレディ1500」。1962年に日産が発売したこのクルマは、優雅な外観とは対照的に、本格的な走行性能を追求した硬派なスポーツカーだった。日本のスポーツカー史に大きな足跡を残した名車の魅力を振り返る。

●文:月刊自家用車編集部

64年前に誕生した、英国製スポーツカーを思わせる美しいロードスター

1962年10月、日産自動車は「ダットサン・フェアレディ1500(SP310型)」を発売した。

その前年に開催された第8回全日本自動車ショウで初公開され、低く伸びやかなスタイリングと本格的なスポーツカーとしての存在感によって注目を集めたモデルである。

ボディサイドには繊細なクロームモールを配置。フェンダーを飾る筆記体の「Fairlady」エンブレムも、クラシカルな雰囲気を引き立てる印象的なアクセントとなっている。

最大の魅力は、なんといってもクラシカルで美しいボディデザインだろう。

丸型ヘッドライトを両端に配置したフロントマスクには、クロームメッキで縁取られたグリルを採用。緩やかな曲線を描くボンネットと、控えめに張り出したフェンダーが一体となり、優雅でありながらスポーティな雰囲気を演出している。

ボディサイドには細いクロームモールがあしらわれ、シンプルなスタイリングに上質なアクセントを添えている。

低く設定されたフロントウインドウも、フェアレディ1500のスタイリングを特徴づけるポイント。風を感じながら走るオープンスポーツカーならではの開放感が味わえる。

コンパクトにまとめられたリアセクションには、独立したトランクを装備。手動開閉式の幌も備え、日常的な使用にも配慮されていた。車体のフレームにはX字形の補強メンバーが追加され、剛性が高められている。

低いフロントウインドウやコンパクトなキャビン、短くまとめられたリアセクションも印象的だ。オープンスポーツカーらしい軽快なプロポーションは、英国のMGやトライアンフといった名門ブランドのモデルにも通じるものがある。

華美な装飾に頼ることなく、ボディ全体のバランスで美しさを表現したデザインは、登場から64年を経た現在でも十分に魅力的だ。

ダッシュボードは装飾を抑えたシンプルなデザイン。丸型メーターや細身のステアリングホイールなど、1960年代のスポーツカーらしいクラシカルな雰囲気が漂う。

ちなみに「フェアレディ」という優雅な車名は、当時の日産社長だった川又克二が、米国で人気を博したミュージカル『マイ・フェア・レディ』にちなんで名付けたとされている。

この名称は1960年に登場した輸出向けモデルから使用されており、SP310型は国内市場で初めて販売されたフェアレディとなった。

日本の自動車産業が大衆車の普及に力を注いでいた時代に、走る楽しさを追求したオープンスポーツカーを世に送り出したこと自体、当時としては挑戦的な試みだったのである。

1962年に発売されたダットサン・フェアレディ1500(SP310型)。丸型ヘッドライトと低く構えたオープンボディが、1960年代の英国製スポーツカーを思わせる優雅な雰囲気を醸し出している。

優雅な見た目とは対照的。中身は走行性能を追求した硬派なスポーツカーだった

フェアレディ1500の魅力は、もちろん外観の美しさだけではない。

その優雅なスタイリングからは想像しにくいほど、走行性能を重視した設計が施されていたことも大きな特徴である。

開発にあたって日産が採用したのは、既存の乗用車の基本構造を活用しながら、スポーツカーとしての性能を引き出すという合理的な手法だった。

車体の基本となったのは、1959年に発売された初代ブルーバード(310型)のシャシーである。

現在の一般的な乗用車に広く採用されているモノコック構造とは異なり、独立したフレームにボディを組み合わせる構造を持っていた。

初期型の特徴が、運転席後方に横向きの補助席を備えた独特の3人乗りレイアウト。後の改良ではこの補助席が廃止され、一般的な2シーターへと変更された。

フェアレディ1500では、このフレームにX字形の補強メンバーを追加。屋根を持たないオープンボディでありながら、スポーツ走行に必要な車体剛性を確保していた。

サスペンションは、フロントにダブルウイッシュボーン式、リアには縦置きリーフスプリングを使用したリジッドアクスル式を採用。

基本構造こそブルーバードと共通するものの、スプリングやダンパーの設定を変更し、スポーツカーにふさわしい操縦性を追求していた。

もっとも、現代のスポーツカーのような洗練された乗り心地や快適装備を備えていたわけではない。

パワーステアリングなどの補助装置を持たず、4輪ともドラムブレーキという構成は、現在の基準から見れば古典的なものだ。

ドライバーは路面の状態や車体の動きを感じ取りながら、ステアリングやアクセル、ブレーキを操作する必要があった。

ただし、その操縦性は決して鈍重ではなかった。

当時の試乗記録では、軽快なハンドリングが高く評価されており、同クラスの欧州製スポーツカーにも引けを取らない走りを実現していたという。

当時としては驚異的な最高速度150km/h! 日本グランプリでも欧州の強豪を撃破

フェアレディ1500の走りを支えていたのは、初代セドリックに搭載されていたエンジンをベースとする、排気量1488ccのG型直列4気筒OHVエンジンだった。

最高出力は71PS、最大トルクは11.5kgf・m。

数字だけを見れば、現代のスポーツカーとは比較にならないほど控えめな性能である。

初代セドリック用をベースに開発された、排気量1488ccのG型直列4気筒OHVエンジン。初期型は71PSを発揮し、1963年の改良によってSUツインキャブレターを採用した80PS仕様へと進化した。

