「66年前の小型車に、このスペックはヤバすぎ!」ミツビシ初の自社開発乗用車は、ガチで凄いクルマだった【三菱500】│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「66年前の小型車に、このスペックはヤバすぎ!」ミツビシ初の自社開発乗用車は、ガチで凄いクルマだった【三菱500】

「66年前の小型車に、このスペックはヤバすぎ!」ミツビシ初の自社開発乗用車は、ガチで凄いクルマだった【三菱500】

1955年に通産省が提唱した過酷な「国民車構想」は、当時の技術者たちの魂を強く奮い立たせた。そのひとつの回答として、1960年に新三菱重工業が世に送り出した初の自社開発乗用車が「三菱500」だ。航空機メーカーの誇りを懸けて先進的なフルモノコックボディを採用し、風洞実験を経て造り上げられた機能一点張りの無骨なフォルムは、専門誌から「崖から落ちても壊れなそう」と評されるほどの頑強さを誇り、戦車メーカーでもあった三菱らしさを体現している。商業的には短命に終わったものの、クルマ作りに注がれた先進技術と情熱は、その後の三菱自動車の確固たる礎となったクルマである。

●文:月刊自家用車編集部

「国民車構想」を契機に、三菱が初めて自社開発で挑んだ小型車「三菱500」

合理性を追求し、航空機技術を結集して設計された三菱初の自社開発乗用車だった

1955(昭和30)年、当時の通商産業省(現在の経済産業省)が日本のモータリゼーション推進を目的として発表した「国民車構想」は、各自動車メーカーの小型車開発における大きな指針となった。それは、最高速度時速100キロ以上、定員4名、販売価格25万円以下など、当時の日本の技術水準からは到底、実現不可能と思える過酷な目標数値だった。

しかし、この指針に対して腕に覚えのあるエンジニアたちの魂を激しく奮い立たせたのだ。その力強い回答として、1960(昭和35)年に新三菱重工業(現・三菱自動車工業)から発売されたのが、同社初の本格的な自社開発乗用車「三菱500」だった。

航空機メーカーとして日本の技術を牽引してきた三菱にとって、軽量かつ高剛性な先進のフルモノコックボディを採用することはごく当然の選択だった。開発陣の胸中には、先行して市場に登場し、「国民車第1号」として大成功を収めていたライバル、富士重工業(現・SUBARU)の「スバル360」に決して負けられないという強いプライドがあった。そのため、三菱500は徹底した合理主義のもと、航空機技術の粋を結集して設計されたのだ。

ドアは乗降を考えて後ろヒンジ。大きめのバルーンタイヤを履いていたため乗り心地は良かったらしい。

空力特性と実用性を優先、質実剛健なクルマ造りは三菱らしさを反映した無骨なものだった

エクステリアデザインは単なるスタイリングの追求ではなく、航空機開発で培われた風洞実験を繰り返して造り上げられた、機能一点張りの無骨なものだった。

華飾を排し、空力特性と実用性を最優先したフォルムは、当時の自動車専門誌から「崖から落ちても壊れなそう」と評されるほどの頑丈さを誇っていた。この圧倒的なボディ剛性と耐久性は、戦車メーカーでもある三菱らしい質実剛健なクルマ造りの哲学が色濃く反映された結果だった。

メカニズムにも最新技術が惜しみなく投入されていた。493ccの強制空冷直列2気筒OHVエンジンを車体後部に搭載して後輪を駆動するRRレイアウトを採用。エンジンの最高出力は21馬力だったが、わずか490キログラムという軽量な車体と空力特性により、時速90キロという最高速度をマークした。さらにパワートレインはクランクシャフトやトランスミッションをアルミ製ケースに一体化して収め、徹底した軽量化が図られていた。

軽自動車規格をわずかに上回るだけのボディサイズながら、当時としては先進的なモノコックボディを採用。単なるスタイリングの追求ではなく、航空機開発で培われた風洞実験を繰り返して造り上げられた、機能一点張りの無骨なデザインであった。

コストダウンと実用性を重視し、バックランプなどは最小限に抑えられ、丸みを帯びた小さなテールランプが左右に配置されただけの簡素な造りとなっている。エンジンが収まっているフードも丸みのあるデザインで大きい。

RR駆動のため、フロントに冷却用のラジエーターグリルがなく、つるんとした個性的な顔つきであった。

当時の500ccクラスの小型車としては異例とも言えるメカニズムが採用されていた

足回りには、500ccクラスの軽量車としては異例の4輪独立懸架サスペンションが採用された。フロントにはバネ下重量の軽い三菱独創の変形デュボネ式サスペンションが組み込まれ、路面からの衝撃がステアリングに干渉しないスムーズな操縦性を実現した。ラック&ピニオン式のステアリングはRRならではの操舵の軽さとシャープなレスポンスをもたらし、当時の専門家からも高い評価を得ることとなった。

しかも三菱500は39万円という当時としては破格の低価格で発売された。コストダウンのためインテリアの装備は最小限にとどめられたが、メカニズムを優先した高い実用性を持ったクルマだったのだ。しかし市場では、税制面で有利な360ccの軽自動車と、居住性に勝る上位の小型車との間に挟まれ、販売は苦戦を強いられた。翌1961(昭和36)年には排気量を594ccに拡大して25馬力に引き上げた「スーパーデラックス」を追加してテコ入れを図ったが状況は好転せず、1962(昭和37)年に短い生涯を閉じることとなった。

商業的な成功は収められなかったが、航空機由来のモノコックボディや四輪独立懸架といった先進的な挑戦は決して無駄にはならなかった。三菱500で培われた技術とノウハウはその後の乗用車開発へと受け継がれ、今日の三菱自動車の確固たる礎を築いたのだ。日本の自動車産業黎明期に技術の限界に挑んだ三菱500は、歴史に名を刻む一台として語り継がれている。

エンジンは594cc、空冷直列2気筒OHV。RRなのでリヤに搭載される。フードは大きく開くため、整備しやすかった。

フロントボンネット内はスペアタイヤが設置されているが、荷物を置くスペースも確保されていた。

丸形のスピードメーターは120km/hまで刻まれていた。非常に簡素で方向指示器や警告灯類はこの中に集約されている。

徹底したコスト削減と軽量化を目指したため、非常に簡素な作りのセパレートシートを採用した。リアシートの足元と頭上空間は非常に狭かったため、大人4人乗車はかなりタイトであった。

主要データ(スタンダード・1961年) 

○全長×全幅×全高:3140㎜×1390㎜×1380㎜○ホイールベース:2065㎜○車両重量:490㎏○エンジン(NE19A型):強制空冷直列2気筒OHV493㏄○最高出力:21PS/5000rpm○最大トルク:3.4㎏-m/3800rpm○最高速度:90㎞/h○燃料消費率( 最大荷重時):23.0㎞/L○燃料タンク容量:20L○トランスミッション:3速MT○最小回転半径:4.3m○乗車定員:4名○価格:36万5000円

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