しかし、当時の国産乗用車は、まだ高速道路での長距離移動が一般的ではなかった時代だ。

そんななか、フェアレディ1500は公称最高速度150km/hという、当時の国産車としては優れた高速性能を実現していた。

エンジンも、単にセドリック用を流用したわけではない。

低いボンネットに収めるため、キャブレターを変更するとともに、カムシャフトやバルブスプリングなどにも手を加え、連続した高回転運転に耐えられるよう改良されていた。

さらに、車両重量は初期型で870kgと軽量。4速マニュアルトランスミッションとの組み合わせにより、軽快な加速性能を実現していた。

その実力を世間に知らしめたのが、1963年5月に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリである。

フェアレディ1500は、田原源一郎のドライブによってスポーツカーのB-IIクラスに参戦。

トライアンフTR4やMGBといった欧州の強豪スポーツカーを相手に、見事クラス優勝を果たしたのだ。

国産スポーツカーが、長い歴史と実績を持つ欧州のライバルを打ち破ったことは、日本の自動車産業にとって大きな意味を持つ出来事だった。

しかも、このレースで活躍した車両には、輸出仕様に採用されていたSUツインキャブレターが装着されていた。

1963年5月、第1回日本グランプリのB-IIクラスで優勝を果たしたダットサン・フェアレディ1500(SP310型)。田原源一郎がステアリングを握り、欧州の有力スポーツカーを相手に国産車の実力を証明した。

この勝利をきっかけに、より高性能な仕様を求める声が高まり、日産は同年6月にSUツインキャブレターを備えた改良型を国内市場にも投入した。

圧縮比の引き上げや吸排気系の改良などによって、最高出力は80PSまで向上。公称最高速度も155km/hに引き上げられた。

さらに1964年には競技用のチューニングキットも設定されるなど、フェアレディ1500はモータースポーツを楽しむドライバーにとっても魅力的な存在となっていった。

英国製スポーツカーを思わせる優雅な外観の内側には、世界のライバルと本気で戦える走行性能が秘められていたのである。

世界に認められた国産スポーツカー。その情熱はフェアレディZへと受け継がれる

日本のスポーツカーとして大きな足跡を残したフェアレディ1500は、その後も進化を続けていく。

1965年には排気量を1.6Lに拡大したフェアレディ1600(SP311型)が登場。さらに1967年には、排気量2.0LのU20型エンジンを搭載したフェアレディ2000(SR311型)が発売された。

フェアレディ2000は最高出力145PSを発揮し、公称最高速度205km/hという、当時の国産車としては驚異的な性能を実現している。

こうした高性能化によって、フェアレディは日本を代表する本格スポーツカーとしての地位を確立していった。

一方、海外市場でもダットサンのスポーツカーは着実に存在感を高めていた。

特に北米では、欧州製スポーツカーに対抗するモデルとして、性能や価格、信頼性などを武器に支持を広げていったのである。

そして1969年、フェアレディの歴史は大きな転換点を迎える。

それまでのオープンロードスターとは異なる、クローズドボディの初代フェアレディZ(S30型)が登場したのだ。

ロングノーズ・ショートデッキの美しいプロポーションと高い走行性能を備えたフェアレディZは、北米市場でも大きな成功を収め、日産のスポーツカーを世界的な存在へと押し上げていった。

1969年に登場した初代フェアレディZ(S30型)。長いボンネットと短いリアデッキが生み出す美しいプロポーションが特徴。オープンロードスターから大きく姿を変えながらも、フェアレディが培ってきたスポーツカーとしての伝統を受け継いだ。

現在ではフェアレディといえば「Z」を思い浮かべる人が多いだろう。

しかし、その礎を築いたのは、1960年代に登場したオープンスポーツカーたちである。

なかでもフェアレディ1500は、クラシカルで美しいスタイリングと、欧州のライバルに挑む本格的な走行性能を両立させた、歴史的に重要な一台だった。

64年という歳月を経てもなお、思わず見入ってしまうような美しいデザイン。そこに日本のスポーツカーの可能性を世界へ示した実績が加わることで、フェアレディ1500は単なる懐かしいクルマではない、特別な存在となっているのである。

